板敷川(宇連川)
映し出された亀の甲羅
三河大野で降りたのには理由があった。同行の彼が昨年豊橋まで乗車した際に、車窓に浮かんだ宇蓮川の景色を印象強く抱いていたからだ。流紋岩が川底に板のような状態で露出していて、別称板敷川と言われる渓谷美を見せるという。当初から湯谷温泉まで行ってから引き返してくると言っていた彼の理由はそこにあった。温泉を目当てに行くという狙いではなかったのである。板敷といわれる景勝について調べてみると、本長篠から湯谷温泉に向かって渓谷に入ってから三河槙原あたりまでの湯谷温泉の前後5キロ区間で見られる、という情報から本長篠まで乗ろうという話を彼とした。ところがマチを形成している本長篠ではしばらく歩かないと渓谷にたどり着きそうもないと感じて手前の三河大野で下車することになった。とりあえずここから湯谷温泉駅を目指す。
右岸側の細い道はほとんど車が通ることはない。三河大野駅北側にみるからに温暖な雰囲気を見せる集落があって、静まり返った家々にはこのあたりの特徴なんだろう、注連縄が飾られている。なにより生垣のように植えられた青々とした木々は伊那谷では見ないもの。ちょうどその木を出荷するのだろう70センチほどに切りそろえていた方に聞くと「香」の花だという。いわゆる仏壇などに供えるための青木なのだろうが、その時はその名で納得して集落を後にしたが、帰宅後調べてもこの香の花と言われていた樹木の正式名称が解らない。1年中出荷できるらしいが、「需要がそれほどないから」と言う。
さて、いわゆる板敷を目当てにしていたが、なかなか河床にその姿ははっきりと現われない。三河大野駅下ありたは湛水しているから下流にダムでもあるのだろう。その影響でしばらくは堆砂した河床が目に入る。きっとその下には同じように岩盤が隠れているのだろうが、それを追い求めているちに湯谷温泉街の間近まで歩いていた。温泉街と言うには少し閑散としているが、平日の昼間に人影はない。何より湯谷温泉駅前に営業を停止した旅館があるのも、この時代の映しえとも言える。次の電車までのまだ1時間ほどあるということで、さらに三河槙原まで歩くことにする。やはりここからが板敷川と言われる所以の始まりなのである。まもなく両岸を渡す細い橋が現われる。この橋の上から宇蓮川の河床を臨むと見事に「板敷き」というよりは「まな板」といった方が表現に合うかもしれない。そのまな板も川底すべてを覆っているような巨大なものだ。ここまで昨年の印象を強く語って歩き続け、その場所を確認しようとしていた彼の疑問を晴らすような景観がそこ現われたのである。疑問符が浮かぶ中での結論は、この板敷川の景観は、1日の中でも趣を違えるということだ。冬の陽射しの中では、日陰に沈む午前中は、飯田線の車窓からは黒い影に埋まる。時おり陽射しが差して川底を照らしても、印象深い映像にはならない。しかし、きっと夕方日も陰るころになると、この川底いっぱいに陽射しが差して、印象に残る映像を残してくれるのである。この日わたしたちが歩いたのは正午前。すでに川底いっぱいに陽射しが差していたが、きっと彼が昨年通過した夕方とは、また趣が違うのだろう。
橋の上から直下をのぞくと、そこには亀の甲羅状の影絵が描かれていた。緩やかな流れの中に、その影絵はまな板の上を次から次へと同じ模様をどこまでも描いていた。
三河槙原までさらに30分近く歩く。ちょうど昼時にその三河槙原に着いた。北側に風を遮るように山を背負った集落は、真昼の陽をしっかりと受け止めて穏やかな印象を与える。集落に抱かれたような駅のホームで、彼と昼をとった。川向こうには国道が走っているが、騒音も聞こえてこない。川の上を猛禽類が右へ左へと飛んでいた。この日の本来の目的である中井侍に向けた列車は12:14にやってきた。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます