宙(そら)日記

デモクラティックスクール宙(そら)、神戸サドベリーでスタッフをしていたターボウの個人ブログ

《♯4 学び (パート2)》

2008-12-28 21:11:28 |  サドベリー関係者へのインタビュー
サドベリー関係者へのインタビュー・シリーズ。今回は「学び(パート1)」の続きを簡単に紹介します。

「学び(パート2)」 on YouTube

短いコメントですが、どの発言にもデモクラティックスクールでの学びの特徴が簡潔に述べられていると思います。

“したいこと、必要なことをそのときに学んでいくのが、もっとも効率のよい学びの方法”というのが、サドベリー・モデルの基本的な考えです。


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Anthony(スタッフ、Diablo Valley School)

「どの子供も、理論的なことと自分がすることとのバランスを自分で見つけなければならない。そのバランスを自分で見出すやり方がその子の学ぶ方法なんだ。」


Michael(16才、Jerusalem Democratic School)

「もし代数が好きじゃない子がいたら、それはその子が今まで代数を必要としなかったからだ。もっていないスキルが必要なら、習いに行けばいい。やり方を知りたいことがあれば、それを習えばいい。それなしでも大丈夫なら、そのまま生きていけばいい。やりたくないことは、やるべきじゃないんだよ。」


「僕たちはおしゃべりからいろいろなことを学んでいる。それはデモクラティック・スクールでの典型的な学びの方法だけれど、普通の学校ではすすめられていない。むしろクラスでおしゃべりしていたら罰せられる。でもおしゃべりは、知識を得るための典型的な方法なんだ。(自分のしたい)読書でさえ普通の学校の授業では禁止される。でもサドベリーでは読書ができるし、そこから多くのことを学べるんだ」


Kelly(14才、Jerusalem Democratic School)


「(サドベリーの)スタッフや他の生徒とのおしゃべりから学べることは(学校で習うことより)もっとリアルなの。歴史や哲学やいろいろとね」


「5才や6才の小さい子どもたちは、上の子どもたちと違って、“挑戦”することが好き。彼らは安易な道を望まない。彼らは自分たちが行うことの経験から学ぶために挑戦するの」

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デモクラティックスクールで得られるもの

2008-12-23 23:59:44 | 学び
既存の教育・価値観の問題は、子どもの権利・尊厳を全く認めておらず、彼らを依存的な立場に縛って、18歳あるいは22歳ごろまで彼らに自分で物事を決めることを許さないでおきながら、その年齢になっていきなり「さぁ、自立しなさい」と言うことです。


それに対してデモクラティックスクールは、子どもが自分の物事を自分で決める権利を認めています。


しかし、ではデモクラティックスクールが子どもをまったく大人と同じように扱っているかというと、それは違います。


まず、デモクラティックスクールは、子どもが自分の衣食住のすべてを賄うことができるとは考えていません。学費は親が出すものと考えています。


ここには、いかにして人は依存からうまく自立した存在へと移行するかという問題が横たわっています。


人は、そして多くの動物は、子どもの間は大人に依存して生きざるを得ない存在です。衣食住に関しては、親が与えてくれなければ、自分で確保することができない存在です。


ただ私たちが犯す間違いは、その子どもの依存の状態をみて、「だから子どもは弱い存在であり、大人が全面的に守ってやらなくてはならない存在であり、子どもが正しい人間になるように教育してやらなくてはならない存在である」と考えてしまうことです。




本来人間は遊ぶ存在です。自分の好きなことをして喜ぶ存在です。


この遊びと働くこと・生きることとの関係を上手く調和させることは、人間が生きていく上での大きな課題の一つです。


わたしたちの社会では、多くの人はこの二つを調和させることができず、遊ぶことを犠牲にして、働いて生きています。


それだけではありません。多くの人は何をしているときに自分は一番“遊んでいる”のか、つまり楽しんでいるのか分からなくっています。


その原因の一つは学校教育にあるのは明らかですが、学校教育が出現した近代資本主義以前では人が遊ぶことと生きることとうまく両立できたのかどうかは分かりません。


ただともかく、既存の学校教育により、多くの人は子ども時代に自分の好奇心を犠牲にして、強制的に課された課題をこなすという不毛な時間を過ごしています。


これが問題なのは、その人の価値観・モノの見方が決定的に形作られる幼年・青年期において、今の社会では、「生きるためにはやりたくないことをしなければならない」という考え方を人は身につけるようになるということです。


デモクラティックスクールは、子どもの衣食住は親が賄うべきと考えていますが、それは、子どもにはまずその子の好奇心のおもむくままに生きることを覚えていって欲しいと考えているからです。


生活の糧を得るという課題に取り組む前に、まず“それをしていて楽しいということ”を子どもたちに見つけ出して欲しいと考えています。


そのような経験を子ども時代に思う存分することで、“遊ぶ”ということがその子どもの基本的な人生に対する態度となります。そのような態度を身につけた子どもは、きっと、生きるということと遊ぶということを調和させることが、大人になってからできるでしょう。


それは自分の好きなことを仕事にする場合もあれば、自分の仕事の中に好きなことを見つける場合もあるでしょう。


いずれにせよ、彼・彼女たちにとって、生きることは遊びであり、遊ぶことが生きることなのです。


そうなるためにも、彼らに必要なのは最大限遊ぶ自由です。


そして同時に、遊ぶ環境をどのように構築するのかという自由も得なければなりません。その環境が学校にあたります。この学校を自由に作ることができてこそ、初めて子供たちは自分の好きなように遊ぶことができます。


彼らにとっては、学校のルールを作ることは自由に伴う責任でありながら、同時に遊びと密接に関連しているのです。


学校という団体の場を自ら運営することで、自由に遊ぶためには、その環境を自分たちで管理しなければならないことを学びます。つまり、自由に遊ぶための環境は自分たち自身で創造しなければならないことを知るのです。言い換えれば、自由に遊ぶためには何が必要で何が必要でないかを知るのです。


そのことを知っていなければ、生きることと遊ぶこととを両立させる人生などは不可能です。


彼らは子どもという依存的な時期を経ながらも、自立した存在となるために必要なことを身につけていなければなりません。それが、上に記したような、デモクラティックスクールが与える経験なのです。

子どもたちの、子どもたちによる、子どもたちのための学校

2008-12-22 00:00:44 | 自由、選択、団体へのコミットメント
デモクラティックスクールで働いている大人は世界中にいますが、その大人たちのほとんどは、自分自身はデモクラティックスクールに通った経験のない人です。


その彼らが、子どもたちに雇われてデモクラティックスクールで働くのですが、そのことはどういうことでしょうか。


まず、この学校はそこに通う子供たち自身の学校です。


しかし、見学者などへの来客対応や、学校の管理などをスタッフの権限として行っていると、いつの間にか自分自身が学校を運営しているかのような錯覚に陥ります。


たとえ運営していても、それは子どもたちの意思を実行する道具として働いている筈なのですが。


自分の意見と子どもたちの意見が異なる時などは、自分の言うことを分かってほしいと思ったりもします。


しかし、学校を運営しているのは子どもたちです。デモクラティックスクールは、子どもたちの、子どもたちによる、子どもたちのための学校です。


だから、スタッフは多数意思に従う義務があります。


デモクラティックスクールに子どもが通うことは、通常の学校に通うことと違います。


学校とは子どもが作るものである。これがデモクラティックスクールの考えです。


これが、ただの放任主義と全く異なることは、明らかでしょう?

じぶんでえらぶ

2008-12-18 14:35:58 | 日常
先日「デモクラティックスクール講座」を開いて、そのときにも何組かの方が来てくださり、その後も昨日今日と見学に来てくださっています。有難うございます。


その見学の傾向としては、まだ学校に通っていないお子さんを連れて来て下る方が多いです。


そのお母さん・お父さんのお話を聴いていると、本当に自由な考え方をする人たちが多いなぁということですね。


既存の学校に疑問をもっている方はもちろん多いのですが、同時に、最後には子どもに学校を選ばせたいと考えている人が多いです。


どのような学校の形態であれ、選ぶのは大人ではなく子ども自身だと考えている方が多いです。




やっぱりそれがいちばんだとわたしも思います。


既存の学校に通っていると、上から命令されてばかりなので、自分で自分のことを選べない傾向を身につける子どもが多くいます。


でも、まだまだ小さい子どもは自分の感性で動くので、自分にぴったり合った学校を自分で選べることが多いのでしょうね。


それがいちばんだとおもいます。








歪さ

2008-12-17 10:40:44 | 学校教育
全国統一テストの結果を公表するしないでいまだにもめています。


でも、もめるのは当然だと思います。


教科の内容を習得することに大部分の時間を割いているのであれば、その内容を子どもたちがちゃんと理解しているかどうかを確認したくなるのは、親や社会としては当然の心理でしょう。


大人が強制的に子どもに勉強を教えることを当然視している以上は、子どもにちゃんと勉強を教えることができているかどうかで教員の能力を測るのは当然だと言えます。


でも、学校が「教科」の内容を徹底的に習得する場だとはっきりすれば、その歪さも世の中の人にとってよりはっきりするのではないでしょうか。「教科」はわたしたちの生活の中でごく一部のことしか扱っていないのですから。

「わあい」義援金のお願い

2008-12-15 15:19:58 | Weblog
日本のデモクラティックスクールの一つ、香川の「デモクラティックスクールわあい」が13日に火災に見舞われました。ミクシィなどでご存知の方もいるかと思います。

わあいは大屋敷和貴さんが運営されている学びの場で、多くの人に愛されている場です。みなさまのご支援をお願いいたします。

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義援金カンパのお願い

※メッセージをお知らせしていただけるとありがたいです


このたびは、ご心配をおかけしております
あたたかいメッセージ、応援ありがとうございます

今、わあい火災の復旧へ
建築資材の資金が必要になっています

義援金のカンパをいただけると
本当に助かります
おいくらでも結構です

みなさんからいただいた義援金
分かち合い、支えあいのエネルギーを
わあい新生のために使わせていただきます
有形無形のご支援、心より感謝いたします


口座は以下のどちらでも結構です

1)
イーバンク銀行 ロック支店(202)
口座番号:2138599
名義:大屋敷和貴

2)
四国労働金庫 高松東支店 
口座番号:3530613
名義:デモクラティックスクール わあい 代表 大屋敷 和貴

3)
百十四銀行 ゆめタウン出張所 
口座番号:0125071
名義:大屋敷和貴


義援金カンパの申し出をしていただいた方
ありがとうございます
復旧に資材購入に使わせていただきます
本当にすごく助かります


からだを運んでいただいたり
ごはん作っていただいたり
お金をいただいたり
思いで支えていただいたり
みなさんに
支えられているなあと
しみじみと実感します

心から感謝申し上げます


わあい 大屋敷和貴 拝

《♯4 学び (パート1)》

2008-12-15 14:10:51 |  サドベリー関係者へのインタビュー
サドベリー関係者へのインタビュー・シリーズ。今回は「学び」についてです。

「学び(パート1)」on YouTube


デモクラティックスクールでは、いわゆる「教科」を学ぶことを、あるいは「教科」を学ぶことだけを“学び”とは考えていません。

遊びやすべての活動が“学び”につながるのです。

まさに生活全体に触れることが、デモクラティックスクールでは学びになります。


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Kelly(Jerusalem Democratic School, 14才)

「学びとは何かということは人によって考えが異なるということを人に理解してもらうのは簡単じゃない。

 数学を習うとか、文学なんかを読んだり書いたりすることだけが学びとは私は思わないわ。

 女の子からスティック・フィギュア(人や動物の頭を円で、手足・胴を直線で表した絵)の描き方を習ったら、わたしはそこから何かを学んでいるのよ」


David(Greenwood Sudbury School, 19才)

「学びって、いつも教育的な活動の結果として得られるものじゃないんだ。

 何か楽しいことをした結果として偶然何かを学ぶということだってある」


Anthony(Diablo Valley School,スタッフ)

「学びのプロセスというのは複雑だということを大人は忘れがちになる。

 3才の子どもでもすでに読み方を知っている子もいれば、11才でも読み方を学んでいない子もいる。

 同じことをするときでも人はいろいろ異なったやり方でするっていうのは、人間性の驚くべき側面だ」


Seth(Sudbury Valley School,元在校生)

「人はいつも何かを学んでいるよ。誰も思いついたこともない方法でね」


Regina(The Booroobin Sudbury Democratic Centre of Learning, 20才)

「人はいろいろなやり方で学んでいる。

 少しずつ何かを学びながら、一つ一つの部分がある時つながって大きく育っていくの」


Anthony

「デモクラティックスクールの人たちの考えは、一般の大人の人たちがしてきた経験と対立するんだ。

 すべての大人は伝統的な学校に通ってきた。彼らは一年生でどう読むかを学び、三年生で分数や小数点を学び、高校で世界中の文学を学んだ。そういった経験とデモクラティックスクールは闘わなければならないんだ」


Michael(Jerusalem Democratic School,16才)

「人は生活から学ぶんだ。重要な(relevant)活動から重要な(relevant)ことを学んでいく」


RomeyRomey (Fairhaven School,スタッフ)

「子どもたちは、学ぶことができる可能な範囲からたくさんのことを学んでいる。

 彼らはいつも、役に立つ大人になるために必要な何かを学んでいる」


Seth

「学校の教科はたくさんの労力をかけて、のろのろと教えられる。

 子どもたちに彼らが学びたくないことを学ばせて、時間をムダにさせている」


Anthony

「多くの人は、アカデミックなことが重要なことで、その他のことは重要度が低いと考えている。

でも、デモクラティックスクールのアプローチは違うんだ。デモクラティックスクールも学術的なことは大切だと思っている。でも僕たちにとってそれは教育の内容の一つに過ぎない。

学術的なことを実際に行っていることに統合する方法が見つけられなければならないんだ」

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(パート2へつづく)

対等さ

2008-12-10 11:51:15 | 自由、選択、団体へのコミットメント
デモクラティックスクールの特色は、これまで繰り返し言われているように、大人と子どもが対等の立場にあるということです。


大人は大人であるという理由で子どもに命令したりはできません(しません)し、子どもは子どもであるという理由で大人の言うことに従ったりはしません。


スクールの中には、一般社会の「子供は大人の言うことに従うべきで、大人は子どもを教育しなければならない」という観念が排除されています。それは、この観念が間違った偏見に基づいているとデモクラティックスクールは考えているからです。


また家庭では親が子どもに干渉することが当然視されているので、子どもは親との関係で上下関係におかれてしまいます。


この上下関係も、大人と子どもの対等性を確保するという点で、学校から外へ出されるべきとデモクラティックスクールは考えます。


そこで残るのは、スタッフとメンバー(子ども)の関係です。


まずデモクラティックスクールは子どものための学校であるゆえに、スタッフは子どものために存在します。スタッフは子どものスクールライフが充実するためにできることをします。子どもの学びの環境をととのえるために。


スタッフのそのようなサポートに対し、子どもはスタッフに対して対価として給与を支払います。


サドベリー・バレーの元生徒で現スタッフのスコット・グレイさんは、サドベリーはスタッフを有給扱いするようになった時点から、スクールの質が上がったと言っていました。


つまりスタッフが、子どもの学びの環境をサポートする“プロ”となることで、学校の充実度が変わるということですね。


子どもとスタッフとの対等の関係は、スタッフは子どもに対し学びのサポートを与え、子どもはスタッフに給与を支払うことで成り立っています。


これは、一般のビジネス社会と同様の関係です。


ただ、形式的に給与を支払えば対等の関係になれるかというと、それほど単純な話ではないですね。


一般の会社でも、従業員は、自分がいつか解雇されるのではないかという恐怖感をもちながら仕事をしているので、形式的には対等でも、感情面では雇用者に対して卑屈になったりすることがよくあります。


世界中のデモクラティックスクールでも、スタッフの多くは雇用契約を毎年更新できるかどうか不安を感じながら仕事をしているでしょう。


そうした不安を感じながらも、雇用主である子どもと感情的に対等になることが理想でしょう。それはデモクラティックスクールだけでなく、世界中の職場で理想とされながら、また同時に達成することが困難とされている状態です。


本来であれば、従業員だけでなく、雇用主も、従業員と感情的に対等な立場に立つことを望んでいるでしょう。しかし従業員が卑屈になればなるほど、雇用主も従業員に対して横柄に振舞ってしまいます。


デモクラティックスクールが、子どもと大人が対等な立場に立つ空間であることを理想とするなら、メンバーとスタッフは、とくに給与をもらっている大人は、雇用-被雇用の関係でありながら、感情的に対等になるための努力をしなければなりません。それは、給与に見合う仕事をするのは当然のこと、給与を貰う立場でありながら、メンバーに対して対等に振舞うことが求められるのです。


>>子ども「が」まなぶ 「超」学校。
    都会のサドベリー・スクール
    デモクラティックスクール 宙(そら)

 〒662-0837 兵庫県西宮市広田町2-15
 Tel/Fax 0798-70-0777
 公式HP


日本におけるデモクラティックスクールの「これまで」と「いま」を紹介した『自分を生きる学校』(デモクラティック・スクールを考える会編 せせらぎ出版)好評発売中 宙(そら)のメンバー・保護者・スタッフも書いてます。 


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《♯3 スクールでの日常の生活》

2008-12-09 14:06:51 |  サドベリー関係者へのインタビュー
サドベリー関係者へのインタビュー内容の簡単な紹介。

今回はサドベリー・スクールの日常を生徒や元生徒が語った内容の紹介です。

サドベリーのいつもの雰囲気が伝わるでしょうか。


《#10 Everyday life in the school》 on YouTube


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Q: どのようにして学校で過ごしているの?

Michael(Jerusalem Democratic School,16才)

「何も強制的に決められたことはないよ」


Kelly(Jerusalem Democratic School, 14才)

「一週間に四日の司法委員会や一日一回のスクール・ミーティング以外はね。ほかのすべてのことは自然に起こる」


David(Greenwood Sudbury School, 19才)

「みんなとおしゃべりしたり、インターネットチェックしたり、ニュースやエッセイを読んだり、外でボールゲームをしたり。楽しいことは何でも」


Regina (20才 The Booroobin Sudbury Democratic Centre of Learning)

「学校生活はまさに生活そのもの。自分にとって大切なことをする。いつもみんなと一緒に何かしている」


Kelly

「歩き回ったり、おしゃべりしたり、音楽を聴いたり、本を読んだり。料理やコンピュータやガーデニングや演劇や動物や芸術や心理学やドラマや哲学のクラスに出たり」


Seth (Sudbury Valley School 元在校生)

「いく人かの生徒はクラスに出て何かを学んだり。いろんな種類の本を読んだり。ジャンクな(くだらない)本を読んだり、難しく複雑な本を読んだり」


Cassie (10才 Praine Sage Sudbury School)

「ほとんどの時間は本を読むのが好き。インターネットを見たり、映画を見たり」


Seth

「一日中スポーツしたり、バスケしたり、一日中台所にいたり…」


Kelly

「小さい子供でもクラスに出席したりする。ほとんどの時間は自由におしゃべりしたり。多くのことはグループで生じる」


Regina

「おしゃべりしたり、インターネットしたり。ほとんど実際の生活そのもの」


Seth

「サドベリーでは、何かに集中したければ、なんでもできる」

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インタビュー中で「クラス」という言葉が出てきますが、これは通常の学校で考えられている「授業」ではなく、子どもたち自身の間で自発的に生まれたものです。これは子どもたちからスタッフに対して「先生」役になって欲しいというアイデアが出たりもするし、外部の人に「先生」になって欲しいと要請することもあります。


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《♯10 スクール・ミーティング》

2008-12-05 14:47:44 |  サドベリー関係者へのインタビュー
デモクラティックスクールの中でミーティングは、それがなければデモクラティックスクールとは言えないという制度です。

学校の中で単に自由に何でもしていいのであれば、多くのフリースクールはそのような環境をもっています。

デモクラティックスクールがデモクラティックスクールであるのは、子どもたち自身が学校を運営し、校内のルールを自分たちに合わせて作りかえることができる点にあるのです。

今回はこのミーティングについてサドベリー・スクールの子どもやスタッフが考えていることを紹介します。

《#10 The School Meeting》 on YouTube

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Q:デモクラティックスクールでの意思決定はどのように行われているのですか?」


Michael(16才 Jerusalem Democratic School)

「意思決定のためにはいつくつかの制度がある。

 総会(General Assembly)は予算に関して行うもので、生徒・スタッフ・親が参加する。

 それに対して毎週行われるスクール・ミーティングは日々の事柄を扱うもので、スタッフと生徒が参加する。そのスタッフと生徒の集まりは“スクール・コミュニティ”と呼ばれている。スクール・ミーティングは学校内のことを扱うのであって、そこに親は関わらない。」


Kelly(14才 Jerusalem Democratic School)

「親がスクール・ミーティングを乗っ取って、学校内のことについて決定を下すような状況は望んでいないわ。学校内のことは、そこに毎日いる人が意思決定すべきだから。親は学校にはいないのだから」


Q:なぜスクール・ミーティングをもつことが重要なのですか?」

Kelly

「スクール・ミーティングがなければ学校が混乱してしまう。重要な意思決定に対して責任をもつためには、ミーティングという権威が必要だから」


Q:スクール・ミーティングではどういう決定をするのですか?」

Kelly

「予算や、場所の使い方や、すべてのこと…」


Regina(20才 The Booroobin Sudbury Democratic Centre of Learning)

「安全に関するルールを決める。他の人の財産や学校の財産を尊重することなど」


Q: なぜサドベリー・スクールはルールをもっているのですか?

Michael

「サドベリー・スクールがフリースクールと違うのは、ルールをもっているということ。

 フリースクールは生徒が“自由でいることを許可”している。

 それに対してデモクラティックスクールがデモクラティックなのは、“僕たちの自由を守る”制度をもっているから。それによって、他の人から自分を守ることができる。

 ルールは人の分別のある判断力を制限したりはしない。「数学を勉強しなきゃいけない!」みたいな制限を加えたりはしない。他の人の自由を侵さないためにどう行動しなければならないかをルールは教えてくれる」


Regina

「暴力に反対するルールや、すべてのルールをわたしは小さい子どもたちから学んでいます。5歳の子どもが「それはしていい!」それはしちゃいけない!」って言ってくれる」


Kelly

「学校内の物事を安全に・よくするためにルールはある。暴力や危険なことに反対するルールとか。ハッピーな環境をつくるためにルールがあるの」


Seth(Sudbury Valley School 元在校生)

「ミーティングではたしかに誰もが同じ一票をもっているのだけど、同時に運営するということにみんなが気を配らなければならない。それによって他人に悪影響を与えるような決定を下したりすることはなくなる。他人から自由を不必要に奪う状況をつくらなくなる」


Regina

「ルールというものは、わたしたちがもっているルールすべて、みんなの行動を制限したり拘束するものじゃない。何も問題はないわ。ルールがコモンセンスだから。それにルールが好きじゃないなら、変えることができる」


Q: ルールを変えることはできる?

Regina

「簡単。申請して、ミーティングで議論して、自分の意見を言えばいい」


Q: どのくらいの人がミーティングに参加しているの?

Kelly

「スタッフも含めて20人くらい。全員の生徒のうち半分くらいはスクール・ミーティングに来る」


Seth

「わたしは10才のときからスクール・ミーティングに参加し出した。小さい子どもの多くは、関心のある事がなければスクール・ミーティングに参加しない」


Q: あなたは議長になったことがある?

Cassie(10才 Praine Sage Sudbury School)

「あるわ」


Q: 議長は何をするの?

Cassie

「議長は大きくハッキリと声を出さなきゃいけない」


Kelly

「もちろんミーティングを運営しなきゃらない。

司法委員会に対してルールのアドバイスをしたり」


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今回はミーティングについてのサドベリー関係者の発言でした。

デモクラティックスクールというと、単に自由に何をしてもいい学校と思われる人もいるかもしれません。たしかにそれはサドベリーの大きな要素なのですが、“自由に何でもできる”ことを標榜するだけなら、他の学校もしています。

デモクラティックスクールをデモクラティックスクールにしているのは、むしろミーティングにあると言ってもいいぐらいではないかと、わたしは日々学校で過していてよく思わされます。

ミーティングによって子どもたち(とスタッフ)は、自分で自分のいる環境を創造することができるのです。

日々の活動で子どもたちは自分の好きなことを追求します。それは自己の内面を深めていく作業と言えます。

それに対してミーティングは、それぞれ一人である自分自身を越えてまわりの人とひとつの環境を創造していく過程です。それも、必ずしも同じ興味・関心をもっているわけではないし、同じ年齢じゃない人と一緒にコミュニティを作っていくのです。


最後に、サドベリー・バレー・スクールのダニエル・グリーンバーグとミムジー・サドフスキーさんのミーティングに対する言葉を引用します。

 「公正と正義に対するそのコミュニティの感覚、罰・名誉回復・受け入れ・排除についてのコミュニティの態度、個人の関心と団体の関心の間の境界線などの事柄に対する基本的な姿勢をスクール・ミーティングは定める。またスクール・ミーティングは、財政上の責任・公的な説明責任・環境の美観などについての考えといったコミュニティの規範を決定する。
 司法手続きとスクール・ミーティングはスクールの初年度の間は莫大な時間、ときには一日に数時間を使うが、これ以上によい時間の使い方はない。なぜなら、これらの制度によってコミュニティを形づくる構造に命が吹き込まれるのだから。日毎や週毎にディスカッションやディベートをすること、スクールのあらゆる側面を月毎や年毎に再検討することが、コミュニティを発展させる上での思想的・精神的な拠り所なのである」("Starting a Sudbury School" by Daniel Greenberg and Mimsy Sadofsky p.134 )