弱い子どもとはどういう子どもでしょうか。
既存の学校に通う子どもの多くはある面で弱さを抱えています。
その面とは、
「なぜ勉強しなきゃいけないんだ?!」と愚痴ったり、叫んだりするところ。
どうして「なぜ勉強しなきゃいけないんだ?!」と愚痴るのでしょうか。
それは勉強したくないからです。
勉強したくないのに勉強させられているから愚痴るんですね。
でも、あえて厳しいことを言うと、彼らが愚痴るのは、大人に勉強しろと言われて、本当はしたくないのに、しぶしぶ従っているからです。
自分から「いや、私は勉強しません」という意思表示をせずに、本当は嫌なのに従っているので、文句を言っているのです。
彼らは自分から「勉強しませんん」という意思表示をしないし、また言ったとしても大人がそれを認めなければ、彼らはしぶしぶ勉強しなくてはなりません。食糧や衣服・住居を大人に依存している以上、子どもは大人に従わざるを得なくなります。
しかし、その代償は、その人を形成する重要な子ども時代を、愚痴・文句などで彩られるということです。
子供の頃にずっと愚痴っている子どもが、大人になってから愚痴や文句とは無縁の性格になれるでしょうか?難しいのではないでしょうか?
こうして、日本には、愚痴や文句を言う人間を大量に生産する制度が出来上がっています。
では「勉強しない」と主張して学校でグレる子どもたちは、強いと言えるでしょうか?
彼らはしたくないことをさせられることに反発している点では強いといえます。
ダニエル・グリーンバーグさんは『世界一素敵な学校』の中で次にように言います。
「実際問題として、サドベリー・バレー校では「問題児」の方が素晴らしい行いをしているのです。…理由は簡単です。「問題児」であることは、戦いを放棄していないサインだからです。こうした子供たちの尊厳を破壊し、矯正し、普通の鋳型に押し込もうとしても、彼(女)らは戦いをやめないのです。屈服を拒否するのです。反抗するだけ元気があるのです。
確かに、彼(女)らのエネルギーが自己破壊的な行為に向かうこともあります。しかし、その同じエネルギーが、抑圧的な世界との闘いからひとたび解放されれば、自分自身の内面世界の構築へと速やかに流れを変え、よりよき社会の建設へと向かいさえするのです」
それに対して、より厄介なのは、社会や親の要請に順応してしまった「優等生」たちだとグリーンバーグさんは言います。
「社会の犠牲者とは「問題児」ではなく、実はこうした「優等生」なのです。何年もの間、外部の権威に寄りかかってばかりいたので、自分自身がなくなってしまったのです。目から光が、心の奥からは笑いが消えてしまっている。破壊的な行動は起こさなくとも、自分で建設するということを知らないのです。
こんな子供たちにとって、自由とは恐ろしいことなのです。こうしなさい、ああしなさと、誰も命令してくれないのですから」
「問題児」と言われる子供は、既存の秩序に反抗する分、自分から秩序を作るパワーを失っていないということです。
だから本当に重要なことは、子どもに自分で秩序を作る機会を保証することです。
自分で秩序を作ることができるとき、子どもたちは「反抗」はしなくなります。
自己主張はするようになります。
大人の意見と違うことも当然言うようになります。
それは「反抗」ではありません。
ただ大人が期待する「子ども」像とは食い違うだけです。
>>子ども「が」まなぶ 「超」学校。
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参考:「本田健 『自分の幸せに責任を持つ』 教育講演会」 国際結婚子育て主夫