Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

赴任旅費に思う

2007-04-10 08:26:50 | ひとから学ぶ
 長野から転勤をして半月近くが終わる。異動するからには金がかかった。いわゆる赴任するにあたっての経費だから、赴任旅費なるものが出る。ところがわが社だけのことなのかよそもそうなのか知らないが、まず引越し屋さんに頼んで運んでもらうと、その代金は上限はあるもののだいたい出してもらえる。ところがである。自ら荷物を運ぶと、異動先までの片道の燃料費にあたる代金と、有料道路を使った場合の代金が支払われる。有料道路代金は領収書扱いだから、高速でも一部分しか乗らなければその分しか払われない。

 さて、今回わたしは一度では運べなかったから2回(実際は自宅へ帰る機会が何度かあったからそれ以上の回数を小分けにして運んだがまとめて運べば2回程度)に分けて運んだ。もちろん前述の赴任旅費に照らし合わせれば、1回分は自腹である。さらに不思議なのは片道しか支払われない。なぜなのだ、とちょっと考えると、引越し屋さんに依頼すれば、名目上それは片道運賃だからだ。引越し屋さんに依頼すればほぼ全額支払われるのに、自ら運べば自腹の方が多くなると言うのだから不合理な話だ。加えて自家用車では運べない家電があったから、宅配を利用した。宅配と自らの運んだ運賃を重ねて請求できないというので、高い方の宅配代金を請求することにした。だから自ら運んだのは「おまえの勝手」ということになる。たまたまわたしの車はワゴン車だからそこそこ荷物は載ったが、軽に乗っている人ならもっと回数が必要になる。こんなふざけた赴任旅費の考え方は、よそへ転勤しないやつ、あるいは単身赴任なんか関係ない奴が考え出したことに違いない。

 まあ、それも仕方ないか、とあきらめるしかないが、そんな愚痴をこぼすと、「当たり前だ」みたいに言うやつがいるからまた腹がたつ。それはともかくとして、こうした考え方には大きな問題がある。ようは、引越し屋に頼めば旅費請求ができるのに、自らやれば自腹になるという考え方である。今までにも述べてきたが、「自分でできることは自分でやる」という意識の低下が否めない。自力でやるより人に任せた方がよい、という考え方がどんどん定着してきていることが許せないのだ。こういうケースはさまざまな場面で繰り広げられるようになった。自らやれば危険だからといって専門家に依頼する。そんな分業時代だから、さまざまな商売が成り立つが、果たしてそんなことでよいのだろうか。かつての人たちなら自分でやったことが、あらゆる場面で人を頼まないとできなくなってきている。それもこれも、自らやろうとする意識の低下に他ならない。

 政治家にも求められる領収書時代の到来。だからこそ、領収書がない支払い、例えば今回のような「自力」に対しては何も報酬がないのである。裏を返せば「自らやった」という口上では信用されない時代ということになる。なぜこうも領収書にこだわるのか、とこんなに細かい時代を嘆くばかりだが、それほど領収書は価値のあるものなのだろうか。自ら行動することは、エネルギー消費という観点でもかなりメリットはあると思うのだが、世の中はそんな視点で物事を考えなくなっている。

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1 コメント

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損得 (ボッケニャンドリ)
2007-04-10 09:04:55
 業者に頼んだ方がお金がかかったとしても領収書で落とせるってのはよくありますね。それだと自分の懐は痛まない。だったら業者に頼んじゃう。だけど会社は損をしてるんだと思いますけどねぇ。結局それは社員の給料に反映するんじゃないかと思うんですが違うんですかね。
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