信州新町太田川沿いで見つけたノジュール
左右礼をあとにし、太田川まで下ると西部公民館に向かって太田川沿いを下った。西部公民館から細尾への道筋でも考えていたのは、このあたりでは露出している地層をあちこちで見かける。それらは中新世の堆積岩の岩盤であったり、それらが風化したもの、あるいはまだ完全に堆積岩になっていない地層、といったさまざまな姿を見せるわけだが、ときおり層の中に玉石のような形を垣間見るとき、「ノジュールではないか」と度々車を停めて層から崩落した石をこの日は確認していた。たまたま太田川沿いの地層で車を停めて見てみると、まさに繭玉型の道祖神のなりかけのような石を発見した。大きさは縦32㎝、幅17㎝と、道祖神に併祀されている繭玉石に近似している。地層にはぼこぼこと凹部が見られ、そこにあった石が転げ落ちたためにできた穴と思われる。落ちていた繭玉型の石は、たまたまくびれがあり、片方はほぼ球形、もう一方は角張った部分が残っている。しかし、砂岩であることから、いずれ風雨にさらされているうちには、角張った部分は削られるとも考えられる。あるいはどちらも球形にしようとすれば、少し手を加えればすぐにそれらしい形に成形可能だ。
とすると、こうした石が繭玉型の道祖神に扱われた可能性は高い。あちこちで車を停めて確認していてようやく見つけた繭玉石である。ということは、けしてそうした形のノジュールが頻繁に発見されるというわけではない。崩落土は粉々になっているものがほとんどで、石を形成していても角張ったものが多い。ようはこうした球形の崩落岩が発生することは稀だと言える。もちろん頻繁にある石であれば、祭祀対象にされなかったかもしれない。稀であるというところに、希少性があって、また崇められる対象になったと思われる。
このノジュールを見つけたことで、繭玉型道祖神の発生がある程度証明されたといえる。牧之原市の「子生れ石」について以前触れたが、生れいずるとノジュールの発生を見てとれば、安産や子宝祈願にうってつけなシナリオである。地層から繭玉石はポロリと生れいずる。好対象の自然発生祭祀物であることは間違いない。
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