湯西川日記

fbやツイッターで一年サボりましたが、やっぱりブログです。2016年から復活します。ツイッターの長い版みたいな感じです。

夏の思いでなど(後編)

2005-07-30 16:57:45 | よもやま話


悔しさと涙にくれたその夏。犯人は誰か、まったく手がかりはつかめなかった。とはいえ、誰がやったかにしろ、もうクヌギの木はないのだ。どうしようもない。

その夏が過ぎ、秋冬春と季節を重ね、翌年の夏のこと…。

近所に住む叔父の家に遊びに行ったとき、偶然みつけてしまった。庭におびただしく並べられたクヌギの木々。どの木もはっきりと見覚えがあった。椎茸の栽培を趣味で始めたとは聞いていたが、犯人が叔父だったとは。愕然とした。

その叔父には世話になっていたし好きだったので、文句を言うこともできなかった。そもそも、抗議をしようにも、その当時の幼稚な知能では、何が問題なのか整理がつかなかった。

今ならいくらでもいえるだろう。他人の土地から法定果実を搾取したとか、窃盗だとか、少なくとも共有財産だろ、勝手に処分するとは何ごとか。ムシが半永久的に取れなくなったことをどう考えるのか。椎茸栽培したいからといって、子供たちの大切な昆虫の集まるクヌギの木を切るとは何ごとか。どうしてくれるんじゃー!とか。もっとも、当時は、前年の夏からの経過した時間によって怒りの度合いも薄まっていた。

とにかく、こうして犯人はあっけなく判明した。ただ。ムシ仲間にどう報告すべきか。幼いなりにその心を痛めた。しかし、犯人が身内であったとはとてもいえない。どうしてもいえない。

いえないまま、少年時代は過ぎ、その年を境に昆虫に対する興味も消えうせてしまった。ただ、いつか抗議してやろうと思っていたが、郷里を離れたことから、叔父とめったに会うこともなくなり、クヌギの木を切られた無念感は単なる苦い思い出になってしまっていた。

昨年正月、その叔父も他界。クヌギの抗議は永遠にできなくなった。叔父はクヌギの木を切ったことをどう思っていたのだろうか。



夏の思いでなど(前編)

2005-07-30 13:29:31 | よもやま話
実家は里山のすぐそばだ。子供の頃、夏になると、虫は取り放題だった。カブトムシ、クワガタ、コガネムシ、カミキリムシ・・・。また、庭には空木(うつぎ)の花がたくさん植わっていたので、各種のアゲハチョウも乱舞していたものである。

当時保育社の昆虫図鑑を読みあさっていたので、ほとんどムシきちがいであった。夏休み、ムシ仲間にはムシ仲間が集まり、ガキ大将ならぬ、ムシ大将として、この世の春ならぬ、この世の夏を謳歌していた。

そんな多感でナイーブな、小学校4年のその夏。事件は起きた。

みんみんとせみの鳴き声で声が聞き取れないようなその日、仲間を引き連れ、網や虫かごを手に手に、いつものように山に入った。が!

ない。…。ムシがいないのだ。正確にいうと、ムシが群がるクヌギの木が一本残らず根元から切り取られていたのだ。誰かが切ったのだろう。誰の仕業だ。犯人は誰だ。わしらの夢、虫たちの集うクヌギの木を。だれやねん?

ともかく、その日を最後にムシ仲間は解散した。どうしても、ムシが見たいときはデパートに行くしかなくなったのだ。(後編に続く)