役所 信太のひとりごと。。。(カウントダウン365×4→0)

旅先で感じたことや報道など私的に思うこと

暗いニュースばかりだから・・・、応援の意味を込めて、あえて三陸を思い出す。

2011年03月18日 21時44分28秒 | Weblog
今大変なことになっている東北地方・・・

東北地方は大好きで
毎年どこかに行っていました。

あまりに悲惨な惨状、
連日
何時間も暗いニュースばかりなので・・・

良い思い出をあえてならべて
自分の中で
一刻も早い救援活動と
これからの復興に期待を込めたいと・・・。
そんな思いから
あえて昔の写真と思い出を書くことにしました。

思い出して見れば、
初めて東北に行ったのは
学生の頃だから・・・
かれこれ20年以上前。

三陸鉄道が国鉄時代も知っています。
田老で終点だったような・・・。

南リアス線は国鉄時代は・・・?
記憶に・・・ない・・・

特に八戸線が好きで
のんびりと車窓を楽しんでいました。

最近は青森、秋田が多かったのですが
昨年三陸に行ったことを思い出しました。

その時は・・・
花巻のマルカンデパートで
デカソフトクリームを食べて
釜石線に乗ったような・・・

列車は3両編成で
めちゃめちゃ混んでた記憶が有ります。
人気観光スポットの遠野駅で
ほとんどが下車したような・・・

周辺はきれいな田園風景

緑がきれいでのんびりとしました。

指定席車で快適に過ごしたような・・・

沿線の市街地も低い屋根が並び
遠くまで見渡せてとてもきれいでした。

列車は釜石駅に到着。

駅の屋根につるしてある駅の表示板が
ホームの並びに直角で
普通の駅と向きが違っていました。

駅構内は広々して

三陸鉄道の南リアス線が出発間近でした。

盛駅行き、
吉浜、三陸、恋し浜、赤崎の各駅に
トンネル、険しいリアス式海岸を快走する路線。


で、私は山田線に乗り換え宮古に向かうのでした。

列車は、両石、鵜住居と停まり

大槌駅に・・・

のんびりした雰囲気のまち・・・
列車は、きりきり、浪板海岸と走り抜け・・・

途中霧が出たりして
港と海と山が印象的で・・・

岩手船越駅近く


山田、津軽石と停車して

その頃には天候も晴れてきて・・・



宮古駅に近づき・・・

海岸線と思ったらあっという間に山間部・・・

その繰り返し・・・
リアス式海岸の特徴。

宮古駅に到着。

駅構内。

駅舎。

駅前。

三陸鉄道の宮古駅。

駅前を少し散策。




駅出て左の商業施設で買い物したような・・・
ミヤビルだったかな。
駅前に戻り

最後に

盛岡に戻る列車に乗って
ウトウトしたような気がします。

東北地方、三陸は、すばらしい土地です。
この自然に満ち溢れた地域は必ず復活します。

希望の光は必ず見えると私は信じています。

。。。。。

信じることの難しさ、表現の自由と自己満足の境界線

2011年03月18日 01時09分49秒 | Weblog
今日も朝からずっとテレビを観ていました。

一部で
普段の番組を放送している時間帯もありました。

被災からもう7日目。

観ている番組・・・
とてもすばらしい番組が多く存在します。
出演者の方々の努力に頭が下がります。

1週間ですか・・・

だいぶ道路網も整備されて来ているようですが
いかんせん、
南北500kmという広域に渡る被災地の範囲・・・
地形が複雑な場所も多く
余震も続くときている・・・。

しかも
原発の冷却水の障害問題で
放射能漏れ事故の危機が差し迫っているような感じもします。

もう3日以上テレビにかじりついて
情報番組を観て、見守っています。

そんな私が
ふと思ったことが有ります。

それは、

「信じることの難しさ、
 
 そして、
 憲法に保障された表現の自由における
 マスコミの報道の自由・・・
 それが、
 ただの自己満足では・・・
 そう見えて仕方ない・・・」
 
あまりにきつい己の感想に
自分でも
何故そんな感想が出てくるのか
もう一度考え直してみました。

テレビを観るにおいて・・・

朝からずっと同じチャンネルを観ているわけではなく
何回も変えて観ている。

なのに、
ほとんどが
原発事故の報道ばかりで
3号炉の構造がこうで
冷却水がどうとか
専門的な話ばかりで
中には
300ミリシーベルト/時の放射線は
人体に浴びれば
直ちに影響が有ると言っている解説者もいました。

放射線漏えい事故を防ぐために
現場の多くの原発関係職員は
必死に対応しているはず、
警察や自衛隊も必死になって
冷却するのにがんばっているはずです。

放射能という見えない恐怖と必死に闘っているのです。

家族も子供もいるでしょう。

帰りたいと思っている人もいるでしょう。
皆さん必死なのです。

1日に数回開かれる会見で
危険性は
チェルノブイリやスリーマイル島のようなことはない と
信用するよう再三、促しています。

しかし、
その後の番組は
評論家や専門家が出てきて
ほとんど猜疑的に
これだけの情報では分かりませんがと
初めに述べた後で
批判的な仮説をツラツラ話し始めるのです。

確かに
最悪のことを考えて
論評することも有りでしょう。
多くの人は
批判的で最悪な仮説が大好きな傾向があるためです。

しかし、
本当に
そんな仮説をツラツラ話す解説が
今現在の番組の中で
長時間流すことが必要なことなのでしょうか。

例えば、
放射能流出という最悪な結果を招くだろうと
報道番組で流し続けたら
そういうニュアンスで番組を流し続けたら

どうなるのでしょうか。

私のようにずっとテレビを観ている人は
ほとんど稀と思います。

仕事をしている人がほとんどで
家事でもなんでも
用をこなしている人がほとんどと思います。
普通の人は
報道番組を最初からずっと最後まで
観ている人は少ないと思います。

ちょこちょこ時間に余裕が出来た時に
観るくらいだと思います。

そんな人が
テレビを観るといつも
原発の事故の話が出ていれば
必ず洗脳され
にわか評論家のようになり
最悪の仮説を信じるようになるはずです。

現場の職員は
最悪の事故を避けようと必死になっているわけで
結果はどうであれ
信じることを止めてはいけないと思うのです。
たとえ、
嘘かも知れないと思っていても
信じることが重要だと思うのです。

私の見解に批難する人は多いでしょう。

政府は
最悪の事態を想定して
原発から20kmを避難指示域、
30km以内を屋内退避指定域にしています。

それを信用せずに
最悪の仮説を支持し
アメリカが言う80km以上離れるようにとした場合
本当に80km圏内の民衆を
受入れてくれる地域は有るのでしょうか。

1年とか2年とか長期になるかもしれません。

学校の問題や通勤の問題、
風習など様々な問題が
長期の避難となれば必ず出てきます。
避難指示を出す以上
それらを考えて退避を指示しないと
結局は
混乱と大パニックを起こすだけです。

退避エリアの人々が
避難所をたらいまわしにされている現状を考えると
私のこの見解は
非常に常識から外れています。

しかし、
放射能が広がり汚染されるとか
危機的状況で
1%も成功確率はないとか・・・
だから
80km以上離れないと被ばくしますとか
不安を掻き立て
恐怖を煽ることに
何か良いことがあるのでしょうか。

避難者100万人ともいわれる人々を恐怖に陥れ、
周辺大都会地域の1000万人以上の人を
様々な風評被害の危険にさらすだけではないでしょうか。

現実的に
そんな大勢避難させることなどできない。
できないことを口先だけで無責任に口走る方が
どれだけ後後大パニックを引き起こし
問題を長期化させることか・・・

安全です信用してというニュアンスで
政府が会見する限り
今は私は信じるしかないように思うのです。

現場で
たいへん困難なことに立ち向かっている人々が
今ここにある危機の中で
命を掛けて戦っていることを考えれば
応援するしかないと思うのです。

我々日本人が「大丈夫」と信じてあげないと
現場で戦っている人は
無駄なことに
命を掛けていることになるような気がするのです。

だから、今は
難しいけど
信じるしかないと思うのです。

もちろん
政府の責任問題とかいろいろ有るのは分かってます。
ただ、元をたどれば
電力に原子力を使わないと維持できない現代社会にも
責任は有るわけで・・・。

一方、
被災関係のテレビ報道を観ていて、
毎日毎日、何回も何回も
津波が街を飲み込む映像を流し
記者が現地から
ここは家が有りましたとか
ここは役場でしたとか
同じことを繰り返し・・・

避難場所で
寝ている人や
お年寄りにインタビューをして
「今のお気持ちは?」
「暖かいものは食べられましたか?」
「今、何が必要ですか?」
と馬鹿の一つ覚えのように質問する。

また、画面の下に
「関東大規模停電発生」とテロップが出たり・・・
訂正をすぐに口頭で伝えたが
鉄道関係者や電力消費の多い企業は
どれだけ毎日必死で節電していることか
涙ぐましい努力を繰り返しているのに
訂正しますの一言で終わりって・・・あり?

表現の自由があれば
何でも報道して良いのでしょうか・・・

報道番組しか現状を伝える手は無いわけで
マスコミは絶対に必要なインフラなのです。

だからこそ、
表現は慎重に
プライドを持って実行してほしいのです。

現場の被災者が
避難所で寒くて困っているのは、
電気も無く
石油エネルギーも無い現状を考えたら
そんなことはすぐにわかるはずです。

「何が一番欲しいですか?」とか
「暖かいものは食べれましたか?」とか
そんな無神経なインタビューしかできない
人間を現地に送る局もどうかしている。
担当記者も毎回変わるし・・・

電気のない場所で普通はテレビは観れない。

情報を伝えることが仕事なら
テレビが映らなくても
被災現場の現状を宮古はどうだとか
釜石はこうだとか
被災の現状の横の連携を
伝えることをどうしているか
それを報道すべきではないでしょうか?

また、報道は
現場の現状を
被災者以外に伝えることも重要だと思います。

しかし、
ガソリンが届かないとか
食料が届かないとか・・・
一口に言っているだけで・・・。

その原因を究明し報道することで
どこを改善しなければいけないかの問題提起、
それを報道することが
本来の役目ではないでしょうか。
救助物資の搬送ルートのここが問題とか
ここまで解決したとか
明日の何時には解決するとか
港の修復状況はこうだとか
そういう映像を流す方が
どれだけ希望を与えられることか・・・

同情や安易に注目を集めそうなことや
他局と同じく「災難をエンタメ風」にやって負けてはならないとか
意味不明なことに信念を持っているよう見えるのです。

被災者のためとかなんとか言っていて
本当は視聴率のためで
自己満足ではないのでしょうか。

確かにその境界線は難しいと思います。
こんなことを言っている私も
主観的に捉えて表現しているわけで・・・

現場では不眠不休で
一生懸命報道の仕事を頑張っている人ばかりだと思います。
暖かい部屋でテレビを観ている私は
文句を言う資格は無いかもしれません。

ただ、
人というのは
本当に
その人の悲しみや苦しみ、辛さ、
または欲することを
その場で実際に経験しなければ
わからないものだと思います。

例えばこんな発想はどうでしょうか。

 被災地はものが無い
  ↓
 困っているだろう
  ↓
 救援物資を送る
  ↓
 送った人は満足

 しかし、
 被災地には保管する場所がない。
 ゴミ箱も無い。
 電気が無い。
 調理器具が無い。
 よって、
 カップ麺やレンジ用パックごはんを送っても
 意味がない。

たぶん
こんなことは無いだろうけど
これに近いことは無いでしょうか・・・。

ボランティアも同じなのですが
褒められたいという自己満足で来ているのでは
そう思っている人もいると言うことです。

今後の報道によっては
すべての人が疑心暗鬼に陥る可能性もある・・・
でも、やっぱり信じて黙って見守ることも
時には必要なことかもしれません・・・。

。。。。