宙(そら)日記

デモクラティックスクール宙(そら)、神戸サドベリーでスタッフをしていたターボウの個人ブログ

学校を作る

2009-01-29 21:42:40 | Weblog
今日は関西の大学院で勉強されている若い男の方たち二人が宙(そら)を見学に来てくれました。


お二人ともスーツでビシッと決めて来られたので、思いっきり普段着のこっちが恐縮してしまいました。


二人ともオルタナティヴスクールに強い興味を持っていて、自身で学校を作ることも考えているそうです。


だから質問の方も、立ち上げるのに資金はどれぐらい必要か、子どもと関わるのに大切なことは何かなど、かなり具体的なものでした。


二人とも子どもに勉強を教えることもしているそうですが、既存の教育に疑問も持っているようでした。



わたし自身は宙(そら)の立ち上げにかかわったわけではないので、「学校を作る」というものがどのような経緯で実現していくものなのか、分かりません。


ただ、普通の人は「学校を開く」ことは素晴らしいことだとは思っても、お金も労力も必要だし、まさか自分でできるとは思わないでしょう。


でも、実際に始めてしまった人たちが多くいるわけですし、そういった人たちの中には資産があったわけではない人もいます。


宙(そら)も、資産があるわけではない人たちが協力して出来上がった学校です。きっと、彼らはこどもたちにとって必要な場は何かを考えていくうちに、新しい学校を作らざるをえないようになったのではないでしょうか。


子どもたちとつき合うことが好きな大人がいて、既存の学校とは違う学びの場を必要とする子どもたちがいて、そういう子どもたちをサポートする親がいて、彼ら全体が必要性を強く感じて、学校を作らざるをえないような状況に進んでいったのだと思います。


それは、体全体で感じられるような必要性や腑に落ちるような感覚をもつことで、物事が動きだすようなもののように思うのです。


今サドベリーが日本中で動き出しているのも、そのように「どうしても作らなければ」という想いを強くもっている人たちがたくさんいるということなのではないでしょうか。



でも、宙(そら)に見学に来る本当に若い人たちにも「学校を作りたい」と言う人が少なからずいます。それは決して平たんな道ではないかもしれませんが、成功させて欲しいと思います。


わたしは


「人は強い願いをもつとき、それを実現させることができる」


と思っています。でも、それは世界が思考によって思い通りになるというわけではありません。


そうではなく、自分が本当に考えていることをよくわかったとき、その考えに沿って現実は動くということです。


だから、自分のことがわからないままでは、何を願おうと、現実は何も変わらないのでしょう。


「学校を作る」ということがその人にとって本当の望みであるような人たちが成功されることを願っています。

残り僅か!! 本田健さん講演会CD

2009-01-24 03:28:24 | お知らせ
本田健さんが8月に行ったサドベリー・スクール講演会のCDを本田さんのご好意でいただき、私ども「デモクラティックスクールを考える会」でも販売しています。

おかげさまで多くの方に申し込みいただいき、こちらの在庫も少なくなってきました。

この講演会をきっかけにして全国でサドベリー・スクールの設立運動が広まったほどの内容です。少しでも興味のある方はこの際にぜひお買い求めください


このCDの売上はデモクラティックスクールを考える会の広報活動に使わせていただく予定です。


みなさんお願いしまーす。


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デモクラティック・スクールを考える会支援CDの発売のお知らせ

  8月6日に行われた

「本田健×スコット・グレイ氏ジョイント講演会『自分を幸せにする』教育とは?~サドベリバレースクールの実践~」

のCDが本田健さんの事務所であるアイウエオフィスでつくられました。このCDを本田健さんとアイウエオフィスのご好意により、100セット限定で「デモクラティックスクールを考える会」で1000円で販売することができます。

売り上げはデモクラティックスクール全体の広報活動に使わせていただく予定です。


 「考える会」はまっくろくろすけと宙(そら)というデモクラティックスクール2校が中心となり運営している会です。


 CDがご入用な方は、

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申込先

・メール makkuro02@yahoo.co.jp
または
・電話&FAX 0790-26-1129
 携帯 090-9869-8012(ソフトバンク)

 まっくろくろすけ 黒田

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まで。申し込んでいただいた方に、代金の振込先口座(郵便貯金)をお教えいたします。

 私も東京で聞きましたが、とてもわかりやすくまとまった話でした。

 スコット・グレイ氏は現在サドベリー校のスタッフをしているのみならず、10歳から18歳生徒としてサドベリーにも通っていた経験があり、子どもとスタッフ両方の立場からデモクラティックスクールについて語れる数少ない人です。

 関心をお持ちの方はぜひ1セットどうぞ。


 08年11月
              デモクラティックスクールまっくろくろすけ
 黒田 喜美

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第3回デモクラティックスクール講座 

2009-01-23 10:20:24 | お知らせ
第3回デモクラティックスクール講座 


日時:2月15日(日) 午後2時から4時まで(開場1時30分)

場所:デモクラティックスクール宙(そら) 
   兵庫県西宮市広田町2-15
   (地図はこちら

   阪急西宮北口駅から徒歩12分
   阪急西宮北口・JR西宮駅から阪急バス「広田」バス停すぐ

申し込み:Tel/Fax: 0798-70-0777(お電話の場合、月から金・10~16時の間)
     e-mail: staff@ds-sola.com

定員:15名

料金:無料

対象:0歳から15歳までのお子さんをお持ちの方

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先日1月18日(日)に第3回デモクラティックスクールを開催し、お子さんをつれたご家族の皆様とデモクラティックスクールについて話し合うことができましたが、そこで話題になったことに、例えば四才などの小さい子どもの段階で子どもが好きなことをしえいるのを見て大人が何もしないことはいいのか?という問題がありました。


例えば、デモクラティックスクールでは子どもが朝からお菓子を食べていてもスタッフがそれを咎めることはありませんし、ゲームばかりしていても、もちろん注意したりもしません。


なぜなら、それがその子どもが一番したいことであり、一番したいことをすることが最大の学びにつながるからです。


親御さんの多くは、子どもにはいろいろなことを教えてあげなければならないと考えています。


しかし、デモクラティックスクールでは子どもは完璧な自由をもっています。それによって初めて自分の行為の責任を取ることを子どもは覚えるようになるとデモクラティックスクールでは考えているからです。


実際には、お菓子を食べる自由をもっていてもお菓子を食べ過ぎる子どもはデモクラティックスクールにはいませんし、ゲームをする自由をもっていてもゲームしかしない子どももいません。


このようなことは、大人にはにわかには信じられないことです。また、学校で完全な自由をもっているからといって、家庭でもなんでも好き勝手にさせることはできないと親としては思うかもしれません。


そこで次回のデモクラティックスクール講座では、親が子供に干渉することをめぐる問題をテーマにして、参加者の皆さんの意見を交換し合うことができたらと思います。


ご関心のある皆様のご参加をお待ちしております。


>>子ども「が」まなぶ 「超」学校。
    都会のサドベリー・スクール
    デモクラティックスクール 宙(そら)

 〒662-0837 兵庫県西宮市広田町2-15
 Tel/Fax 0798-70-0777
 公式HP


日本におけるデモクラティックスクールの「これまで」と「いま」を紹介した『自分を生きる学校』(デモクラティック・スクールを考える会編 せせらぎ出版)好評発売中 宙(そら)のメンバー・保護者・スタッフも書いてます。 


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意志

2009-01-20 12:35:14 | 学校教育
デモクラティックスクールでは子どもに完璧な自由が与えられているということに関して、では既存の学校はいらないのか?という疑問をもたれる人もいます。


デモクラティックスクールの良さを伝える上では、その対照として既存の学校の欠点をこのブログでも取り上げています。

その学校の一番大きな問題は、勉強を教えていることでもなければ、テストをすることでもありません。一番の問題は、学校に通う生徒自身がそこに通うことを自分で選択していないことにあります。あるいは、子どもが自分の通う学校を自分で選択できるし、またした方がよいということを子ども自身が意識するチャンスが存在していないことにあります。


そのために大部分の子どもは、自分が何をしたいのかが分らないまま学校に行き、したくない勉強を我慢してしています。


大人になってから考えれば、学校で教えている勉強は実はそれほど多い分量ではありません。その勉強を負担に感じるのは、単に興味をもてないからです。


勉強をしていることで「自分はがんばっている」と思うのは、それを面白いと思っていない証拠です。


逆に言えば、自分が好きなことをしていると、多少難しかったり分量が多めでも負担には感じません。また「がんばっている」とも思わないし、「義務を果たしている」などとも思いません。


あるいはたとえ好きではなくても、学校に来ることを自分で選択していれば(=コミットしていれば)、退屈さやつらさを感じることはありません。


実際、デモクラティックスクールに通っていても、子どもは「自分の好きなことをしていていつもハッピー!」というわけではありません。デモクラティックスクールにはワクワク症候群の子どもはいないと言ってよいでしょう。


それでも彼らが毎日のようにデモクラティックスクールに通うのは、ここで自分は学ぶのだと選択しているからです。それは外部の人が思うほど簡単なことでは決してありません。強制がないなかで、一つの行為を持続させるには、意志が必要なのです。


そのような経験は、彼らが学校を出た後の人生を豊かにします。


>>子ども「が」まなぶ 「超」学校。
    都会のサドベリー・スクール
    デモクラティックスクール 宙(そら)

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「学校を考える集まり」ありがとうございました

2009-01-19 13:55:35 | Weblog
先日お知らせした、第2回デモクラティックスクール講座「学校を考える集まり」を昨日宙(そら)で開催しました。


(お知らせした記事はこちら


雨の中を、小さいお子さんを連れたご家族の皆様が集まってくださいました。本当に有難うございます。(^-^)


みなさんこちらの話に熱心に耳を傾けてくださり、またご意見やご質問を活発に述べてくださいました。


子どもに完璧な自由(自由とそれに伴う責任)を与えるというわたしたちの考えを、みなさん違和感なく受け入れてくださっていました。そういう方々ばかりだったのでそれが自然な感じでしたが、実はすごいことなんだと思います。でも、子どもに対するコントロールを手放す考えは少しずつでも広まっていることを感じることができました。


一つ話題になったのが、コンピュータゲームや甘いものを小さい子どもにどこまで与えてよいのかということです。


デモクラティックスクールのスタッフの役割に

「子どもの安全を守る」

というものがあります。その「安全を守る」の中に、ゲームや甘いものを子どもに与えすぎないように配慮するということもあるのではないかとおっしゃる方もいました。


デモクラティックスクールは、宙(そら)の場合でも、また他のデモクラティックスクールでも、多くは4才から入学が認められています。それは、自分で自分のことを決め、行動できるのは4才からだとデモクラティックスクールが考えているからです。


ただ、何才から自分のことを自分で判断できるかは、親御さんぞれぞれで考えが異なるかもしれませんし、また子どもそれぞれで個人差もあります。


(他のあるデモクラティックスクールでは、入学を希望するある4才の子どもが、「まだ自分のことを責任を負える状態にない」という理由で入学を却下された例があります)。


ですので、小さい子どものうちからゲームや甘いものを自由に与えてよいのか、心配される親御さんもいらっしゃるのだと思います。


ここには、ゲームや甘いもののはどれほど有害かという難しい問題も横たわっています。


デモクラティックスクールの考えを受け入れてくださる中にも、ゲームや甘いものを子どもが自由に愉しむことができることがよいかどうか考えている人も多いのではないでしょうか。


宙(そら)では、子どもが甘いものやゲームを自由に愉しんでいても、スタッフが子どもに何かを言うことがありません。


デモクラティックスクールを運営しているのは子どもであり、子どもがしていることが他人に迷惑を与えていない限り、スタッフがそのことに何かを言うことはありません。スクールのルールを決めるのは子どもたちであり、スタッフを雇っているのも子どもたちだからです。


でも、この問題は、デモクラティックスクールの考えに共感してくださる人たちも交えてお話するのに値する問題であり、かつデモクラティックスクール自身の考えを世の中に言うのに値する問題だとも思います。


そういう問題についてまた話し合える機会を設けることも有意義だと思います。


>>子ども「が」まなぶ 「超」学校。
    都会のサドベリー・スクール
    デモクラティックスクール 宙(そら)

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サドベリーについて語る

2009-01-15 22:29:34 | Weblog
「子どもに何も強制しない」

「子どもは他人に迷惑をかけない限りで自分の好きなことだけをすることができる」

「学校を運営する主体は子どもにあり、学校のルールを子ども自身が決めなければならない」

 ………


こういったサドベリー・モデルの学校方針を聞くと、眉をひそめる人は少なくないでしょう。

大人はもちろんですが、学校教育を受けた子どもでも、そういう考え方を受け入れることができない人は多いかもしれません。


デモクラティックスクールで働いていても、自分がやっている学校は、世間の常識では相容れないだろうことは容易に想像できます。とんでもなく非常識でおかしなことをしていると人からは見えるのではないだろうかと思ったこともあります。


ただ、こちらに見学に来てくださる親御さんへの対応や、広報で人に会う時にデモクラティックスクールの上記の方針を話すと、すんなりと考えを受け入れてくれる人が多いことも日々体験しています。


「子どもに完璧な自由を与える」「何も強制しない」…


こういった一見非常識な方針でも、それほど驚かずにこちらの話を聞き、受け入れていただき、賛同してくれる人も多くいらっしゃいます。


それは、感覚的にその適切さを察知してくれているのではないかと思います。


思えば、私が初めてダニエル・グリーンバーグ(サドベリーの創立者)の著書を初めて読んだ時にも、それが聞いたこともない学校のあり方でありながら、

「これだ」

と深く納得できました。それも、頭ではなく、自分の経験と感覚から、その正しさを感じたのだと思います。


サドベリーの考え方に共感していただける人たちも、その学校方針の適切さを、頭ではなく感覚的に感じ取っていただけているのではないかと思えます。常識とはまったく真逆の方針であるにもかかわらず、こちらの話を聞いてもらえるのは、そういう理由からだと思います。


わたしは、サドベリーの素晴らしさを話すことはできても、サドベリーを受け入れることができない人を無理やり説得することは無理でしょう。それが常識とは異なる方針の学校である以上、どれだけ言葉を重ねても、他人の常識を覆すことはできないし、また無理にそうする必要はないし、第一それは相手に対して失礼です。


わたしがサドベリーについて語ることに意味があるとすれば、感覚的にデモクラティックスクールを受け入れる準備がある人に、共感してもらえる言葉を伝えることができたときだと思います。


わたしの言葉で人の考えを変えることはできません。私の言葉ができることは、相手の人自身の経験や感覚に響く言葉を伝えることだけです。


またそれで十分なのだと思います。


>>子ども「が」まなぶ 「超」学校。
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《♯6 年齢ミックス》 

2009-01-12 01:33:34 |  サドベリー関係者へのインタビュー
今回のサドベリー関係者へのインタビューで取り上げられているのは、「年齢ミックス」というテーマです。

《♯6 年齢ミックス》on YouTube


デモクラティックスクールは、学校としては限りなく現実の社会と似た構造をもった組織であることはこれまでも述べてきましたが、それを示す特徴のひとつが「年齢ミックス」、つまりいろいろな年齢の子どもを恣意的に隔てるクラスというものが存在しないことです。


既存の学校では自明視されているこの“クラス”という構築物は、すべての人間は同じ年齢のときに同じ学力を有するという考えに基づいており、またその考えを元にして“カリキュラム”“学習指導要領”というものが国家によって考え出されています。


しかし現実には、人にはそれぞれ得意不得意があり、またあることに得意になる年齢も人によって異なります。「一流大学」を出てその後まったく勉強しない人もいれば、30歳を過ぎてから勉強に目覚める人もいます。もちろん、どちらがいい悪いという話ではありません。ただ私が言いたいのは、この“クラス”というものの不自然さです。


この“クラス”により私たちは、学校という組織では同じ年齢の子供とだけ知り合うことができ、それ以外の年齢の子供とは「先輩」「後輩」という不自然な上下関係のみを通して知り合うことになります。


しかし、本当は私たちは知っているのです。10才の子供でもリーダータイプの子どもはリーダーだし、40歳でも人の指示に従うほうが合っている人がいることを。つまり、年齢によって人を分けることはおかしいことを。


仕事でもそうでしょう?若くてもできるビジネスマンはいるし、何年働いても向いていなければうまくやることはできません。


わたしたちは現実の社会において、人の能力と年齢など関係ないことを知っています。


デモクラティックスクールでは、違った年齢の子供同士が自由に交流できるし、(興味が一致すれば)一緒に受ける授業を行うよう提案することもできます。


現実の社会でも、年齢に関係なく、興味や利害関心が一致した者同士が集うように。


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Michael(16才、Jerusalem Democratic School)

「まず言いたいのは、年齢ミックスはデモクラティックスクールがもつ最も素晴らしい点の一つだということだよ。普通の学校では同じ年齢の子供としかつき合うことができないけど、ここでは同じ関心をもつ子供たちとつきあえるんだ」

Regina(20才、The Booroobin Sudbury Democratic Centre of Learning)

「わたしの一番の友達は13歳の子どもよ」

Seth(卒業生、Sudbury Valley School)

「年齢ミックスはとても重要なことなんだ。それによって子どもたちは、現実の社会がもつ荒波の雰囲気に溶け込んでいくようになるんだよ」

Michael(16才、Jerusalem Democratic School)

「5才の子供と15才の子どもの間に違いはないなんていうのは真実じゃない。でも人々は恣意的に、12才の子どものクラスに11才の子どもは入ることができないと考えている。そんなの意味ないよ」

Seth(卒業生、Sudbury Valley School)

「年齢ミックスが存在しないのは、既存の学校に行っている間だけだ。遊び場でも、職場でも、自分より年上の人とも年下の人とも一緒に時間を過ごすものだよね。どこに行ってもそうだよ」

Michael(16才、Jerusalem Democratic School)

「いろいろな年齢の子どもが参加した授業があったんだ。僕に1回ポルトガル語を教えた7歳の子どもがいたり、2ヶ月間多くの人にロシア語を教えた8歳の子供もいた。そのクラスはみんなが興味を持ったから始まったんだ」

Seth(卒業生、Sudbury Valley School)

「(デモクラティックスクールでは)年上の子どもたちが何かクリエイティヴで興味深いことをしていたら、年下の子どもがそれを見るんだ。小さい子たちがそれに興味を持ったら、彼らはそれについて話し合うんだよ」


Q 同じような年齢の子どもたちだけが参加している授業はないの?

Kelly(Jerusalem Democratic School, 14才)

「あるわ。でもそれはそうしなきゃならないからではないし、他の年齢の子どもが参加するのを禁止されているからでもないの。たとえば心理学の授業では13から14の子どもがちょっと多いの。でもときどき小さな子が授業に入ってくるし、彼らが興味を持てばそこに居続けるの」

Michael(16才、Jerusalem Democratic School)

「その一方では、哲学の授業ではあらゆる年齢の子供がいるんだ。部屋がいっぱいになるくらいにね。そこでは哲学を理解する子もいればできない子もいるけれど、それと年齢は必ずしも関係ないんだ」

Seth(卒業生、Sudbury Valley School)

「同じ年齢の子供と一緒にるのはたしかに楽しいよ。既存の学校では子どもはずっと同じ年齢の子たちと遊んでいるよね。でも、いろいろなタイプの人間と一緒にいるというのも、面白いことだし、大切なことなんだ。将来自分が経験しなければならない難しいことを今経験している年上の人と一緒にいるんだからね。そこから学べることもある。あるいは、自分がすでに経験した難しいことを今経験している年下の子供と一緒にいて助けてあげることもできるんだ。それは素晴らしいことだし、重要なことだよ」


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社会で生きて行く人になるための学校とは

2009-01-11 21:05:41 | おしゃべり
昨日の記事では、ルールについての話をしました。簡単に言えば、デモクラティックスクールでは集団のルールを守る意識が非常に高いこと。それは、ルールの源泉が子どもたち自身の決定にあることが理由です。


逆にいえば、自らがルールの源泉でないかぎり、ルールは人にとって束縛としか感じられず、またそれを自ら作り変えようとする意思も生まれないのです。


わたしたちがこの社会を民主主義的なものにしたいのであれば、「ルールとは自分が作り出すものである」という経験をする機会を子どもたちが持てるようにした方がよいと言えます。


もうひとつ、集団のルールの創造と遵守以外で、デモクラティックスクールで経験できる集団生活について。



わたしたちは既存の学校に通うことで、多くの人と関わっているように思いこんでいます。だからこそ、1000人近くの子どもが通っている学校に自分の子供を通わせる方が、大人になってから無理なく集団生活に溶け込んでいけるのではないかと思います。デモクラティックスクールに見学に来て、そう疑問を呈される親御さんもいます。


それに対して私自身は次のようにお答えしています。既存の学校では、まわりの人と関わることが著しく制限される、と。


学校に行けばたくさんの子どもが確かにいます。しかし、学校でのほとんどの時間を占める授業中に、生徒たちは他の生徒たちと話すこともままなりません。


まわりの子どもと楽しくおしゃべりをするという愉しみは禁止され、その禁を破る子どもは教師に注意され、叱られます。 


しかし、人と関わることは、人とおしゃべりすることを介してしかなされません。


学校でほとんどの時間を割かれている授業では、そこには子どもがたくさんいますが、子どもはまわりの子どもと関わることはできません。


また子どもたちは、教師と関わることもできません。教師は子どもたちに関わるよりも先に、授業をしなければならないからです。教師にとっては、自分が下す指示を子どもが呑み込んでいるかどうかが大切となり、子ども自身がどういう関心をもっているかは二の次とされます。


実際、学校で子どもが関わっているのは、人でもなく、先生でもなく、“指示”“命令”“規則”であると言えます。


授業、運動会、演奏会、合唱会、修学旅行… すべて集団を一つの方向に動かす指示があり、まずその指示を守るように子どもたちは求められます。


学校での経験を楽しいものと思い出すとき、実は私たちはその集団に対して下された“指示”を楽しいものとして思い出すことは稀です。


私たちが学校での楽しい経験として思い出すのは、授業と授業の間のたった10分ほどの休み時間だったり、学校が終わり解放された気分を味わった放課後の帰り道だったり、修学旅行で自由に行動することを許された時間だったり…


実は、学校の活動から解放されている時間を、私たちは楽しい経験として思い出します。そして、そのわずかな時間こそ、私たちはまわりの人間と関わることができるのです。


デモクラティックスクールに通っている子どもが異口同音に言うのは、そこでは友達と無限におしゃべりできることの素晴らしさです。


よく、社会に出てからは人づきあいが上手くできることが大切と言われます。相手に媚もせず、傲慢にもならないこと。そのように人と接することができて初めて、その人は社会でうまく人と接することができると言えます。


他人に対して傲慢な人が社会でうまく生きていけないのはもちろんですが、媚びへつらうことしかできない人もまた、他人に軽んじられるだけで、自分の望む人生を構築できない場合が多いでしょう。


人と対等に接する機会、それを無限に持てるのがデモクラティックスクールです。またそういう空間だからこそ、デモクラティックスクールの子どもたちは、おしゃべりの才能を限りなく磨きぬきます。


「会社で役に立つのは雑談力」という言葉を聞いたことがありますが、デモクラティックスクールの子どもの雑談ほど聞いていて面白いものはありません。場の空気を読み、ウィットが効き、ユーモアに充ち溢れているのです。


それは、「子どもは無垢・無邪気で礼儀正しいものでなければならない」という大人の幻想を容赦なく剥がします。しかしそこには、うわべだけを取り繕り、笑いながら生気を失っているような会話はありません。


大人になっても生き生きと働き、また生きている人も、同じようなのではないでしょうか。そういう人たちは、他人に対して失礼なことをせずに、かつ自分自身に対して正直でいて、自然な対等さで人と接しているのではないでしょうか。


そして、本当に人と関わる能力というのは、そのように自然な対等さで、人とおしゃべりできる能力なのだと思います。


だから私は、デモクラティックスクールに見学に来られる親御さんに言うのです。むしろデモクラティックスクールだからこそ、人と上手く関われる人間になります、と。


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望ましい社会のための学校とは

2009-01-10 23:05:26 | ミーティング、ルール、民主主義
デモクラティックスクールに見学に来られる保護者の方が、


 「デモクラティックスクールに通っていると、子どもが集団で生きていくことができなくなるんじゃないでしょうか?

 社会で生きていくためには、普通の学校の方がよいのではないでしょうか」

という質問をされることがあります。


これは、デモクラティックスクールを知り始めた大人がもちやすい疑問ではないでしょうか?

わたしたち大人は、1000人前後の生徒がおり、大きな建物にたくさんの人がいるあの学校を思い出し、そこにいれば多くの人間と関わっていると思うからです。




学校が、大人になって社会に出ていくための準備期間としての場を(も)備えた方がよいとは私も思います。そしてそのためには、学校が社会というものにできるかぎり近づかなければなりません。


しかし現実の学校はある点では現実の社会と類似しているのですが、ある点では現実の社会と全く異なっているのです。


まず、社会にも学校にもルールは存在するのですが、社会のルールが(一応)民主的に決定されているのに対し、既存の学校は一方的に上から子どもたちに与えられ、それを破ることはもちろん、異議を唱えることも許されません。


学校に存在するルールは学校の構成員である生徒の同意を得た制度ではないため、それは生徒にとって単に押し付けられたものとして機能します。


このような組織を子どもの頃から10年以上経験することにより、私たちには、「ルールとは上から与えられる束縛」という観念が埋め込まれます。


この「束縛としてのルール」は、現実の私たちの社会の法律とある点では似ていると言えるでしょう。


法律は、私たち「が」選んだ議員が制定しているという点で、一応私たち「が」作っていることにはなっています。


しかし現実は、私たちの意思を反映する法律を議員が発案することは稀ですし、また私たちの生活の実感から乖離した法案を官僚や「有識者」が考え出し、彼らと深い結びつきを持つ議員がその法案を議会で通過させています。


その点で、社会の法律も、学校の拘束と同じで、私たちにとって束縛の役割を果たします。国民の同意を得ていない陪審員制度や定額給付金制度が運用されるように。


だから、国や地方公自治体の法律に何の疑問ももたずに社会で生活を送るという点では、そのための訓練をする場所として学校はふさわしいと私は思います。


問題は、それが本当に私たちの望んでいる社会の姿かどうかということです。


学校における校則が上のような欠点をもっていたとしても、それによって社会の秩序を維持する人間が養育されているのであり、それによって今の社会は成り立っているのだから、既存の学校はその点で重要な役割を果たしていると考える人もいるかもしれません。


しかし、それは、秩序・ルールとは上から与えられなければ人は守ることができないという考えに基づいた考えです。


デモクラティックスクールで日々働いていて実感するのは、人は、そのようにルールを上から与えられよりも、自分でルールを作る方がはるかに規則遵守の精神を培うことができるということです。


デモクラティックスクールでは、ご存知のように、子どもとスタッフが平等に一票を持つミーティングで物事が決められていきます。


そこではルールが作られると同時に、既存のルールに疑問をもつ子供やスタッフはルールの変更を提案していきます。


「ルールとは自分が作るもの」


こういう意識をもつとき、人はどれほど真面目にルールを守るかを日々私は体験させられています。デモクラティックスクールの子どもたちの規律意識はとても高いものがあり、その厳しい目を自分にも他者にも向けます。規則を破る行為は、ミーティングの場で他の構成員から「訴え」られます。


ルールが単に上から与えられるとき、それに対して自立性を表明するためには、「破る」しかありません。既存の学校には、反抗のための反抗を繰り返す子どもがいますが、彼らは、とりあえず押し付けられたルールを「破る」ということしか思いつくことができないのではないでしょうか。なぜなら、「よりより学校とはどういうものか」「学校をよりよくするにはどうすればいいか」という問題を考える機会を小さなころから全く与えられていないのですから。


デモクラティックスクールの子どもたちは、反抗のための反抗のような無駄な時間を過ごしません。自分に不都合なことがあれば、変えるよう提案し、自分の主張の妥当性を周りの人に訴えればいいのですから。

デモクラティックスクールのよさは、「学校をよりよくするにはどうすればいいか」という問題につねに子どもたち自身が直面することです。他人任せではいられないのです。自分で学校の在り方を考えるのです。頭を使うのです。


社会と人生に対する建設的な態度とは、そのような環境によって初めて育まれるのではないでしょうか?


また、今の社会に求められているのも、既存の秩序を自分で作り変えていくことを当然と考えている人財ではないでしょうか?


わたしたちの社会を、その構成員自身がルールを作り出しながら、同時に疑問をもつ時には積極的に自分でルールを変えることができる社会にしたいのなら、つまり真の民主主義の社会を作りたいのであれば、学校も民主主義的なものにすることが望ましいでしょう。




>>子ども「が」まなぶ 「超」学校。
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Happy New Year 2009

2009-01-08 12:22:04 | Weblog


あけましておめでとうございます。


宙(そら)は今日から新学期です。


今日は天気がいいですね。


子どもたちも今日から学校に登校してきています。



私自身は子供の頃普通の学校に通っていたので、冬休みの終わりごろは宿題をしたり書初めをしたりで憂鬱だったのを思い出します。


学校に来るのが待ち遠しいという気持ちをもてるのは羨ましいです。


ことしもよろしくおねがいします!