奇麗な日和、こんな日に竦んでいてはと、歩きにいくことにした。コースはかねてから考えていた生駒宝山寺から南に向かって生駒山の中腹を歩く。小倉寺の教弘寺→鬼取の鶴林寺→大門の大福寺、そして国道308にでるコース
教弘寺は古刹、往時は僧坊が沢山あったらしいが、江戸中期『大和志』には「正堂一宇僧舎四院」、『大和名所図会』「年久しく廃して、今草庵五六坊あり」とあるが、現在は本堂の外は石垣が跡をとどめるのみ。
鬼取という地名は珍しいが、その昔役行者が儀学・儀賢の二鬼を捕らえたという伝説からきている。小倉寺の東北に「鬼ガ城」という所があると二書が伝えるが、土地の人たちはご存知なかった。
江戸中期にはこのあたり一帯は梨の産地であったという。土地のおばさんたちは全く知らなかった。聞いたこともないというので、『奈良県の地名』(平凡社)のコピーを見てもらって、納得してもらった。 もちろん梨の木は見かけなかった。
鶴林寺はその昔は生駒山上近くにあったらしいが、集落の北に下りてきて、また、去年か建替えられ真新しい。 ガッカリ。
大福寺は黄檗宗の禅寺、集落には檀家はないらしい。国道308に出て石仏寺。此処を通るのが3回目、やっと、鎌倉時代の大仏再建に南中国から招聘された石工、伊一族の伊行氏作の石像阿弥陀如来坐像を拝顔させてもらった。
10月の中にしては暑い日であったが、いいウォークをした。 まいる
教弘寺は古刹、往時は僧坊が沢山あったらしいが、江戸中期『大和志』には「正堂一宇僧舎四院」、『大和名所図会』「年久しく廃して、今草庵五六坊あり」とあるが、現在は本堂の外は石垣が跡をとどめるのみ。
鬼取という地名は珍しいが、その昔役行者が儀学・儀賢の二鬼を捕らえたという伝説からきている。小倉寺の東北に「鬼ガ城」という所があると二書が伝えるが、土地の人たちはご存知なかった。
江戸中期にはこのあたり一帯は梨の産地であったという。土地のおばさんたちは全く知らなかった。聞いたこともないというので、『奈良県の地名』(平凡社)のコピーを見てもらって、納得してもらった。 もちろん梨の木は見かけなかった。
鶴林寺はその昔は生駒山上近くにあったらしいが、集落の北に下りてきて、また、去年か建替えられ真新しい。 ガッカリ。
大福寺は黄檗宗の禅寺、集落には檀家はないらしい。国道308に出て石仏寺。此処を通るのが3回目、やっと、鎌倉時代の大仏再建に南中国から招聘された石工、伊一族の伊行氏作の石像阿弥陀如来坐像を拝顔させてもらった。
10月の中にしては暑い日であったが、いいウォークをした。 まいる