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小農と、政治と、農村と 後編

2019-08-08 23:09:24 | つぶやき

小農と、政治と、農村と 中編より

 山下一仁氏は、日本の小農は「Peasant」ではないと言った。世界共通とまで言わなくとも、欧米などの先進国においては、「Peasant」は明らかに貧困層の農民という捉え方があるようで、そもそもかつての農民は日本の士農工商時代の農民同様に、全世界共通で社会では底辺にある存在だったようだ。だからこそ、今もって農業から脱することで幸福を掴んだのごとく捉える人々が存在する。ここに小農そのものの捉え方が多様だとうかがえるだろう。小農宣言ではなく、農民宣言であるならば、少し違った視線もあっただろう。

 とはいえ、小農宣言を家族農業とし解して世界の動きに逆行すると政府を批判した岡崎衆史氏の意見に違和感を覚えたが、それを「peasant」の解釈にこだわって「国連"小農" 宣言 汚された宣言」と批判した山下一仁氏の意見に理解はできても、同様に違和感は拭えない。

 これまで地方農村は、跡取りが農家を継がないことを当たり前として世代交替をしてきた。その中には、そもそも跡取りが家に残らず、都会で一旗あげるのが対外的な「成功」だと勘違いした人々がほとんどだった。「小農と、政治と、農村と 中編」でも触れたが、東京農業大学初代学長の横井時敬が語った「農民が農村から都市に行かないよう、高い教育を受けさせてはならない」は、結論だけを見ればけして間違いではない。高等教育を目指した段階で、後継者を放棄したにも等しいほど、子どもたちは戻ってこなかった。もちろん、今地方の農村にはそうして都会に向かったかつての若者が、定年退職とともに田舎に戻って暮らしている人が少なくないことも承知している。しかし、この後定年延長、あるいは年金などをめぐる環境の変化は必死で、かつての想定内に地方は位置していない。空家と化していく現象を当たり前としか受け止められない今を見る限り、過去の遺産とも言える「家」の存在は大きかったと言える。今さらかつての「家」を参考にする必要もないだろうし、そのことで自由を奪われた事例はあまたあるだろう。それは農家に限らず、すべての職種において、継続することの難しさを味わされたはずだ。しかし、では、かろうじて家を継いだ世代が農村にあって農家として存在してきたかといえば、そうともいえない。もはやかつての農家が、土地を所有していても農業を実践しなくなった。それを推進してきたのは紛れもなく国だ。そして今、さらにそれは加速しつつあるし、かろうじて継続されていた家族農業は、この後わずかな時を経て消滅しようとしている。現在農業を少なからず営んでいる人々が、高齢者であることは言うまでもない。この高齢者に続く農業を少しでも実践しようとする後継者は、限りなく少ない。かつてなら「食べる分くらいは」という考えで、自作した。しかし、国の施策は明らかに大規模化のみに特化した施策に限定されている。かろうじて防災減災の観点の施策が補っているが、近年の地震や豪雨による大きな災害がなかったら、そうした施策は起きなかっただろう。

 さらに国はこうした傾向を予測してかは知らないが、農村から農民がいなくなった時のことも考慮した施策を打ち出している。「小農と、政治と、農村と 前編」で扱った「ゆうきの里東和」の初代理事長菅野正寿さんが訴えた多面的機能支払いだ。そもそもこの交付金の狙いは、そうした農村に変化した際に、どう農村空間を維持していくかを想定して農外の人々を取り込もうとしている。土地改良法改正による土地改良区へのさまざまな指導も、どこかにこれまでの当たり前をひっくり返す意図が見え隠れする。集落の維持、そしてその空間を大きく占めた農地の維持、さらには、農地だけで農業は維持できない。そこにある農業にかかわる多くのモノや無形の文化をどう後世に伝えるのか、あるいは葬るのか、それを決めるべきは、今農村に暮らしている人々なのだろうが、すでに農村に「農業」を多面的に語ることのできる人は少ないし、そう捉えられない人が続出している。この現実にこそ向き合い、すでに元には戻せなくなってしまった状況を踏まえ、この後どうするべきかを議論していかなくてはならない。

終わり


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