宙(そら)のみんなは掃除が嫌い。
ホントに、呆れる、じゃなくて感心するぐらい掃除が嫌い。
あんまり嫌いなので、自分たちが掃除するのをやめて、スタッフにしてもらうことにかつてのミーティングで決まりました。
そういえば、学校では子どもたちがみんな掃除させられますね。
自分たちの使う教室だから、子ども自身で掃除するのは、当たり前。
それも一つの考え方ですね。
ただ、義務教育で、自分で選んできているわけではないのに、掃除させられるのですが。
宙(そら)では、そしてデモクラティックスクールでは、子どもたちは自分のすることを自分で決めます。
そのような環境の下で、子どもたちは自分のしたいことはするし、したくないことはしない、という意思決定することを習慣として身につけていきます。
宙(そら)の子どもたちは、そうじをしない、と決めました(いや、まったくしないわけではないですが)。
そういうのを見て、なんとなく、潔い! 健全! だとわたしは思った。
しなければならないことはしなければならないけど、回避できるいやなことはしない。
先日も、部屋に置いてあるござを「捨てていいか?」とみんなに聞いたら、みんな「いい」と答えてくれた。
このござはかなりでかくて、メンバールームのかなりのスペースをとってしまっている。
じゃまなものは消えるにかぎる。
でもこのござを燃えるゴミとして捨てるには、小さく切らないといけない。
そこで「みんなでジャンケンして負けた人が切ろう」というと、誰も賛成しない。
つまり、ござを捨てるのはいいけれど、わざわざ重くて堅いござを切る労力をつかってまで捨てたいわけでもないのです。
大人はいつも、
「部屋を掃除なさい」
と子どもに言います。
でも子どもはそんな潔癖症にはかかっていません。
生活に困らなければ、ある程度汚くても生きていく生命力を子どもはもっています。
だから、する必要のない掃除はしない。
それはたくましさのあらわれだとおもう。