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中条日高下五十里の道祖神

2022-04-15 23:37:50 | 民俗学

長野市中条日高下五十里の道祖神

 

 長野市から白馬へ向かう県道、七二会から旧中条村に入ったところに五十里という集落がある。土尻川と県道との間に下五十里があり、旧道と県道の間の小高いところに石碑群が建つ。「道祖神」とともに立つのは「庚申」と「蠶神」である。庚申塔は明治6年、蚕神は昭和15年の銘があるから、道祖神には銘文はないが字体が両者によく似ており、それほど古いものではなさそうだ。とくに「庚申」に近似していることから明治初期の造塔か。とはいえ、庚申には年銘が彫られたのに、なぜ道祖神には彫られなかったのか、という疑問はわく。「庚申」の横に立つ石には銘文がなく、この石はいったい何か。『中条村の石造文化財』(昭和63年)の一覧には記載がない。

 さて、見ての通り、ここの「道祖神」には五輪塔の残欠らしき石が三つ置かれている。繭玉型の自然石に対し、これらは明らかに自然石ではなく加工のされた石と言える。しかし、五輪塔の残欠としているが、果たして本当に五輪塔の残欠かどうかはわからない。部位としてとらえたとき、ほかの部位がそこらに転がっているわけではない。これほど宝珠の部位のみ道祖神に添えられていると、ほかの部位はどこに行ってしまったのか、と疑問がわく。そう捉えると「残欠」ではなく、もともとこうした加工石が造られたのかもしれない。繭玉型同様石にはくびれがある。いわゆる男根を想像させる。

 ここを訪れるきっかけになったのは、やはり前掲書である。石造文化財一覧にはこの残欠についての記載はない。ただ、掲載写真を見ているとそこにこれら残欠が見られたことがきっかけである。ちなみにその写真には四つの残欠が見られる。


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