Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

水に対する意識

2006-05-12 08:11:18 | 歴史から学ぶ
 ふたたび『信濃』最新号(675)の論文から興味深い話をひとつ。「高冷地をめぐる諸問題、土地利用の戦後史」と題した吉田隆彦氏の記事に、飲料水にかかわる意外なる事実が述べられている。現行水道法によれば、私・公営の別なくすべての水道施設を持つ飲料水供給者に施設と水質の厳格な検査と給水量の報告を義務付けている。そして公営水道の給水量をみた場合、給水人口に対する年間必要水量と実際に給水した量の比率が1.0であれば計画給水量と実際の給水量が同じだったということになる。いくつかの市町村の公営水道のそうした比率をとりあげた表をみるかぎり、0.71から1.35の範囲に入っている。もっとも大きなものでも軽井沢町営水道の1.35である。もっとも大きいということはどういうことかというと、計画に対して実際が多ければこの数字が1.0を上回ってくる。したがって軽井沢町の1.35という数字は、計画量に比して実際の使用量が若干多いわけで、軽井沢町という立地が影響している、ということをまず認識しておいて次の例に入りたい。

 公営とは異なり観光地の簡易水道の給水状況を同様に必要水量と実際の給水量で比率にした表が添付されている。それによると、さきほどの公営水道の数字とは明らかに違う数字が現れるのだ。ここで必要水量の算定が正しいかどうかということは別としてみれば、その数字は1.02というきわめて1.0に近いものもあるが、ほとんどが2桁以上の数字を見せる。そして大きなものは250とか400という数字になる。まるで水道管が漏水しているのではないかというほどの数字である。400.7を示したのは黒姫高原別荘地で、250を示したのは蓼科高原別荘地である。これらは簡易水道ということから、開発業者がそれぞれ井戸を掘って水源にしているもののようで、公営水道から分けてもらっているものではない。

 吉田氏はさらに、公営簡易水道から給水している別荘地の給水状況を別の一覧としてあげており、それによると、数字は前者の例にくらべると3.19から73.6と小さい。そのうちの73.6という数字を示した山ノ内町志賀高原のものは、特殊事例のようで、それ以外のものはほぼ1桁代の数字を見せる。この公営簡易水道がなぜ数字が小さいかというところを、次のように説明している。立科町の白樺湖などの水道は、その用水源とされる地域は川西土地改良区連合の支配下にあって、用水開発に携わった黒澤嘉兵衛や六川長三郎という歴史上の人物の権威によって封建的な水利用の掟が継承されてきたわけである。そうした封建的な掟は、井戸掘削などの乱開発を抑えてきたわけだ。ようは、水利用にたいしての農民のシビアな感覚が、こうした別荘地あるいは観光地の水源を守ってきたということになるのだろう。そのいっぽうで山を隔てた茅野市側では大河原事件(1963年)を発端として、水理紛争が起き、井戸掘削が無秩序に行なわれてきたようだ。八ヶ岳をはさんで南側は、水利用が計画に対して異常に多く、北側は計画に対して若干多いという結果を表したのだ。

 ここで、農民の水利用に対する異常なまでの意識が、「水」というものの環境を守ってきたことに気がつかされたことと、別荘地においては節水などという言葉はなく、無限に使われているのだということがわかった。長野県という自然豊富な地域が、都会人の、あるいは金持ちによって巣くわれることのないようにと願うばかりだ。

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1 コメント

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Unknown (かれい)
2006-05-12 22:52:47
こんにちは、

私は個人で飯田下伊那に関係したブログのリンク集を作っておりまして、ご存知かも知れませんがこちらのブログのリンクをさせて頂いておりますのでれんらくさせていただきます。(もしリンク削除を希望されるようでしたらリンク集のサイトの「お問い合わせ」等から連絡いただければ削除いたします)

飯田下伊那のブログリンクサイト「フルーツカクテル」

http://fruit.kareido.com/





ほかの方には「いつも楽しく拝見させていただいています。」なんて書いているのですが、ここのブログは書き込に量もすごいのですが内容もしっかりしているので、楽しく拝見、、、ではなくいろいろ勉強させて頂いております。



(なお、このコメントはリンクさせて頂いている報告のコメントなので削除してもかまいません)
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