息子にとっては、視力回復への努力は長いこと続いている。初めて視力が低下していることを知ったのは、小学校に入って間もないころだった。学校の視力検査で医者に行ってください、といわれびっくりして医者に行った時から始まる。医者では「直らないからメガネをかけてください」とストレートに言われた。自分もメガネをかけているが、あまり小さいうちからメガネをかけるとさらに視力低下を起こすという先入観もあって、そんなことを質問してみたが医者はおかまいなく「それはそれぞれの考え方ですから」と冷たく返された。ようはすぐにでもメガネをかけた方が子どものためになる、ということを言いたいのだ察知したものだ。ちょうど学校での視力検査が終わったころなのだろう、医者には子どもたちがあふれていた。息子の学校からは20キロ以上離れた眼科だったにもかかわらず、同じ学校に通う子どもの姿を見るほどで、世の中目の悪い子どもたちが多いんだと認識した場面であった。
母の友人にもそうした子どもたちがいて、そんな現実をどう打開すればよいのだろうと相談していたようだった。そんななかで視力回復への努力をしてみる、という結論にいたり、とりあえずメガネはかけず、学校では前の席に座らせてもらうというような配慮をしてもらった。それからつづく視力回復への道だから、もう8年以上になるだろうか。
もちろん今も回復はせず、むしろ低下した視力ではさまざまな支障もあるということで、中学に入ってからはメガネをかけるようになった。その判断が悪かったのかどうかはなかなか難しい。もともと目には難点があった。まつげが長かったのかあるいはカールが目の方に向かっていたせいなのか、ものを見難いというしぐさがあった。それが姿勢に影響してくるのだろうか、前かがみになる。字を読むにも見えないわけではないのだろうに目を近づける。そうした慣れが身についてから第三者に指摘してもらっても我々の努力が否定されるだけだから、そうした第三者の声は聞かないことにしている。メガネを購入する際に眼鏡屋さんに「目を近づけるということは姿勢にも影響するし、親御さんがメガネをかけさせたくない、という気持ちがむしろ視力低下に拍車をかけている」というようなことを言われ、正直いって応えた。そうかもしれないが、結果だけみてしまうと情けなくなってしまう。だから何を言われようと耳に栓をするしかないのだ。
まず当初は視力回復センターなるものに通った。長野県内にはなく、豊橋まで何回か出向いた。視力回復を兼ねた小旅行のようなものになっていった。息子がお城が好きだったということもあってそのころ豊橋城や岡崎城、小牧城なんかを訪れた。お城とくれば戦国時代だから、一般道を豊橋まで向かいながら長篠の古戦場も訪れた。そんなことでもしなければ、高い旅費をかけることへの抵抗は補えなかった。
なかなか回復しないこともあって、母はさまざまな回復に効用のあるような機械も検討したりした。富山によい医者がいるということで問い合わせたが、15歳くらいになるまではダメだといわれ、とりあえずそこで勧められた回復用の機械はもう5年ほど前に購入した。今でも利用している機械はそれだけだ。確かに疲れた目を元に戻すような訓練には向いているのかもしれない。回復センターは息子には向いていないと気がつくと、回復訓練から治療に方針を変更した。世田谷の針治療の医者に通ったのも5年くらい前のことである。ほぼ1年近くの間、月に1度程度通ったものだ。公共の交通を使っても行けないわけではなかったが、場合によっては日帰りもできないというなかで、常に自家用車での通院であったから、1回行ってくると治療費と旅費で2万円以上という負担であった。予約をとって行くというなかでなかなか都合がつかなくなってその通院も途絶えた。今はあきらめているというのが現実ではあるが、さらなる視力低下をさせないために、機械による訓練は続けている。まもなく15歳ということで、今年は最後の期待をかけて富山まで行くという話をしている。
結局努力はしてもダメだったという話はあちこちで聞く。息子の場合も同様の結果かもしれない。そして努力は無駄なことであったと、結果は示しているのかもしれないが、何もしないよりは努力しての結果だから納得はしている。初めて医者に通った際に言われたように、「いろいろしてもダメだからメガネをかけなさい」に従ってしまうことへの抵抗が今につながっている。では眼科は何のためにあるんだ、と言いたいほどではある。日本では視力回復に向けた手術は行なわれていないのだろう。いやできるとしても保険治療ではないのだろう。眼科はどこへいっても盛況だというが、こと近視にかかわって眼科を訪れることほどむなしいことはない。
パソコンの普及によって視力の悪化が現実味を帯びている。どんなにそんな環境にあっても悪くならない人は悪くならないようだ。どういう資質があれば低下しないのか、知りたいものだ。
母の友人にもそうした子どもたちがいて、そんな現実をどう打開すればよいのだろうと相談していたようだった。そんななかで視力回復への努力をしてみる、という結論にいたり、とりあえずメガネはかけず、学校では前の席に座らせてもらうというような配慮をしてもらった。それからつづく視力回復への道だから、もう8年以上になるだろうか。
もちろん今も回復はせず、むしろ低下した視力ではさまざまな支障もあるということで、中学に入ってからはメガネをかけるようになった。その判断が悪かったのかどうかはなかなか難しい。もともと目には難点があった。まつげが長かったのかあるいはカールが目の方に向かっていたせいなのか、ものを見難いというしぐさがあった。それが姿勢に影響してくるのだろうか、前かがみになる。字を読むにも見えないわけではないのだろうに目を近づける。そうした慣れが身についてから第三者に指摘してもらっても我々の努力が否定されるだけだから、そうした第三者の声は聞かないことにしている。メガネを購入する際に眼鏡屋さんに「目を近づけるということは姿勢にも影響するし、親御さんがメガネをかけさせたくない、という気持ちがむしろ視力低下に拍車をかけている」というようなことを言われ、正直いって応えた。そうかもしれないが、結果だけみてしまうと情けなくなってしまう。だから何を言われようと耳に栓をするしかないのだ。
まず当初は視力回復センターなるものに通った。長野県内にはなく、豊橋まで何回か出向いた。視力回復を兼ねた小旅行のようなものになっていった。息子がお城が好きだったということもあってそのころ豊橋城や岡崎城、小牧城なんかを訪れた。お城とくれば戦国時代だから、一般道を豊橋まで向かいながら長篠の古戦場も訪れた。そんなことでもしなければ、高い旅費をかけることへの抵抗は補えなかった。
なかなか回復しないこともあって、母はさまざまな回復に効用のあるような機械も検討したりした。富山によい医者がいるということで問い合わせたが、15歳くらいになるまではダメだといわれ、とりあえずそこで勧められた回復用の機械はもう5年ほど前に購入した。今でも利用している機械はそれだけだ。確かに疲れた目を元に戻すような訓練には向いているのかもしれない。回復センターは息子には向いていないと気がつくと、回復訓練から治療に方針を変更した。世田谷の針治療の医者に通ったのも5年くらい前のことである。ほぼ1年近くの間、月に1度程度通ったものだ。公共の交通を使っても行けないわけではなかったが、場合によっては日帰りもできないというなかで、常に自家用車での通院であったから、1回行ってくると治療費と旅費で2万円以上という負担であった。予約をとって行くというなかでなかなか都合がつかなくなってその通院も途絶えた。今はあきらめているというのが現実ではあるが、さらなる視力低下をさせないために、機械による訓練は続けている。まもなく15歳ということで、今年は最後の期待をかけて富山まで行くという話をしている。
結局努力はしてもダメだったという話はあちこちで聞く。息子の場合も同様の結果かもしれない。そして努力は無駄なことであったと、結果は示しているのかもしれないが、何もしないよりは努力しての結果だから納得はしている。初めて医者に通った際に言われたように、「いろいろしてもダメだからメガネをかけなさい」に従ってしまうことへの抵抗が今につながっている。では眼科は何のためにあるんだ、と言いたいほどではある。日本では視力回復に向けた手術は行なわれていないのだろう。いやできるとしても保険治療ではないのだろう。眼科はどこへいっても盛況だというが、こと近視にかかわって眼科を訪れることほどむなしいことはない。
パソコンの普及によって視力の悪化が現実味を帯びている。どんなにそんな環境にあっても悪くならない人は悪くならないようだ。どういう資質があれば低下しないのか、知りたいものだ。
僕はあの人たちは視力に関しては全くの無知だと思っています。
一方海外には視力低下をみてくれる視力眼科(オプトメとリー)というものが存在するらしいです。
日本もはやくこれだけ多くの人が視力低下に悩んでいるのだから国が動いてほしいですが・・・
なかなかうまくいきませんね。
自分が子供の頃、眼鏡をしてる人はクラスに1人か2人だったけど、今はそんなことないですよね。眼鏡人工が増えたのはTVやゲームのせいなんでしょうか。
視力低下はTVやゲームのせいだけではないでしょう。事実テレビはわたしの時代の方がよく見ていたかもしれないし、息子はゲームはしないし、テレビもそれほど見ない。視力が落ちるのを心配してPCもとりあげている。それでも悪くなる人は悪くなります。いっぽうでゲームばかりやっていても視力の良い人がいますから。