Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

送られた人形

2019-03-27 23:33:21 | 民俗学

 

 五常倉掛のヒャクマンベーを訪れたあと、安曇野市明科の清水に寄ってみた。清水についても、これまで何度か触れている。とくに魔除け(3)では写真4枚を掲載した。平成2年3月21日に清水の百万遍を訪れたものである。倉掛のヒャクマンベーは、もちろん百万遍のことである。法音寺も百万遍であって、会田川沿いには百万遍と呼ばれている行事が濃密にあったことをうかがわせる。平成2年に訪れているということは、それからもう29年を経ている。「今でも行われているのだろうか」、そう思い寄ってみたのである。

 会田川からは崖上の別空間である清水であるが、ここでも戸数は減っているという。それでもIターンの方もいれば、ここで生まれてよその男性と結婚されて、「ここがいい」と言って新たに住まわれる方もいる。そうした方たちにも支えられて、今も百万遍は行われているという。この21日、お彼岸の中日の午後1時から始められたという百万遍。かつて訪れた時の記憶をたどって、人形が送られる集落境まで行ってみた。旧四賀村五常への昔の道だと言われる道を釜蓋の方へ歩いて行くと、まったく記憶になかったが、お地蔵さんが祀られている平に出る。そのまま少し進むと、会田川とともに、長野道の橋梁がよく見える高台に出る。すぐそこにもう隣集落の家が眼下に見え、まさに清水から見れば集落境とわかる。お地蔵さんの立つ場所について呼び名があるのか聞いてみたが、特別な呼称はなく、「お地蔵さん」と呼んでいるらしい。そのお地蔵さんの祀られている平の崖側をのぞいてみると、土手下に藁人形が点在して捨てられていた。数えると10体ほど。よく見れば朽ちたものも見えるから、昨年のものも残っている。かつて見た人形同様に、腰には刀を挿している。それぞれの家で人形を作って、百万遍に持ち寄るという。人形の数は異なるが、倉掛や法音寺のものと同系統のものといえよう。


コメント    この記事についてブログを書く
« 新野女夫岩の亡霊塔 | トップ | 阿南町の一石三十三観音 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

民俗学」カテゴリの最新記事