Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

嫌な自分との葛藤

2021-04-10 02:28:08 | ひとから学ぶ

 もう20年ほど前のこと。入社したのはわたしの方が早かったが、「年功序列」社会だから年齢が上の彼は、確実にわたしにとって上司にあたることは、役付きになってからは変わらない関係となっていた。当時久しぶりに同じ部署になって、彼の人柄はうわさにも聞いていたが、「温厚」でよく相手のことを考える人当たりのよさは彼の顔でもあると感じ取っていた。もちろん役付き世代になっていたので、わたしから見れば「上司」だった。ところが、彼は自分より若い世代の「囲い込み」をした。どちらかというと思ったことをすぐに口にするわたしは、彼の人柄から見れば「囲い込み」できないタイプだと悟っていたのか、「声をかけず」、ほかの部署内の若者を誘って「飲み会」を行った。当時の部署内の若者全員に声を「掛けた」のではなく、「好み」なのか声を「掛けやすかった」人たちだけを「囲い込む」ような声がけだった。こういうケースでは、声を掛けなかった人には「気がつかれないように」やらないと仲間関係にひびが入りかねないのはたやすくわかること。彼はそうしたつもりだったのかどうかはわからない。しかし、その飲み会は、みなの雰囲気ですぐに判明したことだったし、なぜわたしに声を掛けなかったか、についてのうわさも耳に入った。説明上は「忙しいようだから」だったようだ。

 彼のこうした「囲い込み」に年下のわたしが憤慨したのは言うまでもない。ちょうどわたしが異動の時期だったということもあり、引継ぎのこともあって確かに忙しくしていたことも事実だが、まだまだ会社では「これから」という時期だったから、こうした仲間はずれはこころに響いた。異動する際にわたしは、彼宛にこのことを批判した手紙を渡した。彼からは何の反応もなかった。その後、彼とは一時的に会話を避けたし、顔を合わせても挨拶もしたくなかった。時を経て彼に世話になったこともあって、その際のことは申し訳ないと謝ったこともあったが、いずれにしても退職するまで立場が逆転することは「絶対ない」ことがわかっていたから、「うくまやらなければ」という思いがわたしの中にもあったからだと、今考えてその後の関係修復の理由を解いている。

 以後20年近く、彼が退職するまで同じ部署で働くことはなかったので、修復された関係は、わたしにとって良き上司という解釈であったと思う。ところが2年ほど前のこと、彼の人事異動にともなって、彼は退職によって逆転した立場をわきまえず、人事担当にホットラインを繋いだ(今まで再雇用制度もなかったので、「退職」=もう二度と同じ空間で働くこともない、だったが再雇用制度が始まって世界は変わった)。きっとその人事担当も彼にとっては「囲い込み」の一人だったのだろう。彼にとって「囲い込んだ」人間は仲間なのだろう、結局20年前を思い出させる行動を、彼は再び繰り返したのだ。あのとき感じた彼の人間性は、「今もって変わらない」、そう感じたわけである。彼がこのことについて「悪かった」と悟って謝らない限り、わたしは「許せない」と思ったわけだ。この春の人事異動に伴って、彼の案件は社内でも重要事項となった。人事担当からは、案件の良好な解決のためにと、わたしにその処理を託された。2年前の彼の「行い」を「悪かった」と一言お詫びしてもらえれば済んだことなのに、彼は自分のしたことが「悪かった」とは少しも思っていないどころか、温厚なふだんとは異なる顔を見せ、わたしを驚かせた。「わたしの言葉など理解してもらえない、そう思ったわたしの落胆は大きく、この先彼と一緒に働くことになることを想像すると、その「傷」はわたしのこころに痛みを覚えさせた。

 温厚で「囲い込み」を繰り返してきた彼の人間性に、異を唱える人は多くない。むしろ築き上げた「人柄」は、裏の顔と違って(そもそも彼はそれを「裏の顔」だと気がついていない)多くの人に認められている。しかし、繰り返された彼の行為は、わたしは許せない。それがわたしの「こころの声」として顔に、態度に出てしまう。同じ部署になってまだ数日ではあるが、彼に対して「嫌な自分」を自らわかっていながら演じてしまうことに、こころは重たく、ただいるだけなのに彼の存在はこころの中で膨らんでいく。こんな経験は、長い人生で初めてである。精神的にどうなのか、まだ始まったばかりで、この後のことはわからない。


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