庭と花の物語*西原村

小さな村の小さな庭やそこで育った花々を紹介します。季節の移り変わりとともに。

プラタナスの古木   時代とともに移り変わった草地と中沢池   

2017年07月01日 | 樹木

ショウブの花を見に行きましたが

すでに花の時期は終わっていました。  わずかに残った花を写真に撮りました。

 

 

 ここは東京都多摩市の中沢池公園

ショウブ田があります。

 

 

 昔はちいさな田んぼの棚田があったところです。

今は、ほぼ昔の姿を残したまま公園になっています。

 

 

花が終って、雑草抜きと茎の剪定をしていました。

 

 水辺で遊べるように小川の流れを作ってありますが。

 横に自然のままの中沢川も流れています。

下の写真が中沢川。ちいさなせせらぎです。

この地域のたいせつな生活を支えた川でした。

 

中沢池からの流れです。   中沢池は湧水と雨水をためた池です。

 やはり自然の川のほうがきれいですよね。

 

ショウブ田を過ぎて、公園の一番奥に池はあります。

 

 この池は江戸時代(寛文年間 1665年)に作られたものです。

昭和9年に地元の有志9人によって現在の形に改修されました。

落合あたりまでの水田に水を送っていました。

多摩ニュータウンができてから田んぼはなくなりましたが。

 

池の奥の緑地は、今はゴルフ場になっています。

明治頃までは多摩村の草刈り場でした。

長い間草地として維持してきたので、明治以後には牧場となり、乳牛が飼われていました。

日本最初のアイスクリームはここの牛乳が横浜に運ばれてつくられたのでした。

牧場からゴルフ場に変わるのには、さほど手間はかからなかったことでしょうね。

戦後のことです。

 

わずかに文明開化時代の名残があります。

池の端にある「プラタナスの木」です、

樹齢100年を超える古木です。

日本に最初に持ち込まれたプラタナスの一本です。

 正面中央の木です。

 多摩村の歴史を伝える大切な木です。

草刈り場は入会地でした。池を作るには適当な場所でした。

ここに、プラタナスの木を植えたのですね。

どんな物語があったのでしょうか。

 

 冬に数百の実が枝先につくのが見事ですよ。


村人の行きかう道だった    辻の樫の木の今

2017年06月10日 | 樹木

集落と集落をつなぐ道。

四方に分かれる辻は、人が集まるところでもある。

西原村万徳の辻は、まさに村の真ん中にある。

東は古賀、蔓目(かずらめ)へ。

西は新所、高遊原(たかゆばる)へ。

北は馬場、小園(おぞの)、鳥子(とりこ)へ。

南は万徳集落の中心を通り名ケ迫(みょうがさこ)、風当(かざて)へ。その先の大切畑、袴野へ。

(ブログを読んでくださる方には耳になじみのない地名ですね。)

万徳の辻は各集落につながっていた、いわば旧山西村の真ん中であった。

 

その辻にあるのが「種馬所 しばしょ」と呼ばれた共有地である。

牛、馬の競りが行われた場所。

今も牛馬をつなぐ策が残っている。

真ん中の道は新所に向かう西の道。道幅はほとんど昔のまんま。

道の反対側には山西小学校。

学校ができたのはここが広い空地であったからかもしれない。

小高い場所から、低くなった広場の人と牛馬の動きがよく見えるようになっている。

 

今は倉庫が数個あるだけの広場。

 

この辻に記念に残された木がある。(下の写真)

古木だがあまり大きくはない。

牛馬をつないでいた木なので胴回りが多少すり減っている。道路を拡張する時にもわざわざ残したとのことであった。

長く村の目印となっていたであろう。

「種馬所」でセリ競り市があるときには、屋台が出たようなかすかな記憶があるのだが、確かめたことはない。

小さな映画館もあって、時々上映されていたという記憶も確かめてはいない。

当時は活動写真と呼ばれたのかな。

今やどこにも当時の様子を知るための手がかりがない。

「種付けさん」や「博労さん」たちが行きかい、村人と戦々恐々のやり取りをした万徳の辻。

樫の木に聞いてみたいなあ。むかしのにぎわいの様子を。