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Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

このマチの語り部に会う

2021-11-26 23:45:28 | 地域から学ぶ

 驚きであった。コロナ禍にあって、確かに営業自粛の期間もあったが、そうでなかった期間もあった。その期間に営業していても、ほとんど客はなかったという話を聞いた。それでも営業をするという背景には、それが「仕事だから」という意識があるからなのだろう。

 今日は本当に久しぶりの宴会だった。隣に座られた県議さんも、コロナ禍以降初めての宴会で偽りはないと口にされた。当たり前と思えばそうかもしれないが、人と接しながら仕事をされている人たちにとって、これほどの厄介な世界はなかっただろう。そしてそれでも選挙は行われる。そして人は選択される。何をもってその選択の背景があるかなどということを詮索するまでもない。わたしたちにとって選挙、いわゆる人を選択する根拠など、それほど奥深いものではないということだ。それでも政治の力に頼らざるを得ない部分はたくさんある。同席したある長は、「政治には頼らない」、だから「陳情はもういらない」と口にする。しかし、だからといって予算が削除されてしまうと、結局今の予算配分にはモノ申すものがあっても、予算そのものが消滅の危機にあれば、その先は何もなくなる。ようは、理想だけ口にするわけにはいかない。

 昭和34年からこのマチでスナックをされているという女性の店に寄った。コロナ禍の営業日誌を見せていただいたら、空白は週に2日ほど見えた。それまでは毎日営業していて、旅行に行ったこともなかったという。さすがに何十年とそれを続けてこられたことから、ご褒美の思いもあったのだろう、コロナ禍直前に、何度か国外旅行をされたという。初めて飛行機に乗ったとも…。そして間もなくコロナの禍に…。空白日はもちろんだが、営業日も客はほとんこなかったと。世間の空気から、今日は営業しても客がないだろう、と想定されると店を休んだ。それまで長年縁のあったお客さんも顔を見せることはなくなった。非情と言えばそうかもしれない。店を閉めざるを得ないと思うのも無理はない。空白は、それまでの縁を断ち切るような仕業だっただろう。それでも営業を続け、その日を待ち望んだ女性はこう口にする。「この地で長年世話になったこと」、そして「店をすることに生きがいを見出していたこと」と。もはや収支など見込んでいない。趣味?、と思われるほど、それは自らを支えるものだったに違いない。

 その女性は、このマチでは一目おかれる長い経験者だ。そうだろう、昭和34年から営業しているのだというのだから、すでに店そのものが還暦を過ぎている。マチの店に限らず、飲み屋にしても、ひと世代の営業を経て、暖簾をきっと閉じていくのだろう。引き継ぎながら暖簾を続けていく時代ではないことは、言うまでもない。多くの店が消えていく中で、ここまで経験を語れるだけ続けられてきたことの方が驚きかもしれない。このマチの半世紀を語ることができ、さらには歴史上の出来事を語ることのできるこの女性に、また会いに行きたい、そして今聞き取れることを聞きたい、そう思った。


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