Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

お仲人さんの葬儀

2022-04-14 23:42:32 | つぶやき

 今日は仲人をしていただいた方の葬儀だった。93歳であった。仲人さんとは血縁はなく、そういう意味ではけして近い縁ではないものの、わたしの小さな頃から祖父母のように慕っていた方の息子さんである。とはいえ、高校の先生をされていたため、あちこち赴任されていたので子どものころ仲人さんと会うことはほとんどなかったのが実際のところ。次男であったわたしが結婚する際には、仲人は「この人」と父母はずっと決めていたようで、仲人さんの父母とは親しくさせていただいていたが、実際は仲人をしていただ後の縁であった。

 相変わらずのコロナ禍ということもあり、身内だけの納棺と葬儀ということであったが、仲人子ということもあって葬儀には参加させていただいた。自宅はわたしの生家と同じ地域だったこともあり、仲人さんの父母が健在のころは何度となく行き来をしていた家。退職をされ仲人さんも自宅に入られていたが、健康を害し娘さん夫婦のところへ移住された。その先が穂高であったこともあり、以後はなかなか会うこともままならなくなったわけであるが、とりわけコロナ禍にあっては、訪問することも容易ではなくなってしまい、お会いできたのはコロナ禍直前のころだったと記憶する。

 息子さんは遠く岩手で暮らされている。遠いということもあるがコロナ禍のため、ようやく長野まで会いに来られたのはこの正月過ぎだったという。しかし、ショートステイをされていたため、施設では直接会うことは叶わず、窓越しの再会であったよう。とりわけ施設より集団感染が発生している状況下では、そこにお世話になっていると「会えない」という状況は今もって変わらない。もちろん遠隔地ということもあり、臨終には立ち会えなかったわけである。もともとの家は飯島、娘さんは穂高、息子さんは岩手、とそれぞれ遠隔なため(生家はすでに処分されているが墓地は飯島)、葬儀は現住所の穂高で、四十九日後の納骨は飯島で、となかなか難しい選択がこの後も残される。葬儀に参列してわかったことは、長兄であった仲人さんにはほかに6人の兄弟がおられるが、皆さん健在で葬儀に参列された。本家のいわゆる従妹にあたる方も参列されたので、娘さんと息子さんの家族、そしてわたしをのぞくと、その平均年齢は90歳近かっただろう。我が家の系統とは違いご長寿の血筋である。子どもさんがいわゆる地元に住まわれていないということもあり、なかなか会えない兄弟の方たちが懇談できる機会が持てればという意図があったのだろう、最近では珍しい精進落としが設けられた。葬儀場から注ぎ合わないように、歩かないように、という注意があって、みなさんと親しく会話をすることができなかったが、兄弟の皆さんはそれぞれ近くに座られて、懐かしい話に盛り上がられていた。これも初めての経験だったが、祭壇の前で兄弟の皆さんで写真が撮られ、さらに参列者全員で写真が撮られた。やはり時勢はなかなか会えないという空気があり、さらにはみなさん高齢だという事実。長兄の葬儀を機に「会えた」という気持ちがあちこちに垣間見えた葬儀であった。


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