Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

何度でも取り上げたい“畦草”

2019-06-11 23:56:09 | 農村環境

畦草を刈った後、一定期間そのままにして干し、その後草寄せをして「焼く」。

このあたりでよく見られる光景である。(駒ヶ根市) 

 

 今日も畦草の話である。具体的に綺麗な畦を見せている地域に聞いて確認したわけではないが、土地と耕作者が一致している場合と、そうでない場合とではその状況は変わってくる。例えば貸し借りがされていて、とくに作業委託している水田の場合、かつてのような「土地を守る」という意識は低くなる。すると、いゆる通常管理は低下するのは目に見えている。区画が大きく整備された地域にあって、畦草があまり管理されていないところと、そうでないところを調べてみれば、その違いははっきりしてくるはずだが、こうした通常管理に焦点があたることはほとんどない。

 国が現在進めている農地中間管理機構とは、「高齢化や後継者不足などで耕作を続けることが難しくなった農地を借り受け、認定農業者や集落営農組織などの担い手に貸し付ける公的機関。都道府県に一つずつ設置され、農地の集約化や耕作放棄地の解消を推進する。農地バンク。」と言われている。この農地中間管理機構を介しての貸し借りによって、こうした光景がどう変化していくかは、おおよそ予想はつくが、作業委託よりは土地と耕作者の関係が整理されて、他人事ではなくなることは予想できるが、とはいえ、かつての自分の土地を自分で耕作する意識に並ぶことは100パーセントありえない。もちろんかつての意識を担う人々が耕作すれば、同じ意識で農地を捉えることはあるが、そもそもその意識は世代が変わるほどに変化していくことも事実だ。

 前述の農地中間管理機構の説明の中の「都道府県に一つずつ設置」される機構のひとつ、えひめ農林漁業振興機構のページと思われるものに、「農地中間管理事業に対する担い手の声」というものがあった。いわゆる機構から農地を借りた、あるいは借りようとする耕作者の声と思われる。「年配者で農地を貸したいという人は多いが、いい所は少ないし、地域に借り手がいない。 それに 皆、 使い勝手のいい農地ほど 最後まで 自分で使う 。 貸したい ところ は狭くて 水の便の悪いところや、水はけの良くない ところ 、 他人の土地を通らねば入れない畑などが多い。それに絶対 貸したくないという人もいる。」という冒頭の意見は、全てを表している意見である。ようは、「いい所」とは耕作しやすい土地であって、どうせ借りるのなら条件の良いところが良いに決まっている。そして「借り手がいない」というのも、将来を見渡すと、需要と供給という面で、確実に表面化する問題である。さらに「使い勝手のいい農地ほど 最後まで 自分で使う」というように、現状の耕作者の気持ちは当たり前で、完全に農業を廃業しない限り、条件の良い土地は手放さない。こうした当たり前に起きる意識、関係に制約を掛けようとするのが、現在の農政の姿である。条件が悪ければ整備すれば良い、とすればその整備する費用を国が見るから、「農地中間管理機構に預けなさい」が、現在の方針なのだ。それが嫌なら自分たちで勝手にやれば良い、そんな感じだろうか。

 たまたまえひめ農林漁業振興機構のページに意見を見つけたが、こうした意見は現実的に大きいものの、表にはあまり出さないのが流れでもある。繰り返すが、畦草管理がこの後、どうなっていくかはなんとなく予想がつくこと。しかし、この管理が滞ることで、農地そのものが脆弱化していく公式が存在することを、農政は考えてはいない。


コメント    この記事についてブログを書く
« 草寄せ | トップ | 小さな会社の現実 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

農村環境」カテゴリの最新記事