先ごろ別ブログで「大島山瑠璃寺の獅子舞」について触れた。ついでに足を向けた久しぶりの祭り見学だったが、一応デジカメを持っていて写真も撮影した。かつて祭りというとあちこち出向いていたころにくらべれば、祭りの現場を訪れても遠巻きの見物客の一人である。とはいえ、カメラを持っているから、昔のように少し場所を求めて移動したりしていると、次第に本気に撮ろうとしてくる。本気に撮っていたころの動物的感とでも言えるだろうか、自然とあちこち眺めながら用ポジション、良いアングルを探している。でも、そこらにいるずーずーしいカメラマンとは一緒にしてほしくないから、必ず目立たないように動く。獅子舞の前に立ちはだかって、進むたびに後退しながら見物客の目障りになるようなやつにはなりたくないのだ。
一応長野県指定の民俗無形文化財ということもあって、カメラマンの数は多い。それでもギューギュー詰めで自由が利かないほどの混雑でもない。以前の方がむしろカメラマンは多かったかもしれない。そんなカメラマンの様子を伺っていると、昔から顔見知りのカメラマンが今でもいたりする。お互い歳をとったのだろうが、相手は夢中に写真を撮っているから、久しぶりのわたしの顔に気がつかないようだ。デシタルカメラが当たり前になっただけに、どんなカメラを使っているのだろうと伺っていると、ニコンのF3を構えている。祭りの写真集を出したこともある人がフイルムカメラを持っていたことで、少し安堵した。というよりうれしかったのだが、そんなわたしは遠巻きの一人だから、隠すようにデシタルカメラを持っていた。
そんな瑠璃寺の獅子舞がお開きになったあと、隣の高森町牛牧のお宮も今日が祭りではないかと思って移動してみた。瑠璃寺にも増して見物客がたくさんいる。でもこちらにはカメラマンはそれほどいない。いてもいわゆる遠巻きの見物客であるから、「カメラマン」というほどのものではない。瑠璃寺の獅子舞が終わって移動すると、ちょうど神社に練り獅子の屋台が着いたところで、両方を見るにはちょうど時間的にずれていて好都合だった。しかしながら、瑠璃寺から移動してきて写真を撮っているのはわたしくらいだった。ここでも一人の遠巻き程度に地味にカメラを構えた。
牛牧の獅子舞は本当に瑠璃寺の獅子舞とよく舞の所作が似ている。一度眠らした獅子を再び起こすところなんかもよく似ている。瑠璃寺から教わったというのだから当たり前かもしれない。見物していると、「やはり宇天王の衣装は瑠璃寺より牛牧の方がいいなー」なんていう自慢の声も聞こえる。こちらの方が桜が満開に近く、賑やかだ。地元の人たちや親戚の人たちなんだろう、そんな見物客がたくさんいて賑やかでまたよい。ちなみに獅子の頭の形式は瑠璃寺のものの方が古いものである。
撮影 2007.4.8
眠っている獅子に、”神社に行くぞ!”としつこく言う王様に、怒り狂って食いつこうとする”起こし”、王様の所作により段々と眠りにつく”寝かし”と、ストーリーが分かり易く、また迫力も感じていただけると思います。瑠璃寺の獅子も素晴らしいですが、我々も、誇りを持って当日を迎えます。今年も是非お越し下さい。13日、13時過ぎに獅子が動き出します。いつも通り、桜が満開になりそうです。
羨ましい地域のまとまりです。