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宙(そら)日記

デモクラティックスクール宙(そら)、神戸サドベリーでスタッフをしていたターボウの個人ブログ

ごあいさつ

2009-09-30 01:32:52 | Weblog
このブログを開設したのは2008年の5月、私がデモクラティックスクールのスタッフになったときでした。


デモクラティックスクールの存在を知ってまだ二ヶ月ほどだったので、人生の急展開に驚いていたものです。


このブログは、当初個人ブログとして始めました。それまでデモクラティックスクールを知らなかった人間が、中で働いてみて見たこと・思ったこと・感じたことを書き留めることは、これからデモクラティックスクールで働こうとする人たちにとって参考になるかもしれないと思ったからです。


その後、2009年9月で私はデモクラティックスクールのスタッフを辞任しました。今は、もう一度最初から、自分が求めている学校について考えたいと思っています。

別のブログでその後の考えも述べていっていますし、また近いうちにみなさんとも直接お会いできる思います。


同じ価値

2009-07-31 12:04:59 | Weblog
私たちは今、これからこの学校をどういうように発展させていくべきか、よく話し合っています。


デモクラティックスクール(サドベリースクール)にかぎらず、学校を運営していく上では、どのようにして人を増やしていくのかということはつねに問題になります。学校を運営するのにはお金がかかるのですから、生徒は多くいたほうがいい。でも、それ以上に、学校として充実するために、子どもは多くいたほうがいいのですから。


でも、ふと思ったのですが、この「人を増やす」という視点が、そもそも間違っているのかもしれない。


「人を増やす」ことを目標にするなんて、まるでテストでいい点を取ることを目指す小学生みたいです。


人がいなければ団体は維持できませんし、そもそも人が集まらない団体は社会的に存在価値がありません。だから、団体には人が必要です。


では、デモクラティックスクール(サドベリースクール)の存在価値って何なのでしょうか。


デモクラティックスクールの中で生まれるもの、それはデモクラシーです。


デモクラシーに価値があると考えること、それがデモクラティックスクールの出発点です。そこに価値があると思わなければ、デモクラティックスクールをする意味がありません。


デモクラシーとは、一人一人が互いに対等な権利をもち、その意思を自由に表明し、団体を運営することができる制度です。


この、互いの対等さこそ、デモクラシーの根幹です。


デモクラティックスクールに通う子どもはスクールでその対等さを体験します。彼らは自分と他人が等しく同じ価値をもつ人間であることを、日々実感していると思います。


そこで働く大人も、その対等さを学びます。子どもたちや他のスタッフとの間で対等な関係を築くことを要求されます。


子どもがデモクラティックスクールに通っている親も、対等さを経験します。スクール内での日々の出来事に親が意見を言うことは基本的にできませんが、年毎の予算などスクールの方針を決定付ける大きな話し合いでは、自分と他人が同じ影響力を行使できることを体験します。


こうした対等さからなる団体も、人がいなくては団体として成立できません。


と同時に、対等さに価値を置いている以上、その団体にとって、人とは自分と同じ価値を持つ存在であり、団体を存続させるための道具や手段にはできないのです。


企業は違います。企業にとって顧客は団体を存続させる手段です。だからこそ“サービス”します。いろいろなことを“してあげる”のです。


でもデモクラティックスクールは、自分たちを維持させるための手段・道具として人を見ることはできません。人と人は同じ価値をもつのですから。

私たちは今、これからこの学校をどういうように発展させていくべきか、よく話し合っています。


デモクラティックスクール(サドベリースクール)にかぎらず、学校を運営していく上では、どのようにして人を増やしていくのかということはつねに問題になります。学校を運営するのにはお金がかかるのですから、生徒は多くいたほうがいい。でも、それ以上に、学校として充実するために、子どもは多くいたほうがいいのですから。


でも、ふと思ったのですが、この「人を増やす」という視点が、そもそも間違っているのかもしれない。


「人を増やす」ことを目標にするなんて、まるでテストでいい点を取ることを目指す小学生みたいです。


人がいなければ団体は維持できませんし、そもそも人が集まらない団体は社会的に存在価値がありません。だから、団体には人が必要です。


では、デモクラティックスクール(サドベリースクール)の存在価値って何なのでしょうか。


デモクラティックスクールの中で生まれるもの、それはデモクラシーです。


デモクラシーに価値があると考えること、それがデモクラティックスクールの出発点です。そこに価値があると思わなければ、デモクラティックスクールをする意味がありません。


デモクラシーとは、一人一人が互いに対等な権利をもち、その意思を自由に表明し、団体を運営することができる制度です。


この、互いの対等さこそ、デモクラシーの根幹です。


デモクラティックスクールに通う子どもはスクールでその対等さを体験します。彼らは自分と他人が等しく同じ価値をもつ人間であることを、日々実感していると思います。


そこで働く大人も、その対等さを学びます。子どもたちや他のスタッフとの間で対等な関係を築くことを要求されます。


子どもがデモクラティックスクールに通っている親も、対等さを経験します。スクール内での日々の出来事に親が意見を言うことは基本的にできませんが、年毎の予算などスクールの方針を決定付ける大きな話し合いでは、自分と他人が同じ影響力を行使できることを体験します。


こうした対等さからなる団体も、人がいなくては団体として成立できません。


と同時に、対等さに価値を置いている以上、その団体にとって、人とは自分と同じ価値を持つ存在であり、団体を存続させるための道具や手段にはできないのです。


企業は違います。企業にとって顧客は団体を存続させる手段です。だからこそ“サービス”します。いろいろなことを“してあげる”のです。


でもデモクラティックスクールは、自分たちを維持させるための手段・道具として人を見ることはできません。人と人は同じ価値をもつのですから。


デモクラティックスクールに“人が増える”ことはあっても、“人を増やす”ことはできないように思います。



>>>ターボウ

>>>ターボウ

いろいろ

2009-06-13 08:09:47 | Weblog
最近、見学に来られた人から、


「広い場所に移らなければサドベリーはうまくいかない」と考えていたら、広い場所に移ったら燃え尽きるんじゃないですか?と言われました。


たしかに、「広い場所に移れば上手くいく」と考えるのは浅はかかもしれない。


こうした感想とは裏腹に、私は次のようなことも思いました。

今日の神戸サドベリーファウンディング会議では、サドベリーモデルの成功に不可欠なのは何か?という問いが出て、わたしは「多くの空間があること」を答えました。本を読むこともできればゲームできるし絵を描くこともできれば音楽もできて粘土をこねることもできれば料理をみんなですることもできる。そういうようにいろんな部屋があることが必要のように思えたのです。

いろいろな可能性を感じれること。


そのような可能性があることで、小さい人たちの活動も活発になるように思った。


これは、学校の中に多様性をつくりだすということでもある。


一つの学校の中にたくさんの活動があるということ。つまり人間のいろいろな側面が同時に見られるということ。


これがサドベリーモデルかな。


いろいろな人がいていろんなことをしているということ。

第3回デモクラティックスクール講座、ありがとうございました!

2009-02-17 12:39:25 | Weblog
3月21日(土)神戸で本田健さんをお迎えして教育講演会を開きます。

興味のある方はぜひ講演会の詳細をご覧ください。




2月15日(日)に第3回デモクラティックスクール講座を宙(そら)で開催しました。お子さんを連れた親御さんたちが来て下さいました。


15日のテーマは、要するに「親は子どもに干渉してよいか?」という問題でした。


1 親子が対等な関係になることの難しさ

そこでまず私がお話したのは、親子が対等な関係になることの難しさです。

親という存在は子どもに衣・食・住を与えようとし、多くの子どもは小さいうちは親と一緒に生きていきます。親は子どもを親に依存させつつ自立させようとし、子どもは親と一緒に暮らしながら自立することを学ぼうとします。このパラドックスがあるゆえに、親子関係では衝突・葛藤が生じやすくなります。

親は子どもを「ちゃんとした大人」にするために生活習慣などいろいろなことを躾けようとします。しかしそうした干渉をすればするほど、子どもは自分の自由を奪われることに抵抗します。

これは親子関係というものに本来孕まれている困難です。



この“親は干渉してよいかか”という問題は多くの親御さんを悩ませています。たとえば、家でずっとゲームをしているわが子を見ると、多くの親はもっといろいろなものに目を向けてほしいと思います。

あるいは、何かに熱中していて生活習慣が乱れているように見えると、親としては子どもに注意したくなります。

15日の集まりでは、そういった不安について、参加してくださった親御さんたちが普段思っていることをシェアしてくださいました。

たとえば子どもがゲームをする時間を区切っている親御さんもいらっしゃいますし、まだ子どもがゲームをしていなくても、将来するようになることが不安になる方もいらっしゃいます。


ただその一方で、ゲームに夢中なお子さんが攻略のために自分でいろいろな調べ物をしている姿を見て、少しゲームに対する考えが変わることもあるようです。

あるいは、わたしが「学者が寝食忘れて研究している姿を見たらどう思いますか?」と問いかけると、それはカッコいいとも思うし、でも生活をちゃんとした方がいいと思うとおっしゃる親御さんもいます。

私自身は学者が自分の研究に夢中になるのも、子どもが(子どもに限らないですが)ゲームに夢中になって自分でネットで攻略法を調べるのも、同じことだと思っています。

つまり、人に教えられたことを覚えるのではなく、自分から解答を調べるというのはすごいことだし、そのときの人の思考力は、あるいは(今流行の言葉で言えば)“脳”はものすごく働いているのだと思います。また“学び”とはそういう行動をこそ指すのだと思います。


2 デモクラティックスクールの役割

しかしいずれにせよ、親が子どもの行動を見て、干渉しようとすることは避けられません。そのように家庭では親が子どもに干渉せざるを得ないのに対し、デモクラティックスクールは子どもが自分ひとりで自由に判断できる機会だといえます。そこでは大人と子どもは対等な関係にあり、子どもは自分のすることを自由に選択でき、その責任を背負います。


3 <小さな干渉>を最小化する


デモクラティックスクールとしては、大人が子どもに干渉することは最大限少なくしていいということを主張しています。4歳以上の子どもには大人と同じ判断力が備わっており、彼ら自身の判断・選択を信頼してもいいのだというメッセージを発しています。

その場合、また同じ問題に戻るのですが、ではどこまでなら大人は干渉してよいかという問いが生じます。


サドベリー・バレー・スクールのダニエル・グリーンバーグさんは、この問題を考える際に、「大きな干渉」と「小さな干渉」とを分けます。

「大きな干渉」とは、要するには家族ぐるみの引越しなど、子どもの生活を左右せざるを得ない大きな決断です。

それに対して、「服装」「食べ物」「趣味」などについて親が子どもに意見を述べることは<小さな干渉>であり、これは最小化することが大切だと彼は言います。

たとえば「服装」について、

「子どもたちがその時、快適だと思うものを身につけているかぎり、彼・彼女たち自身、寒さや不快を感じないかぎり、わたしたちはそれでよしとしなければなりません。・・・
 服装に関することで自分の本能に従い自分で決めている子どもの方が、そうでない子どもより病気にならないのです」


あるいは「食べ物」について。私たちは「正しい」食べ物を食べさせないと子どもたちは生きていけないと考えているのですが、来る日も来る日も、その年も、次の年も、ケロッグばかり食べている子どもがサドベリーにいたそうです。しかし・・・

「この子のことでいちばん面白かったのは、ある冬の出来事です。ほかの子が風に片っ端からやられている中、この子だけは一度も風邪を引きませんでした。これがどういうことなのか、わたしにもよく分かりません。
 たぶん言えることは、・・・大抵の場合、子どもが何を、何時、食べているかは、それほど干渉すべきことではない、ということです」(『自由な学びが見えてきた』緑風出版 p.89-91)。


服装にせよ食べ物にせよ、わたしたちはそれを子どもの命にかかわると考えがちです。

悪い食べ物は健康を害し、乱れた服装は人生の破滅の兆候ととらえます。しかし、わたしたちが“神経質”になることのほとんどは、この「小さな決断」にかかわることであり、実はそれほどたいしたことではないとわたしも思います。


4 ゲームは他の遊びと違うのか

そして、ゲームです。


大人がゲームをする子どもに不安を感じるのは、あたかも子どもがコンピュータにコントロールされているようになり、子ども自身の自律性・思考力が鈍るように感じるからでしょう。

ゲームは、コンピュータによってプレイする条件がすべて設定されており、プレイヤーはその条件・ルールの外に出ることはありません。

しかし、このルール・条件・制約があるということは、すべての遊びに共通することです。遊びとは、かくれんぼからサッカーやつりに至るまで、すべてルールや制約があるのです。


たとえば、大人は子どもには自然の中で、野原を駆け回ってほしいと思います。しかし、そこで<遊ぶ>ときには、子どもたちはつねにルールを決めるのです。おにごっこですら、ルールがあるのです。

ルールや制約があるがゆえに、人は頭を働かせます。頭を働かせることで、制約の中で最高の結果を生み出そうとするのです。これって人生そのものだと思いませんか?!?!

ビデオ・ゲームは、コンピュータがすべてルールを決定します。プレイヤーが操作できる範囲は限られています。にもかかわらず、だからこそ、プレイヤーは、その限界の中で最高の結果を生み出すことに熱中します。コンピュータが課してくる課題に挑戦するのです。



それでも大人は、ゲームに熱中する子どもに不安を感じます。


重要なのは、―これもダニエル・グリーンバーグさんが言っていることですが―「自問自答」を続けることです。これは「大きな干渉」なのか、それとも実は取るに足りない「小さな干渉」なのではないか?と。

 「わたしたち親は、次のような問題設定をして自ら問うべきです。
 
 それは子どもの独立への道を均す、干渉に価する「大きな決断」なのか、それとも「これは独立するために必要なことなんだ。黙って見ていよう」と言える「小さな決断」なのか?
 
 考えればきりのない問題ですが、こういうことにいちいち、わたしたちは判断を迫られているのです。

 でも、親としての役割において、フェアな態度をとろうとするなら、わたしたちは絶えず、自問しなければなりません。「この干渉は、本当に本質的なものなのだろうか?」と。

 干渉とはその一つひとつが、独立からの後退の一歩であるからです」(同p.91)


ゲームに関しては、多くの親御さんは、完璧な解答を見出しているわけではないでしょう。ゲームに詳しくない大人は、子どもたちと同じ「精神世界」にいないのですから。わたしたちの親の世代がマンガやロックのすばらしさを理解できなかったのと同じことです。

しかし、というよりだからこそ必要なのは、ダニエルさんが言うように、たえず「自問自答」することではないかと思います。



>>子ども「が」まなぶ 「超」学校。
    都会のサドベリー・スクール
    デモクラティックスクール 宙(そら)

 〒662-0837 兵庫県西宮市広田町2-15
 Tel/Fax 0798-70-0777
 公式HP


日本におけるデモクラティックスクールの「これまで」と「いま」を紹介した『自分を生きる学校』(デモクラティック・スクールを考える会編 せせらぎ出版)好評発売中 宙(そら)のメンバー・保護者・スタッフも書いてます。 


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コミュニティ

2009-02-07 20:39:14 | Weblog
3月21日(土)神戸で本田健さんをお迎えして教育講演会を開きます。

興味のある方はぜひ講演会の詳細をご覧ください。





デモクラティックスクールを運営していて分かるのは、子どもの両親がいかにスクールの理念を理解し、スクールにコミットしているかということの大切さです。


デモクラティックスクールの運営自体は、保護者が介入してくることは望ましくありません。大事なのは子どもがスクールの運営の主体であり、スクール内部のことはすべてスタッフと子どもで決められるべきだからです。


しかし、では保護者がスクールに無関心でいてよいかと言うと、そうではないのがデモクラティックスクールの面白い点です。むしろデモクラティックスクールの維持・運営には、普通の学校以上に保護者のコミットメント(献身)が必要なのではないかと、私は最近思うようになりました。


まず、常識に抗ってデモクラティックスクールを運営する上での保護者の役割です。


ご存知のように、世の中には「子どもは(国が認めた)学校に行かなければならない」という価値観がひじょうに根強く残っています。この価値観は、大人は勿論、子どもにさえ深い影響を及ぼしています。勉強がどれほどつまらなく、授業がどれほど苦痛でも、「学校に行かなければならない」と思い込んでいる子どもがどれほど多いでしょうか。


そのようにある価値観が支配する状況の中でデモクラティックスクールを運営するには、子ども自身がスクールに通うだけでなく、子どもが帰って行く場所である家庭もが、子どもを完全に信頼するというスクールの方針を理解しておく必要があります。


「したいことをなんでもできる」


これがデモクラティックスクールの方針である以上、スクールで自由に遊ぶことができても、家に帰ってから勉強を強制されていたりしたら、それは結局こどもの好奇心を摘んでしまい、生きる意欲を阻害してしまいます。


同時に、単に子どもに干渉しないだけでなく、子どもを100%信頼することが必要となります。家に帰ってきてゲームをしたりマンガを読んでいる子どもを見て、保護者の人たちには安心して欲しいとわたしは思います。そのとき彼らは何かを学んでいるのですから。


つまり、保護者の人たちのそのようなコミットがあってはじめて、常識に抗っている学校に通う子どもが自分のことを完全に肯定することができるのです。


デモクラティックスクールが存在していくには、子どもとスタッフだけでなく、そのような保護者の人たちの理解と精神的なコミットメントが必要です。それによって初めて、スクールが存在する上で必要な“コミュニティ”ができあがります。


デモクラティックスクールを立ち上げる上でも、また維持していく上でも、そのような“コミュニティ”を形成していく必要があります。


デモクラティックスクールは、単に教育サーヴィスを提供するだけの既存の学校とは異なります。まるで“商品”のようにサーヴィスを提供することは、売り手と買い手とを分け隔てることになります。


しかしデモクラティックスクールを運営していく上では、そのような通常の企業のようなスタンスで“教育サーヴィス”を売ろうとすることは間違っているのではないかと、わたしは思うようになっています。


そのような売り手と買い手を分断するようなスタンスで、デモクラティックスクールに興味をもつ子供や家庭を探すことは、違うのではないかと感じています。


デモクラティックスクールを運営していく上で必要なのは、むしろコミュニティを拡げていくというスタンスです。スクールの理念に共感する人たちの集まりを形成することです。


デモクラティックスクールの運営に必要なのは、“お客”を集めることではなく、同じ理念を共有する仲間とつながっていくことなのではないかと、私は思うようになっています。



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学校を作る

2009-01-29 21:42:40 | Weblog
今日は関西の大学院で勉強されている若い男の方たち二人が宙(そら)を見学に来てくれました。


お二人ともスーツでビシッと決めて来られたので、思いっきり普段着のこっちが恐縮してしまいました。


二人ともオルタナティヴスクールに強い興味を持っていて、自身で学校を作ることも考えているそうです。


だから質問の方も、立ち上げるのに資金はどれぐらい必要か、子どもと関わるのに大切なことは何かなど、かなり具体的なものでした。


二人とも子どもに勉強を教えることもしているそうですが、既存の教育に疑問も持っているようでした。



わたし自身は宙(そら)の立ち上げにかかわったわけではないので、「学校を作る」というものがどのような経緯で実現していくものなのか、分かりません。


ただ、普通の人は「学校を開く」ことは素晴らしいことだとは思っても、お金も労力も必要だし、まさか自分でできるとは思わないでしょう。


でも、実際に始めてしまった人たちが多くいるわけですし、そういった人たちの中には資産があったわけではない人もいます。


宙(そら)も、資産があるわけではない人たちが協力して出来上がった学校です。きっと、彼らはこどもたちにとって必要な場は何かを考えていくうちに、新しい学校を作らざるをえないようになったのではないでしょうか。


子どもたちとつき合うことが好きな大人がいて、既存の学校とは違う学びの場を必要とする子どもたちがいて、そういう子どもたちをサポートする親がいて、彼ら全体が必要性を強く感じて、学校を作らざるをえないような状況に進んでいったのだと思います。


それは、体全体で感じられるような必要性や腑に落ちるような感覚をもつことで、物事が動きだすようなもののように思うのです。


今サドベリーが日本中で動き出しているのも、そのように「どうしても作らなければ」という想いを強くもっている人たちがたくさんいるということなのではないでしょうか。



でも、宙(そら)に見学に来る本当に若い人たちにも「学校を作りたい」と言う人が少なからずいます。それは決して平たんな道ではないかもしれませんが、成功させて欲しいと思います。


わたしは


「人は強い願いをもつとき、それを実現させることができる」


と思っています。でも、それは世界が思考によって思い通りになるというわけではありません。


そうではなく、自分が本当に考えていることをよくわかったとき、その考えに沿って現実は動くということです。


だから、自分のことがわからないままでは、何を願おうと、現実は何も変わらないのでしょう。


「学校を作る」ということがその人にとって本当の望みであるような人たちが成功されることを願っています。

「学校を考える集まり」ありがとうございました

2009-01-19 13:55:35 | Weblog
先日お知らせした、第2回デモクラティックスクール講座「学校を考える集まり」を昨日宙(そら)で開催しました。


(お知らせした記事はこちら


雨の中を、小さいお子さんを連れたご家族の皆様が集まってくださいました。本当に有難うございます。(^-^)


みなさんこちらの話に熱心に耳を傾けてくださり、またご意見やご質問を活発に述べてくださいました。


子どもに完璧な自由(自由とそれに伴う責任)を与えるというわたしたちの考えを、みなさん違和感なく受け入れてくださっていました。そういう方々ばかりだったのでそれが自然な感じでしたが、実はすごいことなんだと思います。でも、子どもに対するコントロールを手放す考えは少しずつでも広まっていることを感じることができました。


一つ話題になったのが、コンピュータゲームや甘いものを小さい子どもにどこまで与えてよいのかということです。


デモクラティックスクールのスタッフの役割に

「子どもの安全を守る」

というものがあります。その「安全を守る」の中に、ゲームや甘いものを子どもに与えすぎないように配慮するということもあるのではないかとおっしゃる方もいました。


デモクラティックスクールは、宙(そら)の場合でも、また他のデモクラティックスクールでも、多くは4才から入学が認められています。それは、自分で自分のことを決め、行動できるのは4才からだとデモクラティックスクールが考えているからです。


ただ、何才から自分のことを自分で判断できるかは、親御さんぞれぞれで考えが異なるかもしれませんし、また子どもそれぞれで個人差もあります。


(他のあるデモクラティックスクールでは、入学を希望するある4才の子どもが、「まだ自分のことを責任を負える状態にない」という理由で入学を却下された例があります)。


ですので、小さい子どものうちからゲームや甘いものを自由に与えてよいのか、心配される親御さんもいらっしゃるのだと思います。


ここには、ゲームや甘いもののはどれほど有害かという難しい問題も横たわっています。


デモクラティックスクールの考えを受け入れてくださる中にも、ゲームや甘いものを子どもが自由に愉しむことができることがよいかどうか考えている人も多いのではないでしょうか。


宙(そら)では、子どもが甘いものやゲームを自由に愉しんでいても、スタッフが子どもに何かを言うことがありません。


デモクラティックスクールを運営しているのは子どもであり、子どもがしていることが他人に迷惑を与えていない限り、スタッフがそのことに何かを言うことはありません。スクールのルールを決めるのは子どもたちであり、スタッフを雇っているのも子どもたちだからです。


でも、この問題は、デモクラティックスクールの考えに共感してくださる人たちも交えてお話するのに値する問題であり、かつデモクラティックスクール自身の考えを世の中に言うのに値する問題だとも思います。


そういう問題についてまた話し合える機会を設けることも有意義だと思います。


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サドベリーについて語る

2009-01-15 22:29:34 | Weblog
「子どもに何も強制しない」

「子どもは他人に迷惑をかけない限りで自分の好きなことだけをすることができる」

「学校を運営する主体は子どもにあり、学校のルールを子ども自身が決めなければならない」

 ………


こういったサドベリー・モデルの学校方針を聞くと、眉をひそめる人は少なくないでしょう。

大人はもちろんですが、学校教育を受けた子どもでも、そういう考え方を受け入れることができない人は多いかもしれません。


デモクラティックスクールで働いていても、自分がやっている学校は、世間の常識では相容れないだろうことは容易に想像できます。とんでもなく非常識でおかしなことをしていると人からは見えるのではないだろうかと思ったこともあります。


ただ、こちらに見学に来てくださる親御さんへの対応や、広報で人に会う時にデモクラティックスクールの上記の方針を話すと、すんなりと考えを受け入れてくれる人が多いことも日々体験しています。


「子どもに完璧な自由を与える」「何も強制しない」…


こういった一見非常識な方針でも、それほど驚かずにこちらの話を聞き、受け入れていただき、賛同してくれる人も多くいらっしゃいます。


それは、感覚的にその適切さを察知してくれているのではないかと思います。


思えば、私が初めてダニエル・グリーンバーグ(サドベリーの創立者)の著書を初めて読んだ時にも、それが聞いたこともない学校のあり方でありながら、

「これだ」

と深く納得できました。それも、頭ではなく、自分の経験と感覚から、その正しさを感じたのだと思います。


サドベリーの考え方に共感していただける人たちも、その学校方針の適切さを、頭ではなく感覚的に感じ取っていただけているのではないかと思えます。常識とはまったく真逆の方針であるにもかかわらず、こちらの話を聞いてもらえるのは、そういう理由からだと思います。


わたしは、サドベリーの素晴らしさを話すことはできても、サドベリーを受け入れることができない人を無理やり説得することは無理でしょう。それが常識とは異なる方針の学校である以上、どれだけ言葉を重ねても、他人の常識を覆すことはできないし、また無理にそうする必要はないし、第一それは相手に対して失礼です。


わたしがサドベリーについて語ることに意味があるとすれば、感覚的にデモクラティックスクールを受け入れる準備がある人に、共感してもらえる言葉を伝えることができたときだと思います。


わたしの言葉で人の考えを変えることはできません。私の言葉ができることは、相手の人自身の経験や感覚に響く言葉を伝えることだけです。


またそれで十分なのだと思います。


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Happy New Year 2009

2009-01-08 12:22:04 | Weblog


あけましておめでとうございます。


宙(そら)は今日から新学期です。


今日は天気がいいですね。


子どもたちも今日から学校に登校してきています。



私自身は子供の頃普通の学校に通っていたので、冬休みの終わりごろは宿題をしたり書初めをしたりで憂鬱だったのを思い出します。


学校に来るのが待ち遠しいという気持ちをもてるのは羨ましいです。


ことしもよろしくおねがいします!


「わあい」義援金のお願い

2008-12-15 15:19:58 | Weblog
日本のデモクラティックスクールの一つ、香川の「デモクラティックスクールわあい」が13日に火災に見舞われました。ミクシィなどでご存知の方もいるかと思います。

わあいは大屋敷和貴さんが運営されている学びの場で、多くの人に愛されている場です。みなさまのご支援をお願いいたします。

:::::::::::::::::::::::::::::::::


義援金カンパのお願い

※メッセージをお知らせしていただけるとありがたいです


このたびは、ご心配をおかけしております
あたたかいメッセージ、応援ありがとうございます

今、わあい火災の復旧へ
建築資材の資金が必要になっています

義援金のカンパをいただけると
本当に助かります
おいくらでも結構です

みなさんからいただいた義援金
分かち合い、支えあいのエネルギーを
わあい新生のために使わせていただきます
有形無形のご支援、心より感謝いたします


口座は以下のどちらでも結構です

1)
イーバンク銀行 ロック支店(202)
口座番号:2138599
名義:大屋敷和貴

2)
四国労働金庫 高松東支店 
口座番号:3530613
名義:デモクラティックスクール わあい 代表 大屋敷 和貴

3)
百十四銀行 ゆめタウン出張所 
口座番号:0125071
名義:大屋敷和貴


義援金カンパの申し出をしていただいた方
ありがとうございます
復旧に資材購入に使わせていただきます
本当にすごく助かります


からだを運んでいただいたり
ごはん作っていただいたり
お金をいただいたり
思いで支えていただいたり
みなさんに
支えられているなあと
しみじみと実感します

心から感謝申し上げます


わあい 大屋敷和貴 拝