本日の信濃毎日新聞1面に、下清内路の花火がカラー写真とともに紹介されていた。昨夜下清内路では花火の奉納がされたという。かつては10月8日と決まっていた祭典日が、今は週末に日を改めているよう。新型コロナウイルス対策で観覧は区住民らに限定されたというが、どの程度限定されていたかはわからない。もともと清内路では花火の事故をきっかけに、近年一般観覧が難しい状況にあった。その上に新型コロナウイルスである。したがって一般の人たちには近寄りがたい花火になってしまって、より一層神秘性のようなものが漂う。
さて、昭和63年10月8日に、下清内路を訪れている。前年に上清内路まで自転車で花火を見に行ったことは、昨年“昭和62年の記憶㊺ 上清内路の花火”に記した。しかしながらその際にも触れたように、写真を撮っていない。清内路の花火にはかつて何度か足を運んでいるが、あまり写真を撮った記憶がない。かろうじてここに紹介する昭和63年に、ほんの数枚写真を撮っただけ。もちろん、モノクロである。さすがにこの年は自転車で行ってはいない。清内路に仕事でかかわっている人たちは招待されたりしていたので、その反感のようなものがあって積極的ではなかったと思う。その後はあまり花火を見に足を運ぶことはなくなった。知人、友人が「行きたい」と言わない限り、訪れる機会はなかった。