あぶくま抄(10月1日)
古里を突然追われた人たちがいる。原発事故による避難者ではない。歯舞群島、色丹島、国後島、択捉島の「北方四島」で暮らしていた約1万7000人だ。
終戦から約2週間後の8月28日、旧ソ連軍の侵攻を受ける。2年後、強制送還が始まった。ほぼ全員が昭和23(1948)年10月までに島を出される。荷物は1人30キロ以内に制限された。取るものも取りあえず家を離れる。小さな船に押し込まれ、樺太経由で本土に送られた。途中で亡くなる人もいた。
現在、元島民約7700人が全国に散らばっている。本県でも約10人が暮らす。元島民らが先月、ロシアとの今年度「ビザなし交流」で色丹島を訪れた。島は深緑色の木立と、もえぎ色の草原が絶妙な色彩を織りなし、稜線[りょうせん]が続く。複雑に入り組む海岸線には海鳥が多数生息する。高山植物の宝庫だ。戦前は「東洋の箱庭」と呼ばれ、国立公園の候補地にもなっていたほどだ。
手の届かない古里だが、いつかは必ず帰りたい。しかし、生きているうちに実現できるのか…。涙が止まらなかったという。原発事故で地元を離れた県民と姿が重なる。無理やり引き裂かれた古里への思いに違いはない。
古里を突然追われた人たちがいる。原発事故による避難者ではない。歯舞群島、色丹島、国後島、択捉島の「北方四島」で暮らしていた約1万7000人だ。
終戦から約2週間後の8月28日、旧ソ連軍の侵攻を受ける。2年後、強制送還が始まった。ほぼ全員が昭和23(1948)年10月までに島を出される。荷物は1人30キロ以内に制限された。取るものも取りあえず家を離れる。小さな船に押し込まれ、樺太経由で本土に送られた。途中で亡くなる人もいた。
現在、元島民約7700人が全国に散らばっている。本県でも約10人が暮らす。元島民らが先月、ロシアとの今年度「ビザなし交流」で色丹島を訪れた。島は深緑色の木立と、もえぎ色の草原が絶妙な色彩を織りなし、稜線[りょうせん]が続く。複雑に入り組む海岸線には海鳥が多数生息する。高山植物の宝庫だ。戦前は「東洋の箱庭」と呼ばれ、国立公園の候補地にもなっていたほどだ。
手の届かない古里だが、いつかは必ず帰りたい。しかし、生きているうちに実現できるのか…。涙が止まらなかったという。原発事故で地元を離れた県民と姿が重なる。無理やり引き裂かれた古里への思いに違いはない。