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エトルリア人の建てた古代地下都市

2008-11-14 17:26:04 | Weblog
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オルヴィエートの町の地下にはエトルリア人が3000年前に建設した地下都市が蟻の巣のように走ってます。
3000年前、この地下都市にはワインの醸造所やオリーブオイルの精製所があり、家畜が飼われ、鳩舎もありました。
鳩舎は早朝に扉が開けられ、山鳩たちはお出かけをして夕方に帰ります。
決まった時間に扉が閉められて、この時門限を破った山鳩さんは泣いても叫んでも中には入れてもらえません。
井戸が掘られ、雨水を引いて家畜小屋や家々には配水が行き届いていました。





ローマ時代に入って、エトルリア人がローマ人に追い出されてからは、ローマ時代、中世、現代までと人々はこの地下都市をワインやオリーブオイルの貯蔵庫にしたり、好き勝手に使ってきました。
疫病の流行った時は一画に死体を集め、石灰をまいて伝染を防ぎました。
第二次世界大戦の時には隠れ家にもなったそうです。



ボルセーナ火山の火山灰が流れ込んだり、人々が粗大ゴミや生ゴミなんかを捨てたりしてして、かなりの部分が塞がっていたのですが現在は全体の3分の1が採掘されました。



町はずれにある1部は市が管理をして、観光客が入れることになっています。
個人の所有する家の下は市が関与できませんので、個人が管理をしています。
はっきり言ってこの観光客用の所は面白くありません。
整然としすぎているのもあるけれど、盗難を恐れているのか当時の陶器なんかも陳列されてないし、エトルリア時代、ローマ時代、中世、現代までの人々の息吹が感じられないのです。



その点、個人の家の地下は様々な模様があります。
採掘しっぱなしのところにオリーブオイルの瓶をしまっておいたり、カビの生えたエトルリア時代のワインの大甕(かめ)や小甕がずらっと並んでいたり。
値段のつけられないエトルリアの陶器の破片がセンスよく置かれて、現代の人の居間の一部のようだったり。





エトルリアの頃から現代までの人々が共存しているみたいです。
また先祖代々住み着いているので語り継がれてきたエトルリア時代から現代までの地下都市の様子をよく知っています。
話を聞くのはとてもおもしろいものです。





そんな個人の家の地下にはなかなか入れてもらえませんが、私たちはジャンピエロの友人菓子屋のセルジョの家の地下を訪れることができました。
お菓子の並ぶ店の中から地下へ降りました。
とても広い。私にとってはミステリアスな世界。
ボルセーナ火山の噴火の時の灰がなだれ込んだあたりには地上の木の根が化石化をしていました。このあたりはセルジョのお父さんが30年前に掘って発見をしたそうです。
多神教の頃の神の一人、バッカスのレリーフ、澱みを作らない為に鰻が飼われていた貯水穴、礼拝堂、そして世界大戦時に隠れた一画等々。
途方もない時間を遡る博物館です。







「ここはキッチンだよ」とセルジョ。
家々では料理作りのために演奏家が雇われ、調理の際にはキッチンで楽器が奏でられたのだそうです。
エトルリア人は「音楽は料理を美味しくする調味料」と考えていたといいます。
夫婦仲はとてもよくて、必ず夫婦揃って食事をしたそうです。
(ローマ人は男女別々でした)

エトルリア人はなぜ地下に住んだのでしょう?
健康のためとか宗教上のためとかいわれてますが本当のところは分からないそうです。

日伊相互文化普及協会         Emi




私たちが個人美術館に行く途中、私と長年の顔見知り(小さい町なのでよく路で顔を合わせます)の人が家の敲き(タタキ)で畑から摘んできたばかりの葡萄を搾っていました。
「見ていくかい?」と私たちを中に入れてくれました。
搾った葡萄の汁は地下に送られます。そこで醸造され、保管します。
その地下はエトルリア人の作った都市の一部。



この地下の自然熟成ではおいしい、おいしいワインができるんだそうです。
オルヴィエートでは郊外でも地下都市があってワインの作り手はおおいに利用をしています。

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