つばさ

平和な日々が楽しい

気温の上昇、下降と商品の売れ行きには相関…

2012年10月25日 | Weblog
越前若水
(2012年10月25日)
 気温の上昇、下降と商品の売れ行きには相関関係がある。例を挙げれば、20度を超すとエアコンが売れ始め、25度でビールやアイスクリームがよく売れるという▼逆に、18度を下回るとおでんが売れ筋となり、15度以下になると日本酒や鍋物の需要が伸びる。流通業界では前者を「昇温商品」、後者を「降温商品」と呼ぶ▼ちなみにインターネット情報によると、ある自動販売機メーカーでは最高気温が20度を切ったとき、「あたたか~い」缶コーヒーを投入する目安にしているらしい▼きのうの本県地方は寒気の影響で、最高気温は福井市で18・2度、大野市で16・6度を観測するなど軒並み20度を下回った。前日より3~5度も低く、わが社の自販機も早速、冬用に衣替えしていた▼そんな折、勝山市から雪化粧した白山の写真が届いた。夕日に映えた連峰は何とも神々しい。また福井市の中央公園では雪つりが始まった。例年より早めの作業開始という▼二十四節気の「霜降」は既に過ぎ、七十二候ではいま「霜始降(しもはじめてふる)」。新暦の秋はまだ1カ月以上を残しているが、日に日に晩秋の気配が漂う時候である▼ひと昔前ならどこの家でも雪つり、雪囲い、薪(まき)割り、さらに漬物の仕込みなどに忙しいころ。今はそんな必要も少ないが、やはり雪国。最低限の冬の備えはお忘れなく。「この冬をここに越すべき冬仕度(ふゆじたく)」富安風生。

「誰の人生にも『もう十分だ』と言わねばならないときがくる」

2012年10月25日 | Weblog
春秋
2012/10/25付
 ファンからスポーツ選手への最も悲痛な叫び。それは多分、八百長の疑いで米野球界から永久追放されたシューレス(はだしの)・ジョーと呼ばれるスター選手に一少年が放った「嘘だといってよ、ジョー!」の一言だろう。1919年、もう1世紀近くも前のことだ。
▼その逸話を思い出す。米国の自転車選手ランス・アームストロング(41)が週初め、ドーピングをしたとして正式に自転車界から永久追放された。世界最高峰のツール・ド・フランス7連覇のタイトルもすべて剥奪である。本人は一貫して否定してきたが、かつてなかったほど組織的で巧妙な薬物使用と認定されたという。
▼彼はなまなかな英雄ではない。20代に睾丸(こうがん)がんを克服、その後、選手として何人もなし得なかった成績を収め、また、がん撲滅のための慈善運動家でもあった。勇気や不屈、克己といった価値を担い、私事だが、自伝に感銘して子どもに読めと勧めもした。疑いもなくここ15年の世界最高の運動選手の一人、のはずだった。
▼追放が不可避になった8月、潔白を訴え続けながらも「誰の人生にも『もう十分だ』と言わねばならないときがくる」と、嫌疑に対する闘いを打ち切った。自転車競技の「薬物まみれ」の象徴と見なされる一方で、なおかばう声がある。いま、彼の耳元にファンの叫びは響いているだろうか。「何とかいってよ、ランス!」

罪深い人間に身をもって危険を教えてくれる優しきキノコたちである。

2012年10月25日 | Weblog
余録:オーストリアの精神分析学者フロイトは…
毎日新聞 2012年10月25日 00時04分

 オーストリアの精神分析学者フロイトはウィーンの自宅近くの森を家族らと散歩する時、いつも帽子を持ち歩いた。途中、ヤマドリタケなどのキノコを見つけるとすぐに帽子を投げてかぶせ、こうみんなに宣言した。「これは私のだぞ!」▲我を忘れてキノコ狩りに熱中したフロイトだが、夫人は店で買うのを好んだという。どうやら毒キノコを見分ける夫の能力にあまり信を置いていなかったらしい。なるほどその辺がいいかげんなキノコマニアははた迷惑だ▲さてチェルノブイリ原発事故の際には高濃度の放射性物質による汚染が注目されたオーストリアのキノコである。それから四半世紀、農作物の大半で放射性物質が検出されなくなった昨年も、野生キノコからはなおも比較的高濃度の放射性セシウムが検出されている▲秋深まる野山ではキノコ狩りを楽しむ方も多かろう。だが東日本のいくつかの市町村からは野生のショウゲンジやチチタケなどから国の基準を超える放射性セシウムが検出されたとのニュースが伝えられた。当の市町村では野生キノコの出荷・販売が自粛されている▲小川眞さんの「キノコの教え」(岩波新書)によれば、キノコがセシウムを吸収しやすいのは欧州では60年代から注目されていた。吸収量が多いのは土から生えるキノコで、それらは放射性セシウムを地表で循環させて長い間森林にとどめる役割を果たしてきたという▲森で営まれる生命の循環に入り込んだ放射性物質は、これから長きにわたりそこに居座ることになりそうだ。それをもたらした罪深い人間に身をもって危険を教えてくれる優しきキノコたちである。

「知る者は語れ」か「知る者は言わず、言う者は知らず」か

2012年10月25日 | Weblog
天声人語10/25
 「知る者は言わず、言う者は知らず」という。物事を深く理解する人は軽々に語らない、との戒めだ。世の地震学者は今、この言葉を呪文のように唱えていよう▼3年前にイタリアで起きた地震で、直前に「安全宣言」を出した学者ら7人に、禁錮6年の判決が下った。危険を十分に知らせず、被害を広げた過失致死傷罪。求刑の4年を上回る厳罰である▼一帯は当時、群発地震に見舞われ、不安が募っていた。発生6日前、7人は「知る者は語れ」を期待されてリスク検討会に臨む。結論は「大地震の予兆とする根拠なし」、防災局幹部は「安心して家にいていい」と踏み込んだ。遺族会によれば、やれやれと帰宅した中から30人ほどの犠牲者が出た▼死者309人、被災者6万人の現実は重いが、専門家は実刑に戸惑いを隠さない。山岡耕春(こうしゅん)名大教授は「驚いた。学者の責任を厳しく問えば、自由な発言や本音の議論を妨げる。長期的には住民にも不利益では」と語る▼口が災いの元では、学者たちは黙り、万一の備えが綻(ほころ)びかねない。同じ地震国の住人として、科学の手足を縛るような判決には首をかしげる。弁護側は「まるで中世の裁判」と控訴する構えだ▼福島の原発事故でも、東電や政府の関係者が民事と刑事の双方で訴えられている。被告席の背後にどっかと座る「安全神話」は、一片の安全宣言より罪深い。再び神話に頼ることのないよう、原子力に携わる全員が口を開く時だ。安全に関する限り、沈黙は「禁」である。