庭と花の物語*西原村

小さな村の小さな庭やそこで育った花々を紹介します。季節の移り変わりとともに。

ハンカチの木 知ってる?        江戸っ子幸田文のゆかりの木

2017年06月27日 | 広場と公園

 

文京区役所の25階の展望所から見た後楽園の庭園です・

 

道を挟んで北側に礫川公園があります・

傾斜地になっています。

奥に石の階段があります。

 

 

噴水前の植え込みに二本の木があります。

一本は先に紹介したハゼの木。

後の一本が「ハンカチの木」です。

 ハンカチの木は

幸田文(1904-1990)の一人娘玉から寄贈されたものです。

幸田文で思い出すのは、父露伴が多量の吐血をしてから死に至るまでを書いた作品です。

文はこの時の思い出を作品にしたことで物書きになったと記憶しています。

手厚い文の介護を受けていた露伴が、「もういいか」と聞きました。

もう死んでもいいかと娘に聞いたのです。

「はい」と答える気丈な文。

 

作品に書いた時、文は号泣したのではないでしょうか。

その場面を読んで私も号泣しました。

父のために掃除をし、洗濯を覚え、完璧な料理を作ってきた文に

別れの日がきたことを告げた父。

 

幸田文は、縁があってハンカチの木を譲り受けました。

しかし生きている間に花は咲かず。

20年待ってハンカチの木に花が咲いた時、母が見たらどんなに喜んだかと玉は書いています。

20年か、ちょっと待てませんね。

今度花が咲くときにはぜひ見に来たいので、文京区の方知らせてくださいね。

 

 幸田文は江戸っ子で下町育ち。

べらんめえで早口でした。

テレビのアーカイブで見たときにびっくり

江戸っ子の男はよく見ますが、女性はあまり、見かけませんね。

手先が器用で、気遣い上手な人であったと何かで読みました。

 

区役所の25階からは

 東京タワーが見えます。

 スカイツリーも見えます。

雲に隠れそうでした。

今も新しいビルがどんどん建っている東京の様子も見えます。

無料の展望所です。楽しんではいかがでしょうか。

 

ハンカチの木に花が咲く日を待ちましょうね。

 

 

 


[小さい秋みつけた] ハゼの木     サトウハチロウの記念樹

2017年06月26日 | 広場と公園

東京ドームは知っていても、ドームの周りを歩くことはあまりありませんでしょう。

地下鉄丸ノ内線の後楽園駅の北口は礫川公園となっています。

ちなみに南口は後楽園遊園地です。 

 

公園の入口はいくつもありますが、その中の一つに「春日の局」の像があります。

春日の局は、三代将軍徳川家光の乳母として、家光成長後もそば近くで長く仕えました。

文京区「春日」の地名は、春日の局が家光より拝領した土地に由来し、昔は「春日殿町」と呼ばれました

 

 

 礫川公園を

 

 文京区役所の25階の展望所から見ました。

 

 児童公園があります。

 アジサイが咲いています。

 

 

 

見てほしい木が二本あります。

一本は「ハゼの木」です。

 

二本の樹木のうち右側がハゼの木。

説明板には、サトウハチロウ(1903-1973)が「小さい秋見つけた」を作詞した時に

自宅に植えられていたハゼの木であること

平成7年に記念館としていた自宅が閉鎖されたため、

平成13年にハゼの木がこの公園に移されたとが書いてあります。

樹齢70年だそうです。

 

 

 隣の遊園地のジェットコースターが見えました。

「小さい秋みつけた」の歌とともに、ハゼの木も長く残ってほしいと思います。

 


我が家の地震の爪痕       家ばかりではないのです

2017年06月26日 | 熊本地震

 2016年4月16日西原村は震度7の地震にみまわれました。

 我が家も甚大な被害を受けました。

昨年の夏に屋根瓦と壁を修理し、秋に屋内の天井や壁を修理しました。

 

     2017年1月には石垣を修復しました。

     おかげで地震に崩れない石垣になったとは思いますが。

     左官さん、大工さんが足りないので、仕事を頼むのが大変でした。

    何とかやりくりしてもらい、6月に床の張替えをおねがいしたのです。

    床板が壁からずれ3センチほど沈んでいましたので。

    床板を取り外したら。

 

 

 

     地面に数多くの亀裂が走っていました。

    作業の途中で亀裂の溝を踏んだので、見えにくくなってはいますが。

    地面が割れるほど揺れたのでした。

    

    庭に敷いた赤レンガも隙間が広くなっていますし、コンクリートの小道は何カ所も割れています。

    家はゆすぶられ、家の基礎が破損しました。

    

    床の張替えはできましたが

    まだまだ修理は終わってはいません。

 

4月に咲いていイカリソウ

梅雨前の草かりで刈られてしまいました。

草刈りをシルバーさんに頼んだのは私ですから、仕方ないのですが。

 

シャガも刈り取られてしまいました。

 

 庭を藪にしていてはいけません。

分かってはいますが、なかなか手入れができないものですよ。

 

 

 


6月に咲く花あれこれ    地震に耐えた花もあります。  

2017年06月24日 | 山野草

        白のタカネナデシコ

      地震の時に植木鉢が落ちてひっくり返りました。

      10日後

      割れた植木鉢を起こしましたが、その場所に半年以上置いたままにしていました。。

      かろうじて生きていたこの花を、再び鉢植えにしたのが上の写真です。

      株は3分の1ほどになりましたが元気がもどり花も咲いたのです。

 

     シライトソウ

    この花も地震の時に植木鉢が割れました。

   まだ芽も出ていない時でしたので、名札を頼りに落ちた鉢の中から探し出したのです。

   その後無事に芽が出ました。

   嬉しいことに6本の花芽が上がり咲いたのでした。

 

   年末にシライトソウを株分けしました。

   しかし、今年の4月には全く芽が出ませんでした。

   冬の間の何がいけなかったのでしょうか。

 

   ところが

   家の修理に来てくれた大工さんが、この花をくれたのです。

    我が家のホトトギスを差し上げたら、代わりにと言って。

   

 

    姉がくれた北海道のフウロソウ

     寒いところの花だそうですが我が家の庭では育っています。

 

    タマシャジン

       母の花でした。

      数年前に種をもらって蒔いたのです。青い花が可愛いです。

 

     ピンクのアスチルベ

      

      庭のあちらこちらに咲きます。

     丈夫な花なのですね。

     藪から掘り起こして、家の前に植えたものもあります。

 

    シモツケ

      濃いめの色が梅雨空にはあいますよ。

 

      ツバメソウ

     こぼれ種のツバメソウ。

      来年も咲いてくださいね。

 

梅雨の花の代表はこの花 ホタルブクロ

      白い花も赤い花も地植えにすると大きくなります。

    鈴なりに花をつけています。

    もちろん肥料はやりました。

     今年は雨が少ないですが、例年は

     雨に濡れて咲く花ばかりです。

    


青葉にはえる花     ツクシマツモト  

2017年06月22日 | 

母が育てていた薔薇が咲きました。

草刈りをしたとき、藪に埋もれていたので、私が薔薇を根元からうっかり切り落としてしまいました。

去年の夏のことでした。

掘り起こして鉢植えにしたのがこのバラです。

 

 

下はハナシノブ

 ハナシノブは阿蘇九重の草原に咲く花ですが、絶滅危惧種に指定されています。

この花も母が大事に育ててきました。

母は鉢のまま植え替えをしていました。

数年前、ハナシノブの種をとってプランターにまいてみると、発芽がよく育てるのも簡単でした。

野山で見かけたら、背丈も高くなるので見事な姿でしょうね。

 

姫月見草

種がとんでどこにでも顔を出します。

下からだんだんに咲いてくるので1か月くらい咲いています。

 

ホウチャクソウやナルコユリもいつの間にか花を咲かせ種を付けます。

 

初夏の緑に浮き立つように映える花は、ツクシマツモトでしょう。

白花も美しいですが。

 華やかな朱色の花が緑の中に鮮やかです。

花の茎が折れやすいので扱いには注意が必要です。

茎を挿し芽にするのがお勧めです。

マツモトセンノウと呼ばれる花と同じだと思いますが、九州の花をツクシマツモトと呼ぶのでしょうか。

この花も阿蘇の草原に自生しています。

映像でしか見たことはありませんが、日当たりと湿り気のある草原に揺らめいている姿は圧巻です。

 

 

夏エビネも咲きました。

 

梅雨の雨もやっと降り始めた今日この頃。

カビに悩まされることが少なくて済むようにと願う私です。

 

 


バラクラ英国風庭園 2    バラは咲き始めています。 

2017年06月21日 | 

 上の写真は新種のバラでしょうね。

 葉の色も花の色も個性的でした。

 今から7月までは薔薇の季節になります。

 

 

 

 

 

 

 

可愛い庭もありました。

アリスの庭です。

花つくり、庭つくりどちらも奥深いですね。

きれいに咲かせるには大変な苦労があるでしょうね。

上の写真は入場口です

駐車場は無料ですが、庭園の入場料金は1200円です。

イングリッシュガーデンに必要な小物もたくさんそろっています。

植栽の樹木も花とマッチした風景に整えてありました。

 

 

 


バラクラ英国風庭園    日本の花も咲いていましたよ。 

2017年06月21日 | 

 

    バラクライングリッシュガーデンに行ってきました。

   エントランスも英国風です。

 エントランスは売店やカフェがあります。 

 

建物の奥がガーデンになっています。

 

 

 

 

 ナチュラルガーデン

 

 1100メートルの高地にあるので緑の色もきれいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

半日楽しみました。

 


入笠山湿原のクリンソウ    長野への旅

2017年06月18日 | 山野草

              長野県富士見町の入笠山

       入笠湿原は日本スズランが咲き誇っている。その数100万本。

       この湿原にはスズランの他に、多くの高山植物、山野草を見ることができる。

 

       20年ほど前に私はここで初めて、クリンソウにであった。

       真紅の花だったと思う。

 

 

 

      上の写真の色と記憶の中の色は少し違うのだが。

      記憶の中の色は  見たこともない紅色だった。

      

      下の写真は我が家のクリンソウ。

      数年前に、母が阿蘇の仙酔峡の売店で求めたものである。

      こちらは紫がかった濃い色のピンク。

      入笠湿原にも濃いピンクの花を一株見た。

      

      我が家では、種をまいてよく増え丈夫に育つ。

        黄色ののクリンソウを東京の花屋で買ったが、3年ほど咲いてとうとう枯れてしまった。

        結実も悪く、根分けもしたが消えてしまった。

 

         湿原の周りはカラマツが植林されている。   カラマツの林を抜け、

         ケーブルカーの駅から歩いて10分弱で湿原に到着する。

         湿原から30分登ると入笠山(1996メートル)山頂。

            

            ちなみに山頂は360度の絶景である。

            富士山や遠く乗鞍まで見える。

            小学生が登っている。

            10年前には私も登ったが今は遠慮した。

ケーブルカーの駅の窓から南アルプスが見えた。

 

 


入笠山のスズラン     咲き始めました

2017年06月17日 | 山野草

長野県富士見町  富士見パノラマラリゾート

入笠山   入笠湿原に100万本の日本スズランが咲いています。

長い木製の階段の両側にスズランが咲いています。

コナシ(ズミ)の花も咲いています。

桜のような花木が「コナシ」です。

湿原はカラマツが植えてないので明るい広い場所です。

さらに5分ほど山頂に向かって歩くと、そこにもスズランの自生地があります。

 

スズランは先初めでした。今からが見頃です。

 

入笠山湿原には便利なゴンドラがあります。

スズランの時期は朝8時から運航しています。

6月25日まで「すずらんまつり」が開催されています。

スズラン祭りの期間に、ゴンドラの往復券を買うと山野草が一個もらえます。

往復券は 大人1650円  子供800円 となっています。

上の写真はシカよけの扉です。

山野草をシカの食害から守るために湿原の周りをかこっています。

 

ドイツスズランも咲いています

 

大パノラマの中のスズランは絶景です。

他の野草のの話は明日にしましょう。


一年後の大切畑   5月のある日の様子です。

2017年06月16日 | 熊本地震

現在の大切畑の様子。

橋には修復工事のための青いネットがかかっています。

集落の解体予定の家の撤去はこの5月で終了したと聞いています。

一年かかったのですね。

山の杉が滑り落ちたまま。壊れた田や畑もそのまま。

畑の耕作は行われていません。

橋の下に見える旧道の白いガードレール。

道は途中で無くなっています。

橋の修復は再来年の3月に完成すると聞いています。

 

下の写真3枚は一年前の4月22日。  地震から1週間後の大切畑。

集落につながる道のほとんどが壊れ、集落の人たちは3日間助け合って過ごしたと聞いています。

その後山西小学校に避難したのでした。

あの日から長い一年だったでしょうね。

 

今ほとんどの人が2キロほど離れた仮設住宅に入っています。

仮設から毎日家の片づけと畑仕事に通ってきています。

橋の下の家にこいのぼりが泳いでいました。

男の子が生まれたのでしょうか。

こちらにもこいのぼりが泳いでいます。

いろんな願いが込められているのでしょうね。

大切畑の人たちは地震に強い村つくりを考えているそうです。

本の村に戻るのはそう遠くではないでしょう。

 

 

 

 

 

 


6月の萌の里   本格的な梅雨はこれから

2017年06月15日 | 俵山

「萌の里」の裏の芝の斜面から「萌の里」を望みました。

奥に見えるのは高遊原台地の稜線です。

断層によってつくられた崖線で熊本市内にまっすぐに伸びています。

西原村は熊本市と阿蘇山の間にあります。

熊本市のビルの屋上から見ると、西原の俵山は東にくっきりと見えます。

9時30分に開店ですが、今は9時です。

朝の光に包まれた休憩所。見た目よりも、はるかにさわやかですよ。

裏の芝生の斜面を上ってみますと。

草原に続きます。

牧草地は草が刈られた後です。

牧草地の境に「キジ」がいますが、わかりますか?

我が家の庭には今年になって狸が数回来ました。

私と1,2秒ほど見つめ会いますが逃げてしまいます。

イノシシは連休前まで毎夜来ていました。

草を倒して歩いた後と、鼻先で落ち葉の下のミミズを探した跡がありました。

キツネも早朝に吠いています。

カッコウが鳴くと、静けさが染み渡る気がしますよ。

「萌の里」には山羊がいます。

どの生き物にとっても梅雨は嫌な季節でしょうね。

大雨にならないことを願っています。


ハーブ庭園    薔薇園は見頃  

2017年06月14日 | 広場と公園

ハーブ庭園旅日記   バラ園

入場は無料です。

園内を案内してくれるガイドさんもいますよ。

 

珍しいバラは

グリーンローズです。

梅雨入りしていましたが、天気に恵まれ、さわやかな時間を過ごせました。


ハーブの庭  ハーブと薔薇と足湯(温泉)があります。1

2017年06月14日 | 広場と公園

山梨県の勝沼市あるハーブ庭園に行ってきました。

ハーブ庭園  旅日記

入場は無料です。

観光バスが数台来ていました。

私は始めていきました。

ハーブの説明をしながら庭を案内するガイドさんがいました。

大勢の観光客を笑を交えて見事なガイドです。

庭のいたるところにハーブの商品も置いてあり自由にお試しもできます。

もちろん見学の後は売店でお買いもの・・・ でしょう。

売店には、化粧品、ワイン、お菓子、ポプリいろいろありました。

ラベンダーはこれから咲きます。

レモンタイムはロックガーデンに。

水辺が涼しげです。

ゆっくり歩いて疲れたら

足湯の温泉で休めます。

熱い湯が気持ちよかったですよ。

緑に包まれるとリフレッシュしますよね。

案内してくれた友人に感謝です。


野焼きから3ケ月    梅雨の前の草原

2017年06月12日 | 山野草

草原は緑一色。

野焼きから3月が過ぎました。

日曜日なので工事の車やトラックは上がってきません。

ここより上に登ったところは地震後の修復工事が行われているのでしょう。

毎日大型車が登っていきます。

有明海の向こうに雲仙普賢岳も望めました。

上の写真に大切畑の橋の修復工事も見えますが、ここも今日の作業は休みです。

遠くから見ると山は平たんに見えますが、凸凹は多いのです。

シモツケの花が咲いていました。

 もうすぐギボシが咲きます。

8月にはキスゲやカワラナデシコが咲くでしょう。

梅雨になると草丈は恐ろしいほど伸びるのですよ。草原は元気ですね。

 


鉄砲を持った百姓   南郷往還(古道)をまもる

2017年06月11日 | 西原村の昔

 上の写真は真ん中のやや低くなったあたりが布田川上流。地震で崩れている。

 

 中ほどの長い稜線は断層が作った地形である。

布田川はこの断層に沿って流れ益城を抜け緑川に合流し、有明海に注いでいる。

布田川断層と呼ばれるのはそのためでしょう。

今度の地震もこの活断層が動いた。

断層に沿って西原村の集落があるので甚大な被害を受けたのである。

昔から火山灰の大地は干ばつが起きやすい地域だった。当然川沿いの場所に田畑を開いて生活していた。

江戸時代の記録によると、西原村に合併する前の旧山西村、および旧河原村の経済的な格付けは下の下である。

下の中にも上中下の区別はあったから、下の下という格付けは当時の村を推して知るべしである。。

 

下の写真は新所集落の村中の道。

集落は一列に並んでいる。だから道も直線となる。

 

 左右どちらも直線の道。

これには理由が。

新所は熊本から阿蘇に抜ける 俵山超えの道の途中にある。

新所から万徳の辻を通り山越えするのである。

ここ新所からは高遊原台地の隅々まで広く見渡せるため、見張りのために作られた集落なのである。

百姓は鉄砲を所持していた。

殿様上京の折に護衛として参加したこともあるそうだ。

 

 

 ガソリンスタンドの細道は南郷往還と呼ばれた古道である。

昔は掘り下げられた道であった。

兵が動くのを隠すためである。

 

 昔の面影を残す深い溝。ここも道だった

広い道になってしまっている。

今も昔も阿蘇と熊本を繋ぐ重要な道路であるのは変わりない。

南郷往還の思い出もあるが、又いつか。