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宙(そら)日記

デモクラティックスクール宙(そら)、神戸サドベリーでスタッフをしていたターボウの個人ブログ

意志

2009-01-20 12:35:14 | 学校教育
デモクラティックスクールでは子どもに完璧な自由が与えられているということに関して、では既存の学校はいらないのか?という疑問をもたれる人もいます。


デモクラティックスクールの良さを伝える上では、その対照として既存の学校の欠点をこのブログでも取り上げています。

その学校の一番大きな問題は、勉強を教えていることでもなければ、テストをすることでもありません。一番の問題は、学校に通う生徒自身がそこに通うことを自分で選択していないことにあります。あるいは、子どもが自分の通う学校を自分で選択できるし、またした方がよいということを子ども自身が意識するチャンスが存在していないことにあります。


そのために大部分の子どもは、自分が何をしたいのかが分らないまま学校に行き、したくない勉強を我慢してしています。


大人になってから考えれば、学校で教えている勉強は実はそれほど多い分量ではありません。その勉強を負担に感じるのは、単に興味をもてないからです。


勉強をしていることで「自分はがんばっている」と思うのは、それを面白いと思っていない証拠です。


逆に言えば、自分が好きなことをしていると、多少難しかったり分量が多めでも負担には感じません。また「がんばっている」とも思わないし、「義務を果たしている」などとも思いません。


あるいはたとえ好きではなくても、学校に来ることを自分で選択していれば(=コミットしていれば)、退屈さやつらさを感じることはありません。


実際、デモクラティックスクールに通っていても、子どもは「自分の好きなことをしていていつもハッピー!」というわけではありません。デモクラティックスクールにはワクワク症候群の子どもはいないと言ってよいでしょう。


それでも彼らが毎日のようにデモクラティックスクールに通うのは、ここで自分は学ぶのだと選択しているからです。それは外部の人が思うほど簡単なことでは決してありません。強制がないなかで、一つの行為を持続させるには、意志が必要なのです。


そのような経験は、彼らが学校を出た後の人生を豊かにします。


>>子ども「が」まなぶ 「超」学校。
    都会のサドベリー・スクール
    デモクラティックスクール 宙(そら)

 〒662-0837 兵庫県西宮市広田町2-15
 Tel/Fax 0798-70-0777
 公式HP


日本におけるデモクラティックスクールの「これまで」と「いま」を紹介した『自分を生きる学校』(デモクラティック・スクールを考える会編 せせらぎ出版)好評発売中 宙(そら)のメンバー・保護者・スタッフも書いてます。 


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歪さ

2008-12-17 10:40:44 | 学校教育
全国統一テストの結果を公表するしないでいまだにもめています。


でも、もめるのは当然だと思います。


教科の内容を習得することに大部分の時間を割いているのであれば、その内容を子どもたちがちゃんと理解しているかどうかを確認したくなるのは、親や社会としては当然の心理でしょう。


大人が強制的に子どもに勉強を教えることを当然視している以上は、子どもにちゃんと勉強を教えることができているかどうかで教員の能力を測るのは当然だと言えます。


でも、学校が「教科」の内容を徹底的に習得する場だとはっきりすれば、その歪さも世の中の人にとってよりはっきりするのではないでしょうか。「教科」はわたしたちの生活の中でごく一部のことしか扱っていないのですから。

講義中の私語

2008-11-16 18:39:47 | 学校教育
「「授業中の私語による授業妨害について」。こんな掲示が関西の名門私立大学に張られていたと新聞コラムが紹介し、話題になっている。私語は、教授らが注意しても効かないほど酷いというのだ。」

「私語は授業妨害」学部長が掲示  11月14日20時55分配信 J-CASTニュース)


今さらこういう記事が出てきて驚きました。なぜなら私が大学に入学した約20年前から、「講義中の私語」は問題化していたし、学内の掲示板には学長(学部長?)による「私語が授業を妨害している」という警告が貼られていたからです。


もっとも、その私の通っていた大学に集中講義に来ていた他大学の先生は、「静かに授業を聴いてくれてありがとう」とわざわざ感謝していたぐらいなのですが。




「なぜ授業中に私語があるのか?」


友達としゃべるのは楽しいからです。あと、授業がつまらないから。


「じゃあ、なぜわざわざ授業に出てくるのか?」


単位が欲しいからです。


「なぜ単位が欲しいの?」


卒業したいから。


「なぜ卒業したいの?」


大卒証明が欲しいから(どれだけ役に立つのか分からないけど)。



授業中に私語が起きるのは、授業が学生にとってつまらないからです。


何かがつまらないと思うことに、学生に責任はありません。つまらないものはつまらないのですから。


学生たちに責任があるとすれば、そのつまらない授業を受けることを選んだのは彼ら自身だということです。


しかし、それが自分たちの責任だと意識するのは彼らには難しいでしょう。


大学生にとって、大学に通うことは小学校に通うことと違いはありません。


小学校に行けと言われ、中学に行けと言われ、高校に行けと言われ、大学を受験しろと言われて大学に彼らは来ているのです。そのようなレールの上を走っている以上、自分たちで何かを選択するという経験を彼らはしたことがありません。


決められたことをするように言われ育てられ続けた彼らに、いきなり大人の責任を求めるのは無理です。


また、大学というビジネスも、大人から「ああしろ、こうしろ」と言われ続けた子どもたちを頼りにしているビジネスである以上、自分の行動に責任をもてない子どもに寄りかかってビジネスをしているのです。


大学がビジネスとして成り立つのは、社会に有益な情報を提供しているからではありません。社会全体に「この社会で生きていく以上、大学には行っておかなければならない」という通念が広まっているおかげで、ビジネスとして成り立っています。これは、「偏差値」が「底辺」の大学だけでなく、「名門大学」も同様です。
「名門大学」であれ「三流私大」であれ、日本の大学は何千人と学生を受け入れて初めて成り立っているのですから。日本の大学のすべては大衆大学です。


「大学には行っておかなければならない」という通念は、「子どもは勉強しなければならない」という通念と同様に、子どもは大人になる前に強制的に勉強させられなければならないという考えです。これは教育ビジネスが寄りかかっている通念ですが、同時にこの通念によって、子どもたちは長い時間をかけて自由意思を破壊され、自分で物事を考える人間にはなれないようにされていきます。


大学に私語が起きるのは、「幼稚な教授」のせいではありません。大学に通うに至るまでの過程で、子どもの意思が徹底的に根こそぎ抜き取られている現状を改善しようとしない社会全体にあります。


大学が私語を防ぎたいのなら、その現状を変えることに大学自身が乗り出す必要があります。


もっとも、そうなれば「大学には行っておかなければならない」という幻想に惑わされない子どもは増えるかもしれません。しかし同時に、大学には行きたい人だけが行くようになるし、私語は減るでしょう。



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参考:「恥ずかしくて来られないでしょ?」 日本で、サドベリー。

意思統一

2008-11-09 14:25:54 | 学校教育
公立の学校で塾が授業をすべきかどうかが議論になっています。


こうしたことが議論を起こすのは、学校がどういう役割を担うのかについて学校内でも社会的にも意見が一致していないからです。


学校は元々軍隊あるいは会社組織に類似した団体です。軍隊と会社に共通するのは、組織の目標が一致しており(勝利あるいは業績向上)、その目標のために構成員は上から割り当てられた仕事を行うという点です。


そうした性格をもつ組織に、学校という場が類似すべきかどうかという点が、しっかり話し合われていないのです。


学校の役割が子どもの教科力を上げることだと意見が一致していれば、今回のような混乱は起きないでしょう。


一番いけないのは、今回の出来事で明らかなように、一つの団体の中で意思の統一が図られていないことです。


公立学校の役割として教科力の向上を外せないのなら、塾の授業を導入することに反対する理由はありません。


ただそのときに必要なことは、公立学校が教科力の向上を子どもに強制的に課すのなら、そういう学校ではない学校に通う自由を、すべての子どもに認めることです。


制度的にもそういう自由を保証することはもちろんですが、そういう自由の重要性を理解することも大切です。



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「足りない」

2008-11-02 00:20:50 | 学校教育
既存の学校教育には問題点はいくらでもありますが、そのひとつは失敗を許さないことにあります。


あるいは、失敗を失敗として、つまり取り消し不可能なものとして認識するよう子どもたちに強いているとも言えます。


完璧な子ども時代とは、戦後の日本では、最高の学業成績を修め、もっとも偏差値の高い大学に入ることとされてきました。この価値観は今もそれほど変わっていません。


「学力低下」「ゆとり教育の危機」とさんざん言われていますが、少し距離を置いてみれば、学校の成績がすべてであるという価値観は変わっていません。言い換えれば、学校の成績に代わる価値観が確立されているわけではないのです。


子どもの成績がよくなければ、「まぁ、この子の個性が伸ばせればいいか」と諦めの混じった感情でものを思う親御さんは多いでしょう。


しかし、もし子供の成績が良ければ、子どもが勉強を楽しんでいるかどうかは考えず、今のままでよいと多くの大人は考えるでしょう。


子ども時代は勉強ができればそれが一番いいと今でも多くの大人は考えているのです。


勉強ができることがいいと考える価値観は、日本という国の中で自分は上から何番目ぐらいの人間であると子どもに自覚させるよう強います。


たとえ偏差値60の学校に入っても、偏差値70の学校には入れなかったのだと子どもに徹底的に自覚させます。「おまえは偏差値が10足りない人間である」という考えを子どもは自分自身に対して言い聞かせるようになるのです。たとえ一生懸命勉強したとしても。


点数で人間を推し量ることは、「おまえは足りない人間だ」と自分自身に対してつねに言い聞かせる人間をつくることを意味します。


それはやがて、収入・肩書き・地位・世間体などでも「自分は足りない」と想う人間をつくることになります。


わたしたちの社会のほとんどすべての人は、「自分には何かが足りない」と思っています。


このことの異常さを是正するには、大人自身が、子どもを、自分の足りない部分を補う道具として扱わないことです。


また子どもが送る人生を、失敗・成功という視点で見ないことです。


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主張する

2008-10-16 11:32:01 | 学校教育


弱い子どもとはどういう子どもでしょうか。


既存の学校に通う子どもの多くはある面で弱さを抱えています。


その面とは、


「なぜ勉強しなきゃいけないんだ?!」と愚痴ったり、叫んだりするところ。


どうして「なぜ勉強しなきゃいけないんだ?!」と愚痴るのでしょうか。


それは勉強したくないからです。


勉強したくないのに勉強させられているから愚痴るんですね。




でも、あえて厳しいことを言うと、彼らが愚痴るのは、大人に勉強しろと言われて、本当はしたくないのに、しぶしぶ従っているからです。


自分から「いや、私は勉強しません」という意思表示をせずに、本当は嫌なのに従っているので、文句を言っているのです。


彼らは自分から「勉強しませんん」という意思表示をしないし、また言ったとしても大人がそれを認めなければ、彼らはしぶしぶ勉強しなくてはなりません。食糧や衣服・住居を大人に依存している以上、子どもは大人に従わざるを得なくなります。


しかし、その代償は、その人を形成する重要な子ども時代を、愚痴・文句などで彩られるということです。


子供の頃にずっと愚痴っている子どもが、大人になってから愚痴や文句とは無縁の性格になれるでしょうか?難しいのではないでしょうか?


こうして、日本には、愚痴や文句を言う人間を大量に生産する制度が出来上がっています。



では「勉強しない」と主張して学校でグレる子どもたちは、強いと言えるでしょうか?


彼らはしたくないことをさせられることに反発している点では強いといえます。


ダニエル・グリーンバーグさんは『世界一素敵な学校』の中で次にように言います。


「実際問題として、サドベリー・バレー校では「問題児」の方が素晴らしい行いをしているのです。…理由は簡単です。「問題児」であることは、戦いを放棄していないサインだからです。こうした子供たちの尊厳を破壊し、矯正し、普通の鋳型に押し込もうとしても、彼(女)らは戦いをやめないのです。屈服を拒否するのです。反抗するだけ元気があるのです。
 確かに、彼(女)らのエネルギーが自己破壊的な行為に向かうこともあります。しかし、その同じエネルギーが、抑圧的な世界との闘いからひとたび解放されれば、自分自身の内面世界の構築へと速やかに流れを変え、よりよき社会の建設へと向かいさえするのです」

それに対して、より厄介なのは、社会や親の要請に順応してしまった「優等生」たちだとグリーンバーグさんは言います。


「社会の犠牲者とは「問題児」ではなく、実はこうした「優等生」なのです。何年もの間、外部の権威に寄りかかってばかりいたので、自分自身がなくなってしまったのです。目から光が、心の奥からは笑いが消えてしまっている。破壊的な行動は起こさなくとも、自分で建設するということを知らないのです。
 こんな子供たちにとって、自由とは恐ろしいことなのです。こうしなさい、ああしなさと、誰も命令してくれないのですから」



「問題児」と言われる子供は、既存の秩序に反抗する分、自分から秩序を作るパワーを失っていないということです。


だから本当に重要なことは、子どもに自分で秩序を作る機会を保証することです。


自分で秩序を作ることができるとき、子どもたちは「反抗」はしなくなります。


自己主張はするようになります。


大人の意見と違うことも当然言うようになります。


それは「反抗」ではありません。


ただ大人が期待する「子ども」像とは食い違うだけです。



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参考:「本田健 『自分の幸せに責任を持つ』 教育講演会」 国際結婚子育て主夫

学力テストについて

2008-09-30 00:42:23 | 学校教育
学力テストに関する議論が続いています。


子どもたちにとっては、自分たちの成績が低いことで大人同士がいがみ合い、中傷し合っているのですから、健全な状況とは言えません。




学力を上げるために、学校に塾の先生を呼んだり、いろいろと行政は試みています。


しかし、学校で学ぶ内容が本当に子どもたちの将来に役に立つのかという議論はなされません。その点については疑いの余地がなしとされています。


もし私たちが生きていく上で学校の5教科を習得することが必要であるなら、わたしたちは大人になってもそれらでいい点を取ることができなければなりません。


しかし実際には、学校の教科の内容を全部忘れてしまっていても、私たちの大部分は仕事をしていくのに困らないはずです。



この「学力」という幻想にいつまでわたしたちはとらわれ続けるでしょうか。


大人になったときに必要なことは、問題に対して自分の力で対処していく癖を身につけていることです。


しかし、子どもたちに勉強を教えている人は誰でも知っています。


「勉強」を教えられてきた子どもたちは、人から指示されなければ動くことができないし、同時に人の指示をちゃんと聞くこともできない人間に育っているのです。


これがどれほど恐ろしいことか分かりますか。


全国の小学生の子どもは、学校、塾でこういう言葉を言い続けています。


「今黒板に書いたことはノートに書かなければいけませんか?」


大切なことは自分が理解しているかどうかであるのに、すべての動作を教師の指示に合わせなければならないと思っているのです。


もともとある学科に興味をもっている一部の子どもは、教師の指示にとらわれずに自分の興味で学びを進めていきます。


しかしその他の大部分の子どもは、自分のしたくないことを「しなければならない」と思い込み、本当はしたくないことをしているために、ぼーっとして教師の話を聞いていません。


まだ教師や大人に刃向う子どもはいいでしょう。


もっとも深刻なのは、やりたくないことをするために、自分の好奇心や興味を殺して、ひたすら大人の言うことに合わせようとする子どもたちです。


つまり、私たちの子ども時代のことであり、今の子供の大部分のことです。


彼らは自分の興味のないことをしているのですから、その教科の内容について自分で考えることなどしません。


また教師の話の内容を深く理解しようともしません。


とにかく、教師の言葉の表面的な部分だけをなぞろうとします。


結果的に、教師の話に合わせようとして、まったく的外れのことしかできないようになります。


こうして、既存の教育は、人の指示に従おうとしながら、人の指示の内容を理解することができない人間を大量に生み出しているのです。


彼らは、組織の中でしか生きていけないにもかかわらず、組織に必要な仕事もできない人間へと育っていきます。


わたしたちの社会の大部分はそのような人材で構成されており、今の教育もそのような人材を再生産しています。


でも、学力テストの点数などは教育にとって重要でも何でもないということに、多くの人は気づき始めています。


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したいこと・したくないこと

2008-09-21 02:51:29 | 学校教育
私が子供のころは、「不登校」という言葉も一般的ではありませんでした。登校していなかった子どもはいたのかも知れませんが、それが表に出てくることもありませんでした。



そもそも、なぜ子どもが「不登校」になると大人は心配して悩むのでしょうか?



子どもが働かないから悩むというのは、まだ理解しやすいことです。お金がなければ、働かなければ食べていけないと考えるのは、自然です。


しかし、子どもが学校に行かないから大人が悩むのはなぜなのでしょうか。


学校に行ってもお金は入ってきませんから、子どもが生きることと学校に行くことは結びついてはいません。


学校に行かないと勉強しなくなって、賢くならないからでしょうか?



でも、学校を拒否するという選択をできる子が、賢くないなんて言えるでしょうか。




むしろ、学校教育の最大の問題点は、学校に行きたくないにもかかわらず、行きたくないという自分の気持ちをちゃんと見ようとしない子どもを大量に生み出していることです。


本当なら明るい子どもも、元気な子供も、その多くは学校に行くことにより、やりたくない勉強をします。彼らはそれをやりたくないにもかかわらず、「やらなければならない」と思い込んでしまっているのです。


やりたくもないことを、「やらなければならない」と思い込む。


これがどれだけ異常なことか、わかるでしょうか。


登校しない子どもは、自分が何をしたくないか、できないかが分かっている人たちです。


それに対し、学校に通う子供の大部分は、したくないことを「しなければならない」と思い込み、自分のしたいこととしたくないことの区別がつかなくっているのです。


学校に行かない子どもの未来がどうなるかはその子どもたち次第です。


しかし既存の学校に行っている子どもの大部分は、したくないことを「しなければならない」と思い込む癖を身に着けたまま大人になります。


そうやって彼らは、したくないことを一生続ける恐れがあります。


怖いことではないでしょうか。



世の中の多くの人は、学校の勉強をちゃんとしなければ生きていけないと思っています。単に学歴の問題ではなくて、学校で勉強して賢くならないと、社会人としてやっていけないと思っています。


しかし、では仕事場で使う知識のことを考えてみましょう。


お金を生み出すには、「営業」という仕事は不可欠です。


でも、私たちは知っています、誰もが営業に向いているわけではないことを。


お金の管理には「簿記」の知識が必要です。


でも、私たちは知っています、誰もが簿記が得意になるわけではないことを。


ビジネスを拡げるには、英語を使って国際的な取引をすることが必要です。


でも、私たちは知っています、誰もが英語ができるようになれるわけではないことを。



私たち大人はちゃんと知っているのです。人にはそれぞれ向き不向きがあるし、それに逆らって向いていないことを無理してやる必要がないということを。


営業に向いていない人を毎日教室に閉じ込めて営業の勉強をさせたら、その人が鬱になっても仕方がないことを私たちは知っています。


すべての女性が専業主婦に向いているわけではないことを私たちは知っています。



なのに、不思議なことに、子どもには、その子の向き不向きを考えずに、毎日学校に行かせて勉強させようとします。


そんな状況で、学校に行くことを拒否する子どもが出てくるのは、きわめて自然なことです。



デモクラティックスクールは学校のひとつです。同じ学校の一つとして、あえて既存の学校の歪さを指摘しました。


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特別な空間

2008-09-07 00:25:17 | 学校教育
“モンスター・ペアレント”が話題になって久しくなります。


学校の先生の不祥事がメディアで取り上げられる一方で、今度は無理な要求をする保護者が注目を浴びています。


親が学校に無理な要求をするのは、子どもの教育現場に親が意見を言う権利があるという意識が浸透しているからでしょう。


同時にそれは、子どもの環境をできるだけ自分の思うようにコントロールしたいという親の欲求の表れです。


デモクラティックスクールには、そのような親がスクールに介在していく余地はできるだけ限定されています。


また日々の学校運営に親が介入する余地はありません。


学校に突然来ることもできません。


なぜなら、ここは子供が自治的に運営していく学校であり、親にはそれにかかわる権利がないからです。


親と子供とは保護する者と保護される者の関係にあり、必然的に親は子供にとって強い存在となります。それはよい悪いの問題ではなく、おそらく人類普遍の事実です。


家庭では、親は子供に食事・衣服・住居を与える強い存在で、それは子供の成長にとって必要です。


しかし、子どもに自立心と責任感をもってもらうには、子どもが自分で行動し結果に責任をもつ領域が必要になります。


学校とは、本来そのような領域になっていなければなりません。


近代の学校は、しかし、子どもが自分で物事を選択する機会を奪ってきました。学校における集団生活は、工場や軍隊と同様に、子どもにとっては命令に従うことだけを覚える空間になりました。


教育現場の先生は、ほとんどすべての子どもは教師の指示がなければ動くことができなくなっていることを知っているでしょう。


デモクラティックスクールは、近代の学校が奪ってきた、子供が自立していく機会を取り戻している場でもあります。


カリキュラムを廃止し、また集団生活のルールを子どもたちで決めることで、自分のいる場は自分が作っていることを子どもたちは自覚できるようになっています。


もしそのような場に親の要求が入ってきたら、どうなるでしょうか?


家庭の権力関係が学校に持ち込まれ、子どもは自立・選択・責任といったことを学べなくなってしまいます。


ついつい学校に要求をしてしまう親御さんは、ぜひ考え直してみてください。その行為は、子どもが自立する機会を奪っていることを。



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全国学力テスト

2008-08-31 01:28:34 | 学校教育
今年も、全国学力テストというものが行われていたそうです。


やはり私には、無意味なことに膨大な予算と労力が使われているという印象をもってしまいます。


結果はいつもと同様に、基礎力を問う問題はできても応用力を問う問題は点数がたりないというもの。


このことを憂慮する人たちには、「では、基礎も応用も解くことができる子供が多かった時代が今までに存在したのですか?」と聞いてみたいです。




こどもたちが基礎力を問う問題でそこそこ点数を取れるのは、それらの問題は単純な反復練習で対処が可能だからです。


では、なぜ応用力を問う問題で点数が低いのか。


応用問題は、頭を使う必要があります。考える必要があります。つまり、面倒です。


面倒なのだから、点数が低くて当たり前ではないでしょうか。


では、人はどういうときに面倒な問題でも取り組もうとするのでしょうか。


その問題に興味があるときです。


では、人はどういうときにある問題に興味をもつのでしょうか。


興味をもつときです。




人は興味あることにはずんずんと取り組むし、自分で調べもします。


興味のないことには、どれだけがんばっても真剣に取り組むことはできません。真剣に取り組むふりをするのが上手くなるだけです。


既存の学校教育の問題は、そのような“真剣に取り組むふり”をする癖を子どもたちに植えつけてしまうことです。真面目な子はとくにです。


わたしは、「学力低下」という現象は、子どもたちが自分に興味のないことには真剣に取り組もうとしていないサインであると思っています。


それは、とても健全なサインではないでしょうか。


わたしは、人は面倒なことに取り組む必要がないと言いたいのではありません。


ひとは、生きていくためには面倒なことに対処する必要があります。


でも、生きる目的とは、自分の好きなことや興味あることをするためでしょう?


その好きなことや興味のあることをしていくために、面倒なこともしていかなければならないということではないでしょうか。


しかし既存の学校教育は、子どもに自分が何が好きなのかを探求させようとはせず、ただ面倒なことだけをさせようとしています。


少なくない数の子どもを見ている私にとって、やはりそれは愚かなことだと思うのです。



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