役所 信太のひとりごと。。。(カウントダウン365×4→0)

旅先で感じたことや報道など私的に思うこと

第90日8月15日個人の意見

2009年08月15日 23時11分57秒 | Weblog
今日は終戦記念日。
「敗戦」ではないところが日本人らしい。
各地でいろいろなイベントが開催されています。
テレビでもいろいろ論議されていますが
「侵略論」に沿った価値観が日本国民の根底に住み着き
「共栄圏論(脱白人植民地主義)」は
みじんも感じられないですね。

とにかく
戦後教育は
平和、平和の連呼で
その「真の中身」や「真の時代の検証」は
全くなされずに平成の世に来てしまいました。

「日本は悪かったから負けた」

そればかりが刷り込まれ・・・。

なぜそういった状況に
世界がなってしまったのか、
各国の陰謀はなかったのか、
うそやねつ造で
真実がゆがめられていたのではなかったのか、など
検証も振り返ることもなく
多くの日本国民は今に至る・・・。

通州事件、盧溝橋コミンテルンの策略、
浜松事件、富阪署襲撃事件、直江津事件など
知る由もない・・・。
昭和17年代でも18年代でも
内閣が組織されて
国会が開かれていたわけで
新聞も機能していたわけで・・・。
なぜ検証されないのか・・・。

マッカーサーの回顧録やフバー大統領の回顧録など、
なぜもっと取り上げ検証しないのか・・・。
ウォーギルトインフォメーションプログラムの詳細や
戦後に表に出たハルノートなど
もっと積極的に取り上げ示さないのか。

もう一度言う
なぜ検証されなかったのか・・・。

歴史教科にして教育しても良いのに・・・。


なのに・・・

戦後の日本は「平和な国」だとテレビでは連呼する。

平和な国家、日本。

自国民が誘拐・拉致されても
取り返しにも行けない国なのに
領土が不当に占拠されても
放置しているだけなのに
平和な国・・・だという。

確かに一面では
自国の国家元首に対し
「天皇制反対」などとデモまで開催でき、
どこでも自由に発言できる
そんな国は
この国だけでしょう。

確かに平和だ・・・。

そして・・・
平和といわれる憲法を備え
「法治国家」として
戦後、短期間で経済大国になりました。

平和な国・・・。

国家間の紛争解決に
戦争を放棄しています。

人間がすべて善良だと仮定すれば、
「すべて人は話せばわかる」
そう仮定すれば、

表面上では
「理想の国家体型」だと思います。

衣食住に困らないという意味に限定すれば
今現在の平和な国、
日本に生まれて
私は幸せに思います。

下には下が居るわけで、
文句を言ってはいけないのでしょうが・・・。

そう考えると自分の心の中には矛盾が存在する。

ひとつは
大人になって複雑になった感情。

もうひとつは
理想主義に教育されていた中学生時代の感情。

特に中学時代の感情を思い出すと・・・

今でも心のどこかに
当時の「甘い理想」が存在することも事実です。

甘いのかどうなのか???
一応
考えを書き記すとします。

どう書けばいいのか・・・。

・・・、

私の生まれた現代日本は、
戦後の荒廃から復興し
経済も発展し
教育もそれなりに行き届いてるように見える。
しかし、
日本を取り巻く世界をみると
宗教対立や難民問題、
食料やエネルギーの争奪戦等
国際紛争の山・・・・。
幾多の難題を抱え混沌としています。

報道機関を信用するならば、
自国の利益のために
他国を武力で侵略するということは
数が減ってきています。
が、
こういった有事のために
各国軍備を保持しています。

そんな世界で、
核兵器という軍備で威嚇しあって
抑止力が保たれていると思っている人もいます。

日本では非核三原則があり
核の平和利用以外は放棄しています。

先日
核保有最大国のアメリカ合衆国オバマ大統領が
「核軍縮、
 そして、核兵器の廃絶を目指して
 平和な世界を構築して行く」
というような演説をしていました。

例えそれが
「デマカセ」でも
「よくもまぁヌケヌケと言いよるわ」感があっても
理想的主張としては
望ましい発言だと思います。

ただ、
この発言が原因で
アメリカ合衆国が今後どうなるかはわかりませんが・・・。

一方、
日本では、
麻生首相が
「アメリカの核の傘の中に守られていたから
 安全保障が保たれている」と
話していました。

戦後、
吉田茂首相が
日本の戦後復興には
アメリカの庇護が欠かせない
という趣旨の発言をしていた事を思い出しました。

当初は
そうであったかもしれません・・・。

月日が20年、30年と流れ
日本が経済大国になって・・・、

アメリカが双子の赤字で苦しむようになって・・・、

時代が流れて・・・。

そういった時代になって
もしも
有事が起こっていたら・・・、

本当にアメリカが
日本のために
アメリカ国民を派遣してまで助けてくれたかどうか。
例え条約があっても
本当に守ってくれたかどうか
私には疑問です。

何故なら、
戦争ばかりしている国アメリカは
何か自国の利益になる場合しか戦争はしないからです。
裏には天然資源や製品の売り込み先などが
必ず絡んでいるという事です。
それと・・・
もうひとつ・・・。
アメリカ白人には
白人至上主義がどこか頭の片隅に残っているから・・・。
キリスト教にのみ忠誠を宣誓していることと
この宗教の生い立ちを鑑みると、
黄色人種は家畜同様で
人の形をした化け物程度にしか思っていないところがある。
だから
他国の黄色い人種のために
海を渡って助けには来ない。

個人的な意見ですが・・・、

日本が昭和20年を最後に戦争にならなかったのは
アメリカに守られていたからではなく、
実際に今まで
日本は「ラッキーだっただけ」
であって
「アメリカに守られていた」とは
私は思いません。

何らかの形でアメリカの核が
日本を守っていたということを
完全に否定はしませんが
ただの幸運、
そして
都合の良い偶然が重なっただけだと思うのです。

だからといって
「日本も核武装しろ」と
言っているのではありません。

日本の自衛のための
核配備に賛成の日本人が
多く出てきている事実があります。

アメリカの傘の中でなく
自国で武装しなければならない時期に
来ているという議論があります。
公に議論する場があっても良いと思います。
多くの日本人は
議論することすらしないですが・・・。

独立国家の外交・国防として
自国で行うのは当然だと思います。

でも
何故か「当然」が日本国内では「異常」になる・・・。

非核三原則に戻って・・・
この原則は大変価値ある原則だと
私は思います。
理念としては重要だと思います。

ただ、
現実問題
持ち込ませずの原則が崩れていることは
周知の事実ではあります。

日本が核を持たない事の重要の意味は
唯一の被爆国であるということです。
昭和20年に被爆し
一瞬にして数十万人の人が亡くなり
しかも
短期間に2回も落とされ・・・。
その後も放射線の影響で多くの人が
苦しんでいます。

戦争が終わっても
ずっと後遺症は続く・・・。

科学技術が更に発展し
1つの核兵器で
地球が消滅してしまうこともあるかもしれません。

そんな核を持つことが
独立国家の国防でしょうか・・・。

核に頼ることだけが
平和を維持していくことに
貢献する唯一の方法ではないと
被爆国だから
核の恐ろしさを主張できるのではないでしょうか。

世界は、
人が集まり集団を作り、
元をたどれば
人間個人個人で
成り立っています。
どの人間も
両親から生まれ
子供を手塩にかけて育て
慈しみ育て躾けていき社会を形成し
生活をし生きています。

躾けの中で
親が平和を望むのでなく、
「やられたらやりかえせ」
「武力には武力でやり返せ」と
躾けているのでしょうか。
外は危ないから
自衛のために
ナイフや銃器を携帯し
身を守るように躾するのでしょうか。
それに対抗しなければならないから
手榴弾や自動小銃を携帯するように
仕向けるのでしょうか・・・。

極論過ぎました。

たぶん、
知識や学力、
応用力、
さまざまな技術、
体力や経済力等を中心に
身に付けていくことを子供に学ばせるでしょう。

これが国になると
軍隊であったり
核軍備であったり
他国を意識して
それ以上の武装することをしてしまう。

私が
日本が目指してほしいのは
「憧れられる国」になってほしいということです。

科学技術や学力、
知識、
語学力、
経済力、
食糧自給や飲料の保有、
医療体制や社会保障制度
理念や行動力、
スポーツや娯楽、
食、文化、武道、
何をとってもすばらしいという
世界が羨むような人間が集まった
「そんな日本」を
目指してほしいと思います。

そして
困っている人には
ボランティアの精神で助けていくという
「頼れる人の集まり」に
なってほしいと思います。

現実問題、
大変難しいとは思いますが、
「武力だけが、
 平和を維持する力を保もつ」という考えが
間違えていたと
諸外国が思うような国家を構築してほしいです。

ただ、
間違えてほしくないのは
自衛隊や警察を否定するのではないということです。
現実社会を否定するつもりはありません。
左翼や右翼の話をしているのでもありません。

理想主義だけでは
現実社会での国家は存在できない。
十分わかっています。

日本国憲法の不備も重々承知しています。
どうやって国民を守るか何の規定もない。
犯罪者が「国」だったら
解決手段に日本は何の手出しもできない。
ならず者国家でも
テロ国家でも
「話せばわかる」としか解決策が打てない現状がある。
信じられないくらい
「無防備な国」であることも十分分かっています。

それでも理想として
どれだけたくさん殺せるか
でなくて
どれだけたくさん楽しいことがあるかで
魅せてほしい・・・。

やはり
あまちゃんな理想でしょうか・・・。


。。。


第89日見方を変えて

2009年08月15日 00時25分25秒 | Weblog
今日東宝シネマで2本映画を観ました。
GIジョー、アマルフィ。
めちゃめちゃ混んでいました。
夏休み中とシネマズデーで
1000円で鑑賞できるためでしょう。
子供がすごい多かった。

休憩時間中、喫煙室へ行きました。

ここの映画館は
畳3条くらいの冷暖房の効いた部屋。

最近の喫煙場所にしては
とても快適にできています。

ここのところ
喫煙所はどんどん撤去されて
雨風吹きさらし
直射日光当たる最悪の場所が多くなっています。

そんな快適な喫煙所、
数人が吸っていました。

たばこを吸っていると
2台の電動空気吸引機の
間から
ひょこっと
5つくらいの子供の顔が・・・。
30センチの隙間もない小さいところから
出てきてニコニコしてるんです。

そして、またすぐに隠れて
しばらくして
また出てきてニコニコするんです。

2台に電動空気吸引機の隙間で
かくれんぼでもしているみたいです。
空気、
たばこクサイのに気にしてないみたいです。

この子供を見ていて
ふと気がつきました。

大人にとっては
ただの喫煙所。
でも子供にとっては
なんでも遊び場に変わってしまう。

見方を変えれば
狭い隙間も
隠れる格好の場所に変わる。
どこでも楽しめる子供はすごいです。

トヨタのCMで
子供なのに店長~というメロディに乗って
赤いブレザー姿の子供がトヨタの販売所で
巻き起こすエピソード、オチにいつも
母親役の飯島直子に怒られるCMを
思い出しました。

ただの車のCM。
でもそれだけでしょうか・・・。

どこでもなんでも楽しめる
子供目線で見方を変えて
既成事実に捕らわれず
今、ここにある現実社会を
違った見方をすれば
また違った意味で楽しめる
何かを見つけられるかもしれない。

そういっているCMなのかもしれません。

大人の見た悲観的な
不景気で住み難いと決め付けられた
社会観を、
固定観念を捨てて
角度を変えれば
楽しい機会が
たくさん転がっているかもしれない・・・。

トヨタのCM
作った人ってやっぱりすごい。
奥が深いな~と
感心しました。


。。。