日本の心

激動する時代に日本人はいかに対処したのか振りかえる。

徳冨蘇峰『吉田松陰』 第二十 事業と教訓

2019-12-17 15:20:40 | 吉田松陰

       「吉田松陰」
        徳富蘇峰


第二十 事業と教訓
  

 「真個(しんこ)関西志士の魁(さきがけ)、英風我が邦を鼓舞し来れり」。
これ彼が高弟高杉晋作の彼を賛するの辞、言い尽して余蘊(ようん)なし。
(まこと)にこれ彼が事業の断案といわざるべからず。
彼は維新革命の大勢より生れ、その大勢に鉄鞭を加えたり。
彼は鼓舞者なり、彼は先動者にあらず。
彼は先動者なり、成功者にあらず。


 彼は維新革命の健児なり、
(しか)れどももし維新革命の功、専(もっぱ)ら彼に在りといわば、
これ彼を誣(し)いたるなり。
彼は死後といえども、他人の功を窃(ぬす)んで、
彼に与うるが如き拙鄙(せっぴん)なる追従者を容(い)るる能(あた)わず。


 然れども彼の事業は短けれども、彼の教訓は長し。
為す所は多からざるも、教うる所は大なり。

 維新革命の健児としての彼の事業は、あるいは歴史の片影に埋もるべし。
然れども革新者の模範として、日本男児の典型として、長く国民の心を燃すべし。
 彼の生涯は血ある国民的 詩歌なり。
彼は空言を以て教えず、活動を以て教えたり。

 この教訓にして不朽ならば、彼もまた不朽なり。
即ち松陰死すもなお死せざるなり。


 彼が殉難者としての血を濺
(そそ)ぎしより三十余年、
維新の大業 半(なか)ば荒廃し、
さらに第二の維新を要するの時節は迫りぬ。
 第二の吉田松
陰を要する時節は来りぬ。
 
彼の孤墳は、今既に動きつつあるを見ずや。


                       「吉田松陰」民友社

             1893(明治26)年12月23日発行

                              初出:「国民之友」
             1892(明治25)年5月~9月


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