庭と花の物語*西原村

小さな村の小さな庭やそこで育った花々を紹介します。季節の移り変わりとともに。

地震から4年  大切畑は変わる

2020年03月24日 | 熊本地震
熊本地震で西原村に大きな被害が出たのは、2016年4月16日午前1時半の本震でした。



この損壊した道路は、俵山から村の中心に向かう道です。
地震から1か月ほどして、初めて大切畑(おおぎりはた)大橋を見に行った時の写真です。
大橋の少し手前から撮りました。

橋のつなぎは外れています。

大橋を大切畑の集落から見ています。(撮影日2016.5.15)

2016.4.22の朝
大雨のため避難勧告が前日に出ていたので、村の避難所にて車中泊をした帰りでした。
被災している私たちは、停電のため、また家の中が歩けないほど物が散乱していたこともあって、ラジオは聞いていましたがテレビは見ていませんでした。
迂回路を探して大切畑の集落を通った時  見たのは



息をのむ風景でした。
ダムから引かれた水路が壊れて無残に崩れていたのでした。
そして集落は

集落全体が全壊していたのでした。
一月後に友人から聞いたテレビ報道によると、「大切畑では地震後数時間で、村の男たちが潰れた家から9人の人を助けた」奇跡の村といわれていたのでした。

2016.5.15の大切畑
たまたま大切畑に親戚がいたので、見舞いに訪ねました。
申し訳ない気がして、他のお宅は覗いていません。道路から見えた風景ばかりです。





段上にあった隣の家との境が、崩れました。
納屋はすでに解体撤去していました。農機具は全部廃棄にしたと言っていました。




家の玄関のコンクリートの土間が浮いています。
実は家の前の庭部分が30センチ沈下しているのです。




2016.5.18橋から見た風景  大切畑を見下ろしています。

崩れた家から、順次更地にしていました。
1か月で、集落の3分の1ほどが更地となっていました。


2019.12.8橋の近くから見た風景  大切畑を見下ろしています。

2019年9月14日大切畑大橋は復旧しました。3年6か月ぶりのことでした。
前夜まで、開通にかかわる道路工事をしていたのですが、間に合ったのでした。
「萌の里」では祝賀式に合わせて、餅と豚汁を振舞いました。
私もボランテアで手伝いましたよ。

まだまだ復旧は続きます。
集落には、数百本のコンクリートの柱が打ち込まれています。

災害に強い村に変わるのでしょうか。


まだ多くの人たちが仮説に暮らしています。

地震の後
家具家財、電化製品、先祖の遺品あらゆるものが災害ゴミ置き場に投機されていました。
だから
仮設を訪ねると、新しいベッドとテレビ、洗濯機、冷蔵庫などが狭い場所に身動きできないほど並んでいます。買い換えたものばかりでした。
仮設から出て、新しい家と集落で、どんな暮らしが始まるのでしょうね。









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