歌手やーい!ただし移調譜が正しく書ける人

ピアノ奏法の研究をずっとしてきたのよ!私は!

人類は太古から変わらない

2018-03-15 | 日記

”善人は生まれ変わっても又、善人で、悪人は生まれ変わっても又、悪人”と他人のブログに書いてあった。そう言えば、どうして青魚の私にとっては蕁麻疹が出た時期もあった、鯖の料理だらけのブログや記事を目にするのだろう。すると「十戒」と言う映画に'When you laid siege to the city of Saba.' が出て来ていた。こんな所にまでサバがある。それもサバという町を包囲攻撃するのか、サバという町に包囲されたのか私の英語力不足とおまけに日本語訳がここの所だけ抜けていて、よくわからない。でも、この後、’敵の撒いた毒蛇を鳥を使って片づけたそうだな’ につながるのである。人類は太古から、ずっと変わっていない。私も昨日は一日中、電気炬燵でパソコンを見ていた。怠けていた。このように私はまぐれ人生である。だから、役人や身体を酷使出来る人や国際的に活躍している著名人や財界人を見ると、系統も人種も自分とは違う感じがするのである。”ダンボ”というディズニー映画に出て来るダンボを取り囲むいじわるゾウさん達の会話 What did I do? Did I say anything?「私が何か言った!」 と抜け抜けと言える所が私にはとてもできない、ない所である。けっこう性悪自分がどこかへ行ってしまう本質がやさしい所がある。本質が汚い人は顔付も卑しくて醜い。もう、太古から同じで変わらないのだろうか?では、私が良い人かというとそんな事は絶対ない。私より皆様の方が感情が溢れて豊かである。それに人生を育くむ努力もなさっている。私は真っすぐで曲げないから、一途であっただけである。子供の頃から、まぐれだらけで生きて来たような気がする。どうも、ぼーっとしていたら窮地に立たされてばかりだったみたいだ。ブログを書きだして、なんか気付いた始末である。よく切り抜けられていたなと感心している程である。これは私の両親だって、そうである。ぎりぎり踏ん張っていた。他人さんと本質が違う感じがするのである。風呂に入った後「世界人類が平和でありますように!」と祈りたい気分になっている。細胞をきれいにして頂戴!自分もそうだが他人さんにも余計な事だが、ぞっとして望みたいのである。宗教はこりごりでも、細胞をきれいにしたいのである。みな様も太古から変わらない、そのしぶとさをなんとかしてよ!と思ってしまう。

どうも解せない事が見えてきそうである。解せない人が私を取り囲んでいる。それも過去からずっと、用はない!

何でもつなげようと思えばつながる。ハンガリーという国も小国である。しかし、あの国は絶えず回りを窺って対策を立てている。よく云えば世界調和路線、悪く言えばニューワールドオーダーの手先である。すると英語にcoachがある(待ち合わせ場所、ハンガリーのある町だそうである)音楽にミュゼットという種類がある。音楽では舞曲名であるが、楽器名でもあるらしい。英語にmidgetがある。「小人」と言う意味である。私にはこの小人が一番ピッタリくる。何が貴族階級の笛だと感じてしまうのである。このように、なんでも勝手にリンクして考える事が出来る。人間はどうもそうなっているようである。

頭に入らないのである。mooseヘラジカだそうである。とても覚えられない。ムースというクリームのようでプリンのようで、ケーキのカサ上げのような代物=化け物と覚えよう。

buzzardノスリ・タカだそうである。昨日のブログの鳥はキジバトではなくてノスリだったかもしれない。とにかく4年前のあの日、大きな鳥で不気味だった。

 

コメント
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