Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

不変

2015-06-26 23:14:10 | ひとから学ぶ

 年老いてくると、「身体が思うようにゆかない」とは誰しも抱く思い。かつて入社したころ、先輩が現場で高いところから飛び降りると、周囲にいた先輩たちは「若くないんだから」と戒めている光景をよく見たものだ。その先輩は率先して現場でも身体を動かす仕事をしたものだ。ふつうなら若いものが、というような現場でも進んで道具を持った。とはいえ思い返せば、当時の先輩の年齢を、わたしはとっくに越えているが…。

 どう若い人たちを育てていくか、というところとかかわってくるのだろうが、年老いたものは年老いたものなりの立場がある。したがっていつまでも同じことを続けるというわけにもゆかない。しかし、いっぽうそうした変化は、あえて初心を忘れずにいようという気持ちを萎えさせるもの。身体がいうことを効かなくなるのは老化だからしかたないにしても、意識も老化してしまっては、後ろ向きになってしまう。順調な日々を暮らしていると、人に限らず生き物すべてが慣れてくるもの。あえてリスクは望まない。この世は「コンプライアンス」の繁栄である。どんなときにもこの単語をもって言い訳をするようになる。リスクを負うはずもない。当たり前のことなのだが、人の生き道もこんな単語で止めてしまってはいけない、と思うがどうだろう。

 誰しも不慣れな仕事を前にすると、できれば避けたいと思う。若いころは仕方ないと思いながらも、一から始めることは当たり前と受け止めて計算することもなく手を動かし始める。しかし、経験を積んでくると通常の仕事なら無難にイメージができあがり、予想もつくが、まるで新人のような対応を頭に抱いた途端に、避けられないか、避けられなくともそれを補う方法がないのか、と考え始めてしまう。ようは「避けたい」という思いが前向きでない姿を見せる。もちろん誰しも楽な方に進みたいと思うから、理解できる思いであるが、それを繰り返していると、若かったころの情熱が覚めて、積極的でない人間性が成長してしまう。

 人は歳を積み重ねるとともに、性格は変わらなくとも、こんな具合に慣れから抜け出せなくなる。そんな人々を見るにつけ、自ずと自らに返さなくてはならない。「ただいま誕生」だと。


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