Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

高路沢の亡霊塔

2019-03-18 23:04:05 | つぶやき

 

 かつて売木村軒川の「人馬亡霊等」について触れた。亡霊塔の脇に塔婆が立っていたことについても触れたが、この地域には石碑とともに塔婆が立てられている姿をよく目にする。信仰心の篤さがうかがわれるわけだが、亡霊塔については、下平武氏が『長野県民俗の会会報』41号へ「三遠南信の亡霊塔-怨霊信仰と供養の形を探る-」と題して報告している。その中にも軒川の亡霊塔について伝承があげられているが、「軒山集落で割腹自殺をする者、鉄砲で自殺、山仕事の事故で亡くなる者、川でおぼれる者、また馬も死ぬことがあったりと、不幸な出来事が続いたため、平安を願って集落が主体で建て」たという。いろいろな供養をすべてこれひとつに集約して建てたように見えるが、そうした多様なものすべてを「亡霊」として括っているところが特徴と言える。そう考えると、先ごろ触れた飯島町日曽利のお日待ちで立てられる御札も同じようなものと捉えられる。石碑として建てられたのか、あるいは毎年更新される形で御札が立てられるのかの違いとも言える。

 先日阿南町の高路沢という小さな沢の上流にある用水路の取水口を訪ねた際、その脇の道を上ったところで車をUターンさせたわけだが、そこにちょっと変わった空間が目に入った。石碑がたくさん並んでいて、多くは馬頭観音なのだが、目立たない小さな文字碑に「亡霊塔」と刻まれていた。前傾の下平氏の報告にもこの亡霊塔は掲載されていて、いわれについて(同書の記載は一覧表にされているが、欄を間違えて記載されていると思う、この碑のいわれは違う欄に記載のある)「新野荒木区の住人があいついで亡くなった 自転車の事故 死者が生者をひく幽霊が出たとの噂あり」とある。「亡霊」だから「幽霊」と絡むのだろう、下平氏によると、亡霊塔には幽霊が出たためにその供養で建てたという伝承が多いようだ。亡き(不遇の死を遂げた)霊を弔う、あるいは供養する、そんな意味がこの塔にはあるようだ。この地域に亡霊塔が多く存在するようだが、やはりそれほど古い時代のものではなく、江戸末期から大正時代ころまでのものがほとんどのよう。とりわけ三遠南信(「遠」ははずしてもよいのかもしれないが)に多いようだが、とはいえ夥しいというほどの数ではない(下平氏の報告によると南信に8基、奥三河に12基)。

 さて、この空間の主尊と思われるものは「馬頭観世音」。その脇にやはり塔婆がたくさんまとめられていた。塔婆に書かれている文字は「奉修高路沢馬頭観世音菩薩専祈国土安穏五穀豊穣所願成就如意吉祥修」とある。売木村長島峠にあった塔婆にある「奉回向馬頭観世音菩薩冀 家門繁盛 諸縁如意 吉祥塔」と祈願対象はほぼ同じである。馬頭観音でありながら、願いは多様なのである。

 もうひとつ、この空間には丸彫りの馬頭観音も祀られているが、稚拙なイメージを与える馬頭観音もあって、親近感を抱く。石仏とは必ずしも精巧な彫刻でなければならないというものではないことを像は教えてくれる。


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