Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

二度目の部活

2006-10-13 08:17:21 | ひとから学ぶ
 息子の中学での部活動は終わった。今までにも何度もその悔いの残る部活に触れてきたが、それも試練と納得するしかなかった。それぞれの思うところを100パーセント補うことは、誰にもできることではない。しかし、思うままに振舞った仲間たちがいたことも事実で、平等でなかったことだけは確かだ。悔いはあっても最後の中体連までつきあっただけ、息子の意志が弱かったのか、それともそれだけ強い締め付けを受けたのかはわからない。

 終わって夏休みを迎え、あとは入試に向かって勉強に励む・・・そんな段階だったのに、どうも勉強には集中できず、休み後の試験で今までにないほどの落胆を、本人も親も味わった。味わったのだから次に向かってがんばる意志を持続すればよいのに、そんな落胆をあっという間に忘れてしまって、このままでは目標にたどり着かない、と家中がちぐはぐになった。親が出来が悪いんだから、それ以上のものを望んでも身分違い、格違いというものなのだろう、そんなことは認識している。それでもと復活を願う段に、息子は第二の部活動にすすんで足を踏み入れた。

 県中学駅伝に向けた練習に加わったのだ。これにはびっくりであった。足が速いのならともかく、レギュラークラスにくらべれば比較にならないほどタイムが遅いのに、陸上部外からの希望者に加わって練習を始めたのだ。息子の中学は、昨年県中学駅伝で優勝し、全国でも10位代前半に入った。それも陸上部のメンバーは1人だけの寄せ集めチームだった。そんな寄せ集めチームに負けた、と今年は他校が力を入れているから、今年は全国には行けないだろう、とは予想である。しかし、県内の長距離ナンバーワンは息子の同級生、ナンバーツーも友人である。ほかのメンバーがいかにレベルを上げるかが、全国への鍵となる。もちろんその土俵に息子はいない。それでも中学に入って以来、初めて部活の楽しさを味わっていると本人が言うのだから、それを否定することもできない。当初から、陸上は個人の努力だから、他人と接する競技にくらべれば息子には向いていると勧めてはいた。しかし、虐められながらも卓球部で我慢してしまった。それも経験だと今は理解しているし、中学生活は不運だったと親は思い込んでいた。にもかかわらずこの入試を控える段になって始めた陸上で、二度めの部活を楽しんでいる。もちろん先のことを考えると思うところはさまざまだが、勉強もがんばるという約束で加わっている。息子はともかく、友だちが結果を出してくれることで、短いながらも楽しい部活がよい成果となってくれればと思っている。

 ・・・そうはいっても、帰宅すると机に向かって居眠りをしている姿を見て、悩みは深まるばかり・・・。

 参照 「中学の部活はどうあるべきか
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