つばさ

平和な日々が楽しい

こんな革命はもう、うんざりだ

2012年10月20日 | Weblog
 【産経抄】10月20日
なんとまあ、あっさり白旗をあげたものだ。ひところは民主党の小沢一郎元代表を某夕刊紙とともにひたすら持ち上げていた「週刊朝日」が橋下徹大阪市長の批判記事を掲載したものの、市長に反撃されるやすぐ謝罪した一件は、同業者として恥ずかしい限りだ。
 ▼筆者の佐野真一氏と週刊朝日取材班は、橋下氏の政治手法や政策にはまったく関心がない。「橋下の本性」を暴くため「橋下徹の両親や、橋下家のルーツについて、できるだけ詳しく調べあげなければならない」と宣言、ヤクザだった父親の自殺やいとこが殺人犯だった話を得々と書いている。
 ▼「親の因果が子に報い~」という見せ物小屋の口上そのものの前近代的な代物で、市長が怒るのもよくわかる。このような論理がまかり通るのなら、暴力団員の子供は正業についてはいけないことになる。
 ▼ヤクザになった本人はともかく、子供に罪はない。ましてや30年も前に暴力団の会合に出てあいさつしただけで、大臣を辞める必要など毛頭ない、と言いたいところだが、田中慶秋法相はそんな淡いつきあいにとどまらない。
 ▼暴力団関係者の仲人にはなるわ、組長と組んだ土地転がしの疑惑が浮上するわ、まさに疑惑のデパートだ。ここはひとつご本人の弁明を聞きたいところだが、国会審議をすっぽかし、あげくの果てには入院する始末である。
 ▼そんな人物を法相に起用した野田佳彦首相には、人を見る目がまったくない。そればかりか、「近いうち」解散の約束をほごにしようとする嘘つきでもある。ちなみに3年前の総選挙直後、週刊朝日の表紙には「民主党革命 日本が変わる」の大活字が躍っていた。こんな革命はもう、うんざりだ。

「どろどろ」とは歌舞伎で幽霊や妖怪などが現れる

2012年10月20日 | Weblog

余録:「どろどろ」とは歌舞伎で幽霊や妖怪などが現れる
毎日新聞 2012年10月20日 

 「どろどろ」とは歌舞伎で幽霊や妖怪などが現れる時の鳴り物だ。人が正気を失う時や、夢からさめる時などを分かつ囃子(はやし)としても用いられるという。長ばちで大太鼓(おおだいこ)を、はじめ小刻みに、だんだんと高く打ち、怪異が続く間鳴らし続ける▲その最後、一気に「どろん」と打ち上げるのは幽霊や妖怪が消える時だ。よほどこの「どろん」が人々の耳に残ったのだろう。人が姿をくらますさまを「どろん」というのは、江戸時代から用例がある。今や会議の欠席や、飲み会の中座でオジサン世代が使う言葉だ▲さて復興予算を公安調査庁の車両購入などにあてた法務省のトップたる田中慶秋(たなかけいしゅう)法相の話だ。先日は復興予算を審査した参院決算委への出席要求を断り、「公務」を理由にどろんを決め込んだ。公務とは招請されてもいない会合への押しかけ来賓(らいひん)としての出席だった▲翌日はついに閣議をどろんだ。今度は「体調不良」とのことで、東京都内の病院に入院したそうな。何せ就任以来、外国人献金や過去の暴力団との交際が次々に報じられ、資質に疑問符が突きつけられた法相だ。どろんの理由がまともに受け取られないのも仕方ない▲さすがに政府与党内でも「これでは臨時国会は乗り切れない」と法相辞任は不可避(ふかひ)との見方が大勢となった。「在庫一掃」「思い出作り」と揶揄(やゆ)された先の内閣改造で、その典型とされた新法相人事である。はてさて早々にその椅子からもどろんということになるのか▲「いわんこっちゃない」の声もあちこちで上がり、首相の任命責任はやはり重い。何やらだんだん高く打つ音が聞こえてくるのは野田政権のどろどろか。


秋という字に心と書いて、愁(うれ)いと読ませた先人の境地を思う

2012年10月20日 | Weblog
梵語
秋の蚊
 朝晩の肌寒さに季節の移り変わりをしみじみと感じる。秋という字に心と書いて、愁(うれ)いと読ませた先人の境地を思う。夏なら無法な蚊もどこかはかなげだ。先夜も自宅の台所をふらふらとさまよっていた▼蚊をめがけ宙をつかむ。珍しくすんなり捕まった。考えてみれば、日々をただ一生懸命生きているだけの存在である。「なんでこんなにあっけなく…」と、自らの所業は棚に上げて哀れになった▼<秋の蚊のよろよろと来て人を刺す>。正岡子規、晩年の句だ。既に左右の肺はカリエスで穴が開き、医師の目にも生きていることが奇跡と見えた。自力では寝返りも打てぬ呻吟(しんぎん)の中「病床六尺、これが我世界」だった▼室内と庭先、そこを訪れる虫や鳥、風や陽光。どれも子規にはまぶしく映ったろう。「よろよろ」した姿か、それでも「人を刺す」生への執念か。秋の蚊に自らを重ねたほぼ1年後、子規は逝く▼蚊と同様、夏は煙たがられる蠅(はえ)にも「秋の蠅」の季語がある。<秋の蠅叩(たた)かれやすく成(なり)にけり>も子規の作だ。弱々しくもまだ生きているという驚きともの寂しさが漂う▼春の季語の蝶(ちょう)や蜂にも「秋の蝶」「秋の蜂」がある。秋の気配を教えてくれるのは、何も美しい声で鳴く虫だけではない。鳴かぬ虫にも秋の衣を着せ、小さな命の少しでも長きことを願う。季語から伝わる先人の思いである。

[京都新聞 2012年10月20日掲載]


「ゴロスケホーホー」「ボロ着て奉公」

2012年10月20日 | Weblog
天声人語10/20
 フクロウは知(ち)のシンボルとされる。大樹の洞(うろ)で黙考する様(さま)は哲学者風で、丸顔と渋い体色に字を当てれば福老(ふくろう)とでもなろうか。ただし、動物としての本性は抜け目のないハンターらしい▼自在に回る首、幅のある口、鋭い爪。体の造りすべてが、夜の狩りを支えている。翼は広く、速くはないが小回りが利き、音もなく飛べる。立体視に優れた大きな目、集音に秀でたパラボラ状の顔面で、獲物との距離を瞬時につかむそうだ▼白眉(はくび)は、羽を広げると2メートルに近いシマフクロウだろう。開発に追われ、国内では北海道東部に百数十羽のみ。アイヌ名コタンコルカムイ(村の守り神)は、守られる身となった▼11月に始まるこの鳥の生態調査に、富士通の新技術がひと役買う。3時間の録音記録から、特定の生き物の声を数分で探し出せるソフトだ。50個のICレコーダーを使い、物静かな「神」が鳴いた時刻と位置を調べるという▼日本野鳥の会によると、以前は夜寒に耐えて調査員が聞き耳を立てていた。去年は録音方式を採り入れたが、解析に手間取った。新ソフトで解析時間は10分の1に、調査地点は3倍になり、保全すべき生息域を詳しく割り出せる見込みだ▼夜行性のフクロウは、目より耳で親しまれてきた。声は一般に「ゴロスケホーホー」「ボロ着て奉公」などと表す。北の大地に宿る神は、野太く「ボー」。その重低音は、寝静まる谷を伝わり、数キロ先に届くことがある。人のおごりをいさめる、森厳の響きを守りたい。