夢のもつれ

なんとなく考えたことを生の全般ともつれさせながら、書いていこうと思います。

名大殺人女子大生は精神異常か?

2015-01-30 | news
まず日刊ゲンダイの「恐ろしいほど酷似…名大女子学生と佐世保少女Aの“共通点”」という記事を全文引用しよう。
「高校生の頃、同級生に毒を盛った。障害が残った」

 名古屋市の77歳女性殺害事件で、容疑者の名大女子学生(19)はそう供述しているという。女子学生が通っていた宮城県の名門私立高では、生徒が失明するなどのトラブルが発生していた。女子学生のやったことは、昨年起きた長崎・佐世保市の同級生殺害事件の加害少女A(16)を彷彿させる。というか、恐ろしいほどソックリだ。

 少女Aも小学生の頃、同級生の給食に洗剤を混ぜて問題になった。「人を殺したかった。誰でもよかった」という供述も、まったく同じだ。

「女子学生には妹、少女Aには兄がいて、2人とも兄弟仲だけはいいことも似ています。女子学生は親元を離れ、宮城から名大理学部に進学。応援団に所属するなど男っぽい性格、しゃべり方だった。自分のことを『俺』と呼ぶのも、少女Aと共通しています」(捜査事情通)

■犯行手口も一致

 女子学生は、飼っていたハムスターに自作の薬品を投与したり、友人にジュースと偽って薬品を混ぜたものを飲ませていたという。ツイッターには<殺してみたい人は沢山いる>などと、犯行をにおわせる書き込みをしていた。

 少女Aも猫を解剖するなど動物を虐待していたし、事件前にはフェイスブックに<人殺したい。猫は飽きた>などと書き込んでいた。

「親元を離れて一人暮らしを始めた途端に殺意を暴走させた点や、被害者を自室に誘い、背後から鈍器で殴るという手口も一致しています」(前出の捜査事情通)

 臨床心理士の矢幡洋氏がこう言う。
「非常に攻撃的で、他人の善意を利用して犯行に及んでいる。2人とも典型的な『サイコパス(反社会性人格障害)』といえるでしょう。ただ、女子学生には少女Aよりナルシスティックな印象を受けます。わざわざ中学生の頃から持っていた斧を犯行に使ったのには、彼女なりの美学があったのだと思います。ツイッターで凶悪犯罪者を称賛していたのも、自分もそうなりたいという自己陶酔を感じますね」

 女子学生の危険信号に気付いていた人は、きっといたはずだ。それなのに凶行を止められなかった。それも少女Aの事件とまったく同じだ。


サイコパス(反社会性人格障害)が正式の病名かどうかは知らないが、広く知られていて、「羊たちの沈黙」や「悪の教典」を始めとして多くの人気小説・映画の題材になっている。読者、観客の多くは主役のサイコパスに感情移入しているだろう。殺人がばれたり、警察に捕まることなく犯行を続けられたらいいのにと思いながら、スリルを感じているはずだ。

今回のような事件に対する反応はだいたい決まっていて、ゲンダイの記事のように精神異常(それに類した言葉)として論評するものと、再発防止に事寄せて家庭背景から社会の問題に展開するものだ。しかし、後者について先に言うと自殺や災害死のように頻発しているわけでもない問題にどれだけ社会的なコストをかける意味があるのか。家庭内の問題なら児童虐待のようにもっと優先的に考えるべきことがあるはずだ。まあ、「若者たちの心の闇に社会も行政ももっと真剣に向き合わなければなりませんね」といった記事としての収まりをつけているだけだろう。画像に掲げた北國新聞のコラムはその延長のもっとひどいもので、ネットが犯人みたいな記事だが、これに賛同する人間は認知能力に問題があるだろう。

前者については、裁判で問題になる。簡単に言えば異常な犯罪であればあるほど精神鑑定になって責任能力の有無が問題になりやすい。心神耗弱によって減刑、場合によっては刑に問われないこともありうる。最近の裁判ではいくら医師が「著しい責任能力の低下」といった鑑定書を書いても無視されるようだが。つまり裁判実務では遺族や社会の応報感情の方を重視しているのだろう。

しかし、人を殺したいと思うのは本当に精神異常だろうか。誰でもいいから殺したいから殺したというのを病気だと言うのは、医学的に判断すべきことに社会的、倫理的な判断を混ぜ込んでいないだろうか。危険な人間だから刑務所に放り込んでおけ、殺人犯は死刑にしろというのはきちんとした根拠があると思うが、それと病気かどうかは関係ない。

精神病はむずかしいところがある。通常の病気であれば患者が痛い、苦しい、死んでしまうといったわかりやすい症状と病名・病気は結びついているし、それがなくなれば治療は終結に向かうし、完治しなくても症状が収まればどうコントロールするかといったフェーズに移行する。鬱病やてんかんについては同様だが、躁病や統合失調症は周りが迷惑する、社会的に適応できないということはあっても、本人が苦しんでいるか、困っているか、ましてや治したいと思っているかと言うとそうでない場合は少なくない。

人間なら多かれ少なかれ持っている攻撃衝動、サディスティックな欲望とこういう人たちの衝動は量的にも質的にも違うだろう。小説や映画を好んで見る人と実際に行動に移す人間のどちらが深く殺人やその衝動について考えているか、あまり関係がないかもしれない。

本人が悩んでいなくて、どうしても人を殺したいならイスラム国でも行けばいいのにと思う。欧米からイスラム国を始めとしたテロに参加する人間はアメリカの政策を批判し、理想を口にするだろうけど、実際は人を殺したいという衝動が根っこにあるんじゃないかとぼくは思っている。個人がやれば精神異常でも、集団の中でやれば理想となり、国家の行為に参加すれば英雄にもなれる。彼女たちにそうしたことをじっくり訊いてみたい気がする。



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