Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

医師不足問題から

2006-05-11 08:10:15 | 農村環境
 産婦人科の医師不足があちこちで話題になっている。先日行なわれた地元の自治会の行政懇談会の場でも、町にある病院の産婦人科が休止という事態に陥り、医師を確保するようにと町側が問い詰められていた。「全国的に不足していてこの町だけなんとかというのも・・・」という町の職員の言葉は、本心で出た言葉だろう。そのくらい厳しい状況のようだ。そこへ、「この町の病院だけでもなんとか・・・」とまた責められていたが、それができれば行政は評価されるのだろうか。いや、評価はされるのかもしれないが、果たしてそんなことでよいのだろうか。

 医師の厳しい勤務状態に加えてそれなりの報酬がないとなれば、産科医師のなり手がなくなるのも当たり前ではある。加えて昔のように「先生」といって崇められるほど、医師の価値を地域が認めていないような気もする。朝日新聞5/8朝刊では、「奪われるお産の場」と題して産科の医師不足の問題を取り上げ、同日の信濃毎日新聞においても「医師獲得へ動き活発」という記事が扱われている。地域においては産科ばかりではなく、これからはそれ以外の医師不足があちこちで話題になって不思議ではない。そして、医師獲得に向けた争奪戦となる。結局「自分のところだけは・・・」という意識が働くだろうし、金があるところが争奪戦に勝つことができる、そんな気がする。ということは、もともと地方には医師が少なく、場合によっては無医村なんていうものもあったが、今は合併が進んで無医村という村も減少して目立たなくなっている。しかし、現実的には地方から医師が減り続けるのは自然の成り行きとなっていくだろう。

 団塊世代を地方で受け入れようとしても、医師がいないようなところに、継続的に住んでいくことができるとはとうてい考えられない。世は少子化少子化と騒ぎ始めたが、騒ぎ始めた途端に産科の医師不足という問題が全国的に湧き上がっている。これこそ「滑稽な物語」である。

 息子は飯田市立病院で生まれた。当時の担当の先生が今も飯田下伊那地域のリーダー的存在だ。その先生の息子と飯田のサークルで一緒だった息子は、先日久しぶりにそのサークルでその子と会った。きっと医師になるためなのだろう、中学進学と同時に親元を離れて佐久地方の中学に進んだと言う。しっかりとした意図をもってがんばっている子どもたちを見ながら、かつてのように医師の子どもは医師に、という継続がまずあって欲しいと願うばかりだ。そう、まずは地域から医師を育てる。必ずしも帰ってきてくれるとは限らないが、遠いようでそれが近道だろう。

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