Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

無形民俗文化財の違和感

2024-03-09 23:25:49 | 民俗学

 例えば松本市の場合を見てみよう。公益財団法人八十二文化財団の文化財検索より、無形民俗文化財の市指定物件の上位からいくつか紐解いてみる。

 「内田のササラ踊り」「奈川獅子」「古宿の祇園囃子」の三つは、どう見ても「芸能」である。そして「島立堀米の裸祭り」や「ぼんぼんと青山様」は明らかに「年中行事」であって、「内田のおんべ祭り」や「花見の御柱」「上波田の御柱」「横沢の御柱とスースー」といったオンバシラに関するものは、「信仰」とも「年中行事」とも言えるものだが、松本市では「年中行事」に統一されている。また、「年中行事」でも不思議ではないが、「神送り」と冠していることもあってコトヨウカあたりに行われる神送り行事は「信仰」として括られている。そして明らかに「信仰」とも言える「御柱祭」に関するものは、もちろん「信仰」に分別されている。「信仰」なのか「年中行事」なのか、というあたりの判別は難しい選択であり、どちらもあり、という印象は拭えず、その分別はけして間違いではないといえる。

 ところがここで例とした松本市以外の市町村単位の無形民俗文化財の指定物件を紐解いてみよう。例えば伊那市である。「諏訪形の御柱祭と騎馬行列」は、そもそも混在した名称であるとすぐにわかる。御柱祭は松本市でも示した通り、どうみても「信仰」である。ところが「騎馬行列」は信仰ではない。両者を括って指定するため分別しづらくなるわけで、実際は「信仰」としている。しかし後者は明らかに「芸能」にあたる。また「青島の千社参り」は年中行事に分別されているが、主旨から捉えると「信仰」だろう。そもそも指定物件が少ないので、伊那市においてはこの程度とするが、市町村指定物件には、このように違和感のある分別が目立つ。例えば駒ヶ根市のそれを見ると「大御食神社獅子練り」「大宮五十鈴神社獅子練り」といった獅子練りがいずれも「信仰」とされている。迷うことなく「芸能」である。さらに「大宮五十鈴神社三国一煙火」が「信仰」とされており、同じように「信仰」と分別されているものに清内路(阿智村)の「清内路村の手造り花火」があるが、これは県指定である。花火は「信仰」なのかと問われると、やはり納得できるものではない。信仰色がないわけではないが、「娯楽」性が強い。

 実は市町村ごとにばらつきが見られるが、県にも国にも?が付きそうな分別は見られる。例えば「安曇平のお船祭り」として国の選択無形民俗文化財に選択されているものも「年中行事」らしい。風流の祭りとして捉えれば「芸能」であり、「信仰」色も見られる。したがって「年中行事」には違和感がある。

 あくまでも公益財団法人八十二文化財団の文化財検索に示されている分野別から捉えたもので、実際の指定がどのような内容なのか詳細に調べたわけではない。とはいえ、市町村単位となると、それぞれによって指定要件が異なるとともに、こうした指定は指定時の関係者の思惑に偏る傾向があるのは否めない。加えてどれほど有識者と言われる人々にその知識があるか、が問われる。


コメント    この記事についてブログを書く
« 拭えないこの後の時代を憂い... | トップ | 自然石道祖神数とサイノカミ »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

民俗学」カテゴリの最新記事