Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

県境域の山間の村

2006-10-20 08:17:49 | 農村環境
 最近信濃毎日新聞において、〝民が立つ〟と題した記事で「自立という問いー下伊那南西部」を特集している。合併したくとも財政状況が悪すぎて、あるいは立地が悪すぎて合併できない地域が、どう自立していけばよいのか、その現実の姿を追っているわけだ。合併してもしなくても先が見えている。大規模な郡下統一の合併ならともかく、部分的に合併したとしても、結局こぼれてしまうような村、地域がどうしてもある。小さく合併しても倒れてしまうのが見え見えで、悩みは奥深い。

 10月18日付の記事では、天龍村の事情に触れている。現在の下伊那郡を見渡したとき、中心部にある飯田市からもっとも時間がかかるのが天龍村だろう。同じくらい遠かった南信濃村は飯田市に合併してしまった。似たかよったかの時間を要する村が根羽村、売木村、大鹿村あたりだろうか。このうち、根羽村は名塩国道といわれた153号線が通過しており、名古屋と飯田を結ぶライン上にあるとともに、その道は山間地を通過してはいるものの、快適な山岳ドライブを醸し出してくれる。そのライン上にはないものの、売木村も根羽村隣接していて、名古屋方面からの利便性はよい。いっぽう大鹿村は飯田市に合併した遠山谷と同様、行き止まりの村という印象は否めない。同様に行き止まりという印象があるのが、天竜村なのだ。現実的に行き止まりではなくとも、名古屋方面からの道をたどると、阿南町新野から険しい道を入るか、飯田市側から向かうぐらいが一般的だ。なぜそうなるかといえば、通過して県外に通じる国道がなかったということに起因する。根羽方面の村々、いわゆる下伊那郡西部とはここが大きく違うのだ。天龍村に隣接する愛知県側は、豊根村である。それも最近までは島しょを除いてはもっとも小さいといわれた富山村がそこにはあった。現在は豊根村と合併してその村もなくなってしまったが、この一帯、いわゆる奥三河のまた奥まった地域は、行き止まり感が強い。結局県境という立地から、県境域より手前の地域の人たちには、それより向こうとの交流を必要としなかったことが、そうした行き止り感を創っていったわけだ。県境域の人たちが、そんなことは当たり前だと思って、自ら行き止り感を解消する行動を昔からとっていたら、こんな閉塞感は生まれなかったかもしれない。

 愛知県にあって、奥三河がどういう存在であったのか、ということも今思えば重要なポジションとなってくる。愛知県を標準的に言えば、長野県のような山国ではない地域である。確かに奥三河は長野県にあっても類まれなほど山国であるが、愛知県にとっての山国だったのだから、もっとその山国向かう道路が贅沢に整備されても良かったのではないか、という印象を受けるわけだ。そんな意味で、天龍村のような閉塞感のある地域は、当初より長野県を向くのではなく、愛知県を向いていたら、この閉塞感は解消されていたのかもしれない。今となっては想像にすぎないわけだが、では、これからどうするべきか、という問いに対しても、結局長野県の財政状況からみたとき、県に頼ってもどうにもならないという答えしか見出せない。

 こんな言い方が適正か疑問ではあるが、こうした地域の進むべき道は、①将来の道州制を前提にやはり南へアプローチする(道州制の枠組みが県単位で決められたとき、この地域は関東に入る可能性もあるため、その時は長野県を離脱することも視野に入れる必要がある)、②現在は無理でも、浜松市、あるいは奥三河圏への合併を視野に今から考えておく(県境域であるという実態から、南も北もそれほど方向性でいえば代わり映えしないかもしれないが、長野県の一員である飯田市よりもそうでない大きな地域圏の一員の方が、将来性は高いとおもわれる)、といったものではないだろうか。それほど県境域の山間には思い切った行動が必要なのではないだろうか。
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