Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

水路が溢れるわけ 後編

2022-09-05 23:20:18 | つぶやき

水路が溢れるわけ 前編より

 
 6月に「草むらに覆われて」を記した。タイトル通り草むらに覆われた水路について触れたもの。前編で触れた溢れる水路の例は、どれほど管理が行き届いていても、溢水を防止するのは不可能な例であった。しかし、今回の例は管理の問題である。このところ「草刈をする範囲」についても言及しているが、水路際の草を刈らない光景には、明らかに地域性がある。ここでも何度も触れてきているように、同じ上伊那でも「伊南」と言われる南部地域の草刈は特徴的で、とりわけ飯島町は突出している。以前町長さんと話をした際にも、町長さんから「飯島の草刈はどうな」と問われた。おそらくあまりにきれいに刈りすぎることもあって、植生上「好ましくない」みたいなことも耳に入っていたのだろう、わたしにどのような答えを期待したかは分からないが、とりあえず「飯島の畔草管理は美しさという点ではほかに例はなく、景観という点では売りではないか」と答えたと記憶する。そもそも常に短くしているから、植生も丈の短いもの、例えば芝化して管理しやすくなる。確かに草刈り頻度も田に比較すると多いかもしれないが、突出することはなく長く伸びない草に画一化していく。したがって植生という面では多様化は失われる。先日も触れたとおり、ある伊那市内のほ場では草がほとんど刈られずにいるため、その中にワレモコウがたくさんなびいていた。飯島町の田んぼの畔にワレモコウを最近見た記憶はない。単純にほ場整備をしたから「無くなった」ではなく、管理方法がそうした植生を作り上げているといっても過言ではない。

 したがってよく管理されているから、当然水路際もよく草が刈られている。ところが「草むらに覆われて」で触れたような水路は、垂れた草が水路内に頭をもたげ、水流を阻害する。草の種類にもよるが、あまり良い傾向でないことは言うまでもない。そしてこれほど草が覆てしまうと、逆に草がトンネル化して、水路を保護する可能性もある。こうした覆われているケースも良好とは言えないが、草刈がされていても、阻害要因が残る例は頻繁に目にする。先日も草刈がある程度されているにもかかわらず、道へ用水が溢れていた。水路脇に根が張る草があって、その根が水路内を這うように水路天端あたりを席巻する。したがって水路断面を侵すのはもちろんのこと、流下してきた草がそこにたまってしまって溢れるのである。草刈した草が流れ下って溢れるケースも多いが、そもそも水路際の草が水路内を侵して水路を溢れさせるという例も頻繁だ。「溢れる」と言うから見に行くと、水路の構造上は問題なく、管理上の問題であるケースは多い。そして「管理が悪い」とは容易に言えないのが、今の農村問題の根底にある現実だ。

 先日も「これから草刈」と思える準備をされている方が、自らの田んぼのある場所から少し下って行って、何かをしているようだった。行ってみると下流の暗渠の口に網を置いて、刈った草がそれより下に流れていかないように細工していたのである。実はこうした配慮をする人は、今では少ない。大量に流れ下った草が、見えないところで水路を塞いでいるということもよくあること。それと最近は自走式の草刈り機を利用する人が多く、そうした人の中には平らな刈りやすい部分だけ刈って、水路際や構造物の際はそのまま、という人もいる。もはや草刈意識は地域性の何物でもない、という感じだ。


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