宙(そら)日記

デモクラティックスクール宙(そら)、神戸サドベリーでスタッフをしていたターボウの個人ブログ

正直であるということ

2008-10-30 11:42:50 | 自分を生きる
有名な哲学者のヴィトゲンシュタインにこんな短いエピソードがあります。


彼がある人の家に訪問していました。


その家の夫人がヴィトゲンシュタインにお茶を注ごうとしていろいろと好みを聞こうとしました。


するとその家のおやじは夫人に「なんか適当に出しとけばいいんだ」と荒っぽく言い放ったそうです。


それを聴いたヴィトゲンシュタインはいたく感動したそうです。


ヘンな話かもしれませんが、わたしにはヴィトゲンシュタインの気持ちがよく分かるような気がします。


人のうちに訪問して、あれがいいかこれがいいかその家の人にあれこれ言われても、出される方は困ってしまうものです。


気が置けない友達と一緒にお茶を楽しむわけではありません。特別親しいわけでもない人とお茶を飲むのに、あれこれ飲み物を考えようとは普通思いません。また相手の人にいろいろ気を使われても疲れてしまいます。


それに、そこにはまだ心の通ったコミュニケーションはありません。やたら気を使われても、相手が自分という人間に対して本当に関心をもっていなければ、しらけるし、うっとおしいものです。




ある日宙(そら)で、外に遊びに行っていた子どもに、


「もう帰ってきたの?」


と聞くと


「Shut up!」


と言われたことがあります。


べつの子どもに


「最近どう?」


と話しかけると


「知るか」


と言われたこともあります。



わたしはそう言われたとき、そう言われるのももっともだと思いました。


私は子どもに何か話しかけたほうがいいと思って話しかけました。


しかしそこには、相手に対する本当の興味や、本当の関心はなく、おざなりの言葉をかけようとした態度があったのかもしれません。


相手が大人であれば、それに対して礼儀としての返答をしたでしょう。そして退屈な会話が始まったことでしょう。


しかし子どもたちは、そういう大人の無理な気遣いや、退屈なコミュニケーションを察知し、拒否したのだと思います。


デモクラティックスクールで子どもたちはよくおしゃべりをします。


しかし大人同士が、知り合いというだけで交わす、表面的にはさわやかで礼儀正しく、しかしとても退屈な会話はしません。


そういった偽善とは彼らは無縁なのです。


彼らはどこまでも自分に正直です。


だから素晴らしい、と私は思います。



>>子ども「が」まなぶ 「超」学校。
    都会のサドベリー・スクール
    デモクラティックスクール 宙(そら)

 〒662-0837 兵庫県西宮市広田町2-15
 Tel/Fax 0798-70-0777
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日本におけるデモクラティックスクールの「これまで」と「いま」を紹介した『自分を生きる学校』(デモクラティック・スクールを考える会編 せせらぎ出版)好評発売中 宙(そら)のメンバー・保護者・スタッフも書いてます。 


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あたらしいはな

2008-10-28 13:08:12 | 日常


今まで飾っていたお花が秋になって枯れてしまったのですが、保護者の方が新しいお花を持ってきてくださいました。


とてもきれいです。

世界と自由

2008-10-27 22:20:16 | 自分を生きる
わたしたち人は誰でも、自分の意思にかかわりなく、この世界に投げ出されて生を享けます。


そこから私たちの生は始まり、喜びと同時に、様々な苦しみも味わいます。


つまり、生きるということは、それによって人は様々な経験をするよう強いられることだと言えます。


では、生きるということは、私たち人間にとって、襲いかかってくる悪魔のようなものなのでしょうか?


もちろん違います。


人はなぜ生まれてきたのかは、証明不可能な神学を持ち出さなければ解決できない問いです。


しかし、にもかかわらず私たちは、生きることを<強いられる>経験ではなく、自分から行っていく経験へと変えることができます。


生まれるという一つの制約を課された人間が、それでもその制約を納得して受け入れるには、すべての行為をすべて本人が決めることができる環境が必要です。


完全な自由の下で、世界がどうなろうと、自分は自分ができることをなすものだという経験です。


世界とは自分の自由意思を発揮させるために存在するのだと意識することです。


すると、世界とは自分に課された制約ではなく、自分の自由を実現する場だということになります。


なぜ自分が生まれてきたのかは分かりません。


しかし自分には自由があり、その自由意思を発揮することができる、ということは分かります。


なぜ自分がこの世界に存在するのかは分かりません。


しかし世界は自分の行為を制約するのではなく、むしろ自分の自由意思が世界を作るのだということが分かります。


だからこそ自由は素晴らしいし、人に必要なものなのです。


無駄遣いするのは誰?

2008-10-25 14:55:34 | お金

子どもに対しては、おこずかいを多く渡すか少なくするかで多くの大人は悩むでしょう。


いずれにしても、子供であればあるほど、本来、お金の威力をよく知っています。


子どもは無駄遣いをよくするでしょうか?


私自身の経験を振り返ると、私は無駄遣いをあまりしていなかったと思います、小さい子どものころは。


友達と一緒にいる時にジュースを飲んだり、お菓子を買ったり、マンガを買ったり。


それはすべて私の楽しみに直結していました。お金を使うことで楽しい経験をしていたのです。


それは無駄遣いではありませんでした。


しかし小学校高学年以降から大人になった今に至るまで、莫大な無駄遣いをし続けました。


塾の月謝。おそらく月に1万数千円はしたでしょう。でも私は講師の話など聞いていませんでした。親も、よく考えて選んだ塾ではありませんでした。


友達が買うからという理由で買った服、車…。


本当に行く必要があったのかどうかわからない学校の学費。



他にもさまざまな無駄遣いをしています。





大人は子どもの無駄遣いを批判します。


しかし、私から見れば、大人の方がはるかに無駄遣いをしています。


たとえば、子どもへの教育費。勉強したいと思っていない子どもを無理やり塾に行かせても、間違いなく成績は上がりません。


たとえば、家。家のローンで多くの人が苦しんでいますが、そもそも本当に持家が必要なのかどうか検討している人は多くありません。また、家を売る側も、相手に本当にローン返済能力があるかどうかを検討しているとは限りません。とりあえず契約して、頭金と月々の家賃を払ってもらって、払えなくなったら家から追い出す業者も存在するのです。別のその業者がヤクザだというわけではありません。


たとえば車。週に一度しか乗らない車に、駐車場代などの維持費、車検代などを払い続けている人がどれほど多いでしょう?


たとえば、英会話学校。英語に限りませんが、本人が自覚的に家で一人でも勉強する姿勢を持たなければ、百万円払っても英語は身につかないでしょう。


たとえば、ブランド物のバッグ。海外旅行。健康食品。セミナー。…


どれほど大人は無駄遣いしているでしょう。


これらが無駄遣いと言えるのは、それらのものにお金を使っているときに、多くの大人は決して楽しんでいないからです。むしろ多くの人は「他の人もこれらにお金を払っているから」という理由でお金を出しているのです。


自分が何をしているときに楽しいのか、自分には何が必要なのかが分からないので、無駄なものにお金を払ってしまうのです。



デモクラティックスクールの子どもたちは、親からもらったお金でお菓子を買ったり、ゲームソフトを買ったりしています。


とても楽しそうです。


ろくに着ない服や、ろくに勉強しない英会話教材や、ろくに乗らない車にお金を払う多くの大人とは違います。


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参考:「世界一素敵な学校―サドベリー・バレー物語ブック指数」


デモクラティックスクール宙

2008-10-23 13:11:31 | はじめに


わたしたち宙(そら)は2000年から準備を始め、2004年にデモクラティックスクールとして本格的に活動を始めました。初めは少数のメンバーで活動していましたが、4年が経ち徐々にメンバーの数も増えています。


わたしたちメンバー・スタッフ一同はこの四年でデモクラティックスクールのさまざまな局面を経験してきました。各自がどんな遊びを追及するのか?遊びに必要なお金をどう管理していくのか?学校内のルールをどう決めていくのか?強制がない中でどういう動機で学校に来るのか?デモクラティックスクールのスタッフはどうあるべきか?四年間でこれら様々な問題にわたしたちは直面し、その都度解決してきました。その過程でわたしたちは自由と責任の本当の意味を理解し、デモクラティックスクールに対する理解を深めてきたのです。


デモクラティックスクールは現実の社会をいい方向へと変えていく可能性をもっています。子どもたちが自らの好奇心にそって好きなことをし、また学校内のルールをじぶんたちで決めることができる環境は、日々生きることの喜びと、責任感をもつ大人になるための経験を彼らにもたらします。そのような子どもたちが将来社会を担うとき、わたしたちの社会は今よりもさらにすばらしい社会になっていきます。


またデモクラティックスクールに子どもが通うことは、周りの大人をも変えていきます。もう大人は子どもをコントロールしようとはしなくなります。それは、「人はこう生きなければならない」という想いを大人自身が手放すことであり、その時には多くの人は自分の思い込みから解放され、自由に「自分を生きる」人生を歩むようになります。


デモクラティックスクールの存在は、そこにいる人を通じて、さざ波のように影響が広がって、社会を変えていくのです。


参考:「世界一素敵な学校」 つれづれに…

   「サドベリースクール」 親爺の子育て薀蓄

担う

2008-10-22 11:29:05 | 自由、選択、団体へのコミットメント


今日は曇り。


夜には雨が降るそうです。


明日は子どもの一人が大阪のフリースクールの人たちと野球をする予定なので、雨が降ると残念。


宙(そら)の人気スポーツは相変わらず野球ですね。



先日、20歳を過ぎたばかりの若い人がふたり見学に来てくださいました。先日TBSの『情熱大陸』で放送された「よみたん自然学校」を見て、その際に紹介されたサドベリー・バレー・スクールについての書籍『世界一素敵な学校』(緑風出版)を読んだつながりで宙(そら)に来られました。


三ヶ月ほど前には、まだ子どもがゼロ歳と二歳のご夫婦や小学校入学を控えた双子をもつお母さんが見学に来てくださいました。


若い方たちのあいだにデモクラティックスクールの存在は、少しずつ、でも確実に知れ渡っているようです。


宙(そら)のHPへのアクセスも半年ほど前に比べ倍ぐらいに増えています。



デモクラティックスクールのことを聞いて多くの人は、「学校の勉強をしないで好きなことをしている」という事実に驚きます。


たしかに学校の存在を自明視してきた私たちにはそれは驚くことですね。


でも、学校の勉強をしないで好きなことをするというだけであれば、フリースクールでもそのような状態になっていると思います。


あるいは、日本ではまだポピュラーではありませんが、アメリカの盛んなホームスクーリングもそのようなものですね。


そのフリースクール等とデモクラティックスクールとの最大の違いは、学校の運営を子どもたち自身が担っていることです。


例外なく、学校のすべてのルールに子どもたちの影響力が及んでいるのです。ご存知のようにスタッフの雇用に関しても。


デモクラティックスクールの特徴を「自由」の一言で済ますのは誤解を招くかもしれません。


むしろルールを自分たちで作る「責任」を負うということが、他の学校とデモクラティックスクールとを大きく分ける点です。


実際デモクラティックスクールで毎日働いていると、単に好きなことをするだけでは、とても学校として成り立たないように思えます。


どれほど「好きなことを何でもできる」と言っても、それだけでは学校に来る動機として成り立つとは限りません。


好きなことをするというのは、自分のあり方に責任をもつということです。同時に、学校のルールをつくるということは、団体=社会のあり方に責任をもつことです。


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時間

2008-10-21 11:39:34 | 時間


もう10月も下旬だというのに暑いですね。


宙(そら)も10月だというのに、窓はあけっぱなしです。


ときどきつめたい風が吹いてきますが、きもちいいですね。


宙(そら)のみんなも、毎日おだやかにすごしています。


こんな季節が続くといいですね。




でも子どもの意見では、秋というのはおもしろくない季節だそうです。


そんなものかもしれないですね。


私は20代後半になってから秋が好きになりましたが、それまではとくに秋に思い入れもありませんでした。


子どもにとっては、毎日、そのときそのときを生きるのに精一杯です。子どもにとっての時間は、過去と未来への想いがまざっていなくて、まさに“そのとき”をすごしています。


その中でも、デモクラティックスクールの時間は独特です。


学校での時間は45分・50分と明確に区切られ、生徒たちも時間をそのように明確に区切られたものとして意識します。


小学1年生から高校3年生までずっとそのように時間を意識します。


しかしデモクラティックスクールでは、子どもたちは時間をそのようには意識しません。時間は時計に支配されるものではなく、自分が何かをすることが時間への意識よりも優位になります。


世界は何かをするためにあるのであって、物事を時間に沿って処理するためにあるのではない、というように意識されているのだと思います。


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構築を見守る

2008-10-20 00:50:03 | 学び


ご存じのように、デモクラティックスクールでは子どもたちが自分の好きなことをすることができます。


しかし単に子どもにしたいことを自由にさせたいだけなら、わざわざ子どもを学校に行かせる必要はありません。衣食住を与えるだけで、あとは好きにさせていればいいだけです。


だから、子どもに好きなことをさせることと、デモクラティックスクールに子どもを通わせることとは違います。


また、デモクラティックスクールでは学校のルールを決めるミーティングに子どもも大人も平等な権利を持って参加することができますが、これはデモクラティックスクールが子どもを大人と同様に正しい判断力を備えているとみなしているからです。


しかし、だからといってデモクラティックスクールが子どもを完全に大人と同じとみなしているとは言えません。


そもそも大人と同じとみなしているなら、上で述べたことと同じように、わざわざ子どものための学校を作る必要はないのです。


もちろん子どもは大人と同じように物事を正しく判断する能力を備えています。しかし子どもは大人として社会に出ていくために準備はしなければなりません。ゼロ歳の子供を路上に置いていては、もちろんちゃんと育つことはできません。しかし、5歳の子供も10歳の子供も社会に出て行くには早いのです。


人間以外の動物を見てみてください。生まれていきなり親に見捨てられる子どもはいますか?


私たち人間だって同じです。


いきなり子どもを一人にしても世界で生き抜いていくことはできません。


では、子どもが大人として社会に出て行くまでにしていなければならない準備とは何なのでしょうか?


動物であれば狩りの仕方でしょう。


しかし、西洋社会は狩猟の段階をすでに通り抜けています。


農耕の段階も。


そして、工場で働く段階も、です。


これまでの学校教育は、工場労働に合わせて作られた教育でした。


それは文字通り工場労働だけではなく、官僚組織をも含んだ労働です。


大きな組織であれ小さな組織であれ、上からの命令に従うことを強いられる労働です。


今でもそのような労働は多く残っています。


しかし同時に、多くの人はもはや組織に属して上からの命令に従うだけの人生を選択しなくなっています。


自由への渇望です。


この自由への渇望は、自己実現への渇望、とも言ってよいものです。


単に制約がないことを求めているのではありません。


自分を実現することを求めています。


では、大人になって自分を実現するために、子どもが子供時代にしていなければならないことは何でしょうか?


それは、その子にしかわからないことです。


また、その子にしても、自分のやることが将来結び付くかどうかも分からないでしょう。


大切なのは、その子がそのときしたいことをできる環境を大人が整えていることです。


これは放任によって可能なことではありません。


子どもがしたいことをするには、それなりの空間が必要です。


また、親の目は届かない方がよい場合が多いでしょう。


子どもはただでさえ親に依存して生きているのですから、親の目を脅威に感じます。


だから、子どもがしたいことをできる環境と同時に、親の目が届かない環境が必要です。


またそこには、子どもがしたいことを手助けしてあげることができる大人も必要です。


しかし、同時に、親は子供に愛情だけでなく、信頼をも常に送っていなければなりません。


家に帰れば子供は親と一緒にるのであり、休日も一緒にいるのであり、つまりデモクラティックスクールに通っていても子どもは日々の大部分を大人と一緒に過ごしているのですから。


デモクラティックスクールは、大人の子どもへの信頼によって成り立っています。それは放任ではありません。


子どもが自分とスクール(=社会)を構築する過程を見守ることを意味します。


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参考:「秋と言えば…」 おどるかつおぶし。

   「斎藤保育とデモクラティック(サドベリー)スクール」 makko*sanのBLOG~沖縄人生エキスパート編~

クリスタルボウル・ヒーリングコンサートwithナートさん

2008-10-17 13:07:34 | お知らせ
直前になってしまいましたがイヴェントのお知らせです。

わあいでコンサートが行われます。ご興味のある方は是非足を運んでください。


《クリスタルボウル・ヒーリングコンサート》
日程 10月18日(土曜日) 13時開始
場所 わあい 香川県高松市塩江町安原下第3号581-2
参加費 3,000円

「自分を癒すことが世界を癒す」

わあいのおうちで、寝ながら聴くヒーリングコンサートです

流れる時間の中に、クリスタルの響きの中に入っていきましょう

クリスタルの音をいっぱい浴びて癒されてみませんか


家族での参加も大歓迎、子どもや赤ちゃんも大丈夫です。



○ナートさん(本名カンパナート・ブァホンブラさん)
 
タイの自然豊かなサンカブリにあるバントーファン(夢を織る家)という孤児や心に傷をうけた子どもたちが自立するための家を主宰。またクリスタルボウルの奏者として、癌の患者さんたちなどをサポートする活動をされています。2007年の愛地球博にもゲストとして招かれました。

主張する

2008-10-16 11:32:01 | 学校教育


弱い子どもとはどういう子どもでしょうか。


既存の学校に通う子どもの多くはある面で弱さを抱えています。


その面とは、


「なぜ勉強しなきゃいけないんだ?!」と愚痴ったり、叫んだりするところ。


どうして「なぜ勉強しなきゃいけないんだ?!」と愚痴るのでしょうか。


それは勉強したくないからです。


勉強したくないのに勉強させられているから愚痴るんですね。




でも、あえて厳しいことを言うと、彼らが愚痴るのは、大人に勉強しろと言われて、本当はしたくないのに、しぶしぶ従っているからです。


自分から「いや、私は勉強しません」という意思表示をせずに、本当は嫌なのに従っているので、文句を言っているのです。


彼らは自分から「勉強しませんん」という意思表示をしないし、また言ったとしても大人がそれを認めなければ、彼らはしぶしぶ勉強しなくてはなりません。食糧や衣服・住居を大人に依存している以上、子どもは大人に従わざるを得なくなります。


しかし、その代償は、その人を形成する重要な子ども時代を、愚痴・文句などで彩られるということです。


子供の頃にずっと愚痴っている子どもが、大人になってから愚痴や文句とは無縁の性格になれるでしょうか?難しいのではないでしょうか?


こうして、日本には、愚痴や文句を言う人間を大量に生産する制度が出来上がっています。



では「勉強しない」と主張して学校でグレる子どもたちは、強いと言えるでしょうか?


彼らはしたくないことをさせられることに反発している点では強いといえます。


ダニエル・グリーンバーグさんは『世界一素敵な学校』の中で次にように言います。


「実際問題として、サドベリー・バレー校では「問題児」の方が素晴らしい行いをしているのです。…理由は簡単です。「問題児」であることは、戦いを放棄していないサインだからです。こうした子供たちの尊厳を破壊し、矯正し、普通の鋳型に押し込もうとしても、彼(女)らは戦いをやめないのです。屈服を拒否するのです。反抗するだけ元気があるのです。
 確かに、彼(女)らのエネルギーが自己破壊的な行為に向かうこともあります。しかし、その同じエネルギーが、抑圧的な世界との闘いからひとたび解放されれば、自分自身の内面世界の構築へと速やかに流れを変え、よりよき社会の建設へと向かいさえするのです」

それに対して、より厄介なのは、社会や親の要請に順応してしまった「優等生」たちだとグリーンバーグさんは言います。


「社会の犠牲者とは「問題児」ではなく、実はこうした「優等生」なのです。何年もの間、外部の権威に寄りかかってばかりいたので、自分自身がなくなってしまったのです。目から光が、心の奥からは笑いが消えてしまっている。破壊的な行動は起こさなくとも、自分で建設するということを知らないのです。
 こんな子供たちにとって、自由とは恐ろしいことなのです。こうしなさい、ああしなさと、誰も命令してくれないのですから」



「問題児」と言われる子供は、既存の秩序に反抗する分、自分から秩序を作るパワーを失っていないということです。


だから本当に重要なことは、子どもに自分で秩序を作る機会を保証することです。


自分で秩序を作ることができるとき、子どもたちは「反抗」はしなくなります。


自己主張はするようになります。


大人の意見と違うことも当然言うようになります。


それは「反抗」ではありません。


ただ大人が期待する「子ども」像とは食い違うだけです。



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参考:「本田健 『自分の幸せに責任を持つ』 教育講演会」 国際結婚子育て主夫