吉本隆明さんに『子供はぜーんぶわかってる』という著作があります。
その中で、子どもが遊びに見せる“熱中”している姿をめぐって、吉本さんと対談相手の小学校の先生が次のように話しています。
子どもの熱中の度合いがあまりにもすごいことをその先生は言います。たとえば自分たちで「花壇の柵など少し高い所を逃げ回る、地面に着かないでする鬼ごっこ」を考案するなど。
それを受けて、吉本さんは子どもと大人にとって“熱中”することの意味は変わらないといいます。そして、要するに熱中とはどういうことかを次のように述べています。
大人が生活の中の三分の一である勤め場所で熱中する……ここで真面目じゃないと、どういう考え方から言ってもあまり真っ当じゃない気がするんです。そこでだけは意識して怠ける時を除いて、熱心な人の方がなんとなく良いなぁと。
賃金仕事は生活の根底に触れる問題だから、そこで怠けている人よりは評価が良いのは僕らの中でも同じです。僕は大きい本屋さんも小さい本屋さんも付き合いがありますが、あまり誤植が多かったり、話が通らない投げやりなところがあったりすると、やっぱり嫌だなぁと思います。(p.76)
吉本さんは、子どもにとって遊びが仕事だ、と言います。そうであるなら、たんに鬼ごっこをするのではなく、「花壇の柵など少し高い所を逃げ回る、地面に着かないでする鬼ごっこ」を考案することは、より難易度の高いハードルに挑戦するという意味で、正しく仕事をしていると言えます。
そして、それは大人が自分の仕事をまじめにこなすことと等価なのです。
また、熱中していなければ、子どもは生きながら死んだ状態にあるも同然、、とも言えるでしょう。
でも、20世紀になって一部の国を襲った「学校」という制度の普及は、子どもが熱中する機会を排除してきました。
私自身の記憶では、小学校から帰って異様に熱中して遊んでいたのを思い出します。小学校まではそうやって遊んでいました。
学校にまつわる嫌な出来事はもちろんありましたが、思いきり遊ぶ時間もありました。
学校の成績で人間を分ける見方もまだついていませんでした。
しかし中学になると、そのような余裕も完全になくなってしまいます。
今も、小学生は遊びの時間を自分たちで見つけて熱中して遊んでいます。
しかし、そのような熱中する時間を私たちの社会は子供たちに十分には与えていません。
彼らは、学校の休み時間(=「遊び時間」)や放課後のわずかな時間をみつけて遊んでいるのです。
大人は、本来は、働いている時間の間は熱中していなければなりません。つまり、熱中できる仕事に取り組んでいなければなりません。
でも、私たちは知っています。そのような大人は多くはないことを。
なぜなのか。おそらく、子どもの時から熱中することを抑えていたら、自分のやりたいことが何なのかは分からないし、ましてやりたいことを仕事にするなどということも不可能でしょう。
子どもに、大人になっても仕事に熱中し、真っ当な大人になって欲しいのであれば、子ども時代から熱中する時間と環境を彼らに与えるべきではないでしょうか。
デモクラティックスクールはそのための一つの試みです。
>>子ども「が」まなぶ 「超」学校。
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〒662-0837 兵庫県西宮市広田町2-15
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日本におけるデモクラティックスクールの「これまで」と「いま」を紹介した『自分を生きる学校』(デモクラティック・スクールを考える会編 せせらぎ出版)好評発売中
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その中で、子どもが遊びに見せる“熱中”している姿をめぐって、吉本さんと対談相手の小学校の先生が次のように話しています。
子どもの熱中の度合いがあまりにもすごいことをその先生は言います。たとえば自分たちで「花壇の柵など少し高い所を逃げ回る、地面に着かないでする鬼ごっこ」を考案するなど。
それを受けて、吉本さんは子どもと大人にとって“熱中”することの意味は変わらないといいます。そして、要するに熱中とはどういうことかを次のように述べています。
大人が生活の中の三分の一である勤め場所で熱中する……ここで真面目じゃないと、どういう考え方から言ってもあまり真っ当じゃない気がするんです。そこでだけは意識して怠ける時を除いて、熱心な人の方がなんとなく良いなぁと。
賃金仕事は生活の根底に触れる問題だから、そこで怠けている人よりは評価が良いのは僕らの中でも同じです。僕は大きい本屋さんも小さい本屋さんも付き合いがありますが、あまり誤植が多かったり、話が通らない投げやりなところがあったりすると、やっぱり嫌だなぁと思います。(p.76)
吉本さんは、子どもにとって遊びが仕事だ、と言います。そうであるなら、たんに鬼ごっこをするのではなく、「花壇の柵など少し高い所を逃げ回る、地面に着かないでする鬼ごっこ」を考案することは、より難易度の高いハードルに挑戦するという意味で、正しく仕事をしていると言えます。
そして、それは大人が自分の仕事をまじめにこなすことと等価なのです。
また、熱中していなければ、子どもは生きながら死んだ状態にあるも同然、、とも言えるでしょう。
でも、20世紀になって一部の国を襲った「学校」という制度の普及は、子どもが熱中する機会を排除してきました。
私自身の記憶では、小学校から帰って異様に熱中して遊んでいたのを思い出します。小学校まではそうやって遊んでいました。
学校にまつわる嫌な出来事はもちろんありましたが、思いきり遊ぶ時間もありました。
学校の成績で人間を分ける見方もまだついていませんでした。
しかし中学になると、そのような余裕も完全になくなってしまいます。
今も、小学生は遊びの時間を自分たちで見つけて熱中して遊んでいます。
しかし、そのような熱中する時間を私たちの社会は子供たちに十分には与えていません。
彼らは、学校の休み時間(=「遊び時間」)や放課後のわずかな時間をみつけて遊んでいるのです。
大人は、本来は、働いている時間の間は熱中していなければなりません。つまり、熱中できる仕事に取り組んでいなければなりません。
でも、私たちは知っています。そのような大人は多くはないことを。
なぜなのか。おそらく、子どもの時から熱中することを抑えていたら、自分のやりたいことが何なのかは分からないし、ましてやりたいことを仕事にするなどということも不可能でしょう。
子どもに、大人になっても仕事に熱中し、真っ当な大人になって欲しいのであれば、子ども時代から熱中する時間と環境を彼らに与えるべきではないでしょうか。
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