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伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

須沢の霜月祭り(昭和61年の記憶⑨)

2019-12-16 23:52:18 | つぶやき

小道木の霜月祭り(昭和61年の記憶⑧)より

 

 

昭和61年12月16日撮影

 

 15日の尾之島(八重河内)には足を運ばなかったが、翌日の須沢の霜月祭りを訪れた。ここも翌朝まで行なうことはなく、15日のうちに祭りは終わる。はじめてなら神社の場所は闇夜にはなかなかわからないだろうが、須沢には仕事で度々訪れていたので、迷うことなく行くことができた。かつて「空から眺める⑥」の中でも触れたが、神社までの道を開けるべく須沢には行っていた。須沢だけではない、遠山では当時道が開いていない家々へ向けていくつもの道を開いた。まだまだ家まで車が入れないところはあちこちにあった。下栗のことは知名度が高いが、急峻な傾斜地に、人々は暮らしている。しかし、須沢の傾斜度は、それを上回るようなもの。下栗には緩斜面があるが、須沢にはそういった空間はほとんどない。全くの月明かりの中で、この傾斜地にある神社を訪れるのは容易ではない。そもそも道を走っていても、明かりがほとんど見えることはない。

 須沢の祭りを訪れてから10年余、平成10年10月1日、秋雨前線豪雨の際に大規模地すべり災害が発生した。7世帯11人が避難せざるをえなくなり、その対策が行われるまでしばらく時を経た。その年の霜月祭りはもちろんのこと、以降霜月祭りは復活することなく、現在に至っている。

 

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