Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

中井侍へ・前編

2011-02-22 21:41:54 | ひとから学ぶ

 あるトイレで久しぶりに旧三水村生まれの彼と会話をしたのが始まりである。たわいものない雑談の後、「中井侍に住みたい」という。本気なのだろうかと問い質すと冗談ではなさそう。中井侍というと天龍村役場の知人の生家があって、お世話になったことがある。ただ事ではないと思い、彼の中井侍紀行に付き合うことになった。彼曰く、昨年も飯田線を豊橋まで行き来したという。なかなか飯田線の旅を実践する者は珍しい。毎日利用しているわたしも、飯田線の県境越えは、高校生のころ以来足を踏み入れたことはない。もちろんあのことろと景色は変わっていないことはじゅうぶん知っているが、まず実践することのない飯田線の県境域への乗車。行って見たい、と思っていても実行することはなかなかありえないこと。それを彼のお陰でできると思ったときに、すでにわたしの中には「行ってみよう」という気持ちが芽生えていた。そもそもなぜ「中井侍」なのか。そして実は車で訪れるとことはあっても電車で訪れる、などとは考えてもいなかったことを実践することへの期待もあった。

  その中井侍紀行を今日行った。平日に行く、という話を聞いた際には気持ちが引けたが、そもそもわたしには仕事もプライベートもない。すべてごちゃ混ぜの人生を送っているから、平日といっても、どうということはない、というのが常の思いだ。ただ若干なりとも年度末の近づく中での焦りみたいなものもあるが、何よりきっかけがなければ実行できない行動だということに、わたしはすんなり受け入れた。彼は伊那から、わたしは自宅のある最寄の駅で乗車した。朝6時25分のことである。伊那市駅までの常の景色とは明らかに異なる。「これが飯田下伊那の景色」というものを少しばかり感じながら、彼とともに1日は始まった。それを押してくれるように天候も見事な快晴だった。

  時間帯が早いこともあって、豊橋行きのこの電車はワンマンカー。ワンマンカーということは、そもそも通勤通学時間帯のような混雑時には設定されていない。その通りまばらな乗客のまま飯田駅を過ぎる。このあたりから阿南高校の生徒が多くなる。ちょうど通学に良い時間帯に駅に着くのが阿南高校なのだ。その混雑を見通したように、天竜峡駅からは車掌が乗車し、ワンマンカーではなくなる。とはいえ、ほとんど昇降ののない駅を過ぎると彼ら、彼女らが降車する温田である。これより南の高校に通学する高校生はいない。だから温田でほとんどの乗客は車内から消える。かろうじて残っていた乗客も、平岡ではすべて降りる。ようはそこから彼との2人旅である。

  中井侍紀行とはいえ、この日湯谷温泉の近くまで足を伸ばす。中井侍を見送り、県境を越えて大嵐に停まると電車内に少しばかり賑わいが戻った。向市場を過ぎると、「渡らずの橋」という確かに珍しい鉄橋にいたる。第六水窪川橋梁と言われるその筋の人たちには有名な橋だというが、わたしにはまったく知らないことだった。彼に教えられて先頭でそのS字鉄橋を眺めていたが、確かに川の左岸側を走っていた列車は、渡ろうとした鉄橋を渡りきらずに再び左岸側に戻った。本来左岸側を向皆外トンネルで通過する予定だったが、地盤が悪く、回避した形で河川上にS字カーブを描いたという。大嵐以降少し賑わった乗客も、中部天竜駅で再び多くは降車した。この中部天竜駅で運転手は交代となる。運転手さんに聞くと、始発の駒ヶ根からここまで、4時間近く運転してきた様子。辰野-中部天竜間が業務区間で、どんな列車の運転手もここで入れ替わるらしい。その後乗客のまばらな車内のまま、目的地である三河大野で降車した。10:04のことである。

続く

 

 

岡谷-天竜峡間だけ必要な道具なれど、豊橋まで運ばれる

 

 

平岡駅で

 

 

第六水窪川橋梁

 

中部天竜での運転手の引継ぎ

 


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