「吉田松陰」
徳富蘇峰
第十九 人物
彼は如何なる人物なるか、普通の意味において、大なる人物という能(あた)わず。
何となれば大なる活眼なく、大なる雄腕なく、また大なる常識を有せざるが故に。
然れどももし大なる人物というを許さば、許すべきはただ一あり。
曰く、彼は真誠の人なり、仮作(かさく)の人にあらざるなり。
彼が真誠の人たるは、なおルーテルが真誠の人たるが如し。
ルーテルの幼きや、胡弓を人の門口(かどぐち)に弾じて以て自ら給す、
弾じ終りて家人の物を与えんとするや、彼れ乍(たちま)ち赤面して遁(のが)れ去れり。
彼 何(な)んぞかくの如く小心なる。
彼がウオムスの大会において訊問せられんとするや、人その行を危ぶむ。
彼 昂然(こうぜん)として曰く、
「否々我 往(ゆ)かん、悪魔の数 縦令(たと)い屋上の瓦より三倍多きも何ぞ妨げん」。
あるいは曰く、「ジョルジ公あり、汝の強敵なり」と。
彼泰然として曰く、
「否々我往かん、縦令(たと)いジョルジ公雨の如く九日九夜降り続きたりとて何かあらん」と。
彼アウクスボルクに在(あ)りて、衆敵に窘追(きんつい)せらるるや、
慨然として曰く、
「もし余をして五百箇の首ありて、むしろ尽(ことごと)くこれを失うとも、
余が信ずる所の一箇条を改むるを欲せず」と。
彼は何故に前に小心にして、後にかくの如く大胆なるか。
怪む勿(なか)れ、真成の剛勇は、翼々たる小心より来るを知らずや。
松陰 固(もと)よりルーテルに比すべきものにあらず、
然れども彼が彼たる所以は、
至誠にして自から欺かざる故と知らずや。
彼れただ小心翼々たり、
その世に処する、あたかも独木橋(まるきばし)を渡るが如し。
彼は左にも右にも行くべき道を見ず、
故に思い切りて独木橋を鉛直線に進前す。
彼が行くべき道は唯一の道なり、
故に彼は全力を出してこれを踏過す。
彼はこれがために死すら辞せず、
何となれば彼が信ずる所は、死よりも重ければなり。
故に大胆の事を為すは、小心の人なり、
傍若無人の事を為すは、至誠にして自から欺かざる人なり。
彼(か)の非道横着にして、人を虐(しいた)げ世を逆して、
自から慚死(ざんし)する能(あた)わざる者の如きは、
これ良心の麻痺(まひ)病に罹(かか)りたるなり、
彼らが大胆は強盗殺人者の大胆なり、
未だ剛勇を以て許すべからざるなり。
ただ一の真誠なり、赤心なり。
父母に対すれば孝となり、
兄妹に対すれば友愛となり、
朋友に対すれば信義となり、
君に対すれば忠となり、
国に対すれば愛国となり、
道に対すれば殉道となる。
その本は一にして、その末は万なり。
万種の動作、ただ一心に会(あつ)まる。
彼が彼たる所以、ただこの一誠以て全心を把持するが故にあらずや。
彼は殉難者 てふ(ちょう)筋書により、
吉田松陰 てふ(ちょう)題目を演ずる俳優にあらず。
彼 自(みず)から活ける松陰なり、
彼は多くの欠点を有するに係(かかわ)らず、
仮作(かさく)的の人物にあらず、真誠の人物なり。
彼は真摯(しんし)の人なり、彼は意の人に非ず、
気の人なり。
理の人に非ず、情の人なり。
識の人に非ず、感の人なり。
彼は塩辛らく、意地悪ろく、腹黒き人に非ず。
彼は多くの陰謀を作(な)したるに拘(かかわ)らず、
正義の目的を達せんがために作(な)したるの陰謀にして、
殆んど胸中、人に対して言うべからざるのものなかりしなり。
彼は村田清風の手書に係る、
司馬温公の「吾れ人に過ぎるもの無し、但(た)だ平生の為す所、
未だ嘗(かつ)て人に対して言うべからざるもの有らざるのみ」の語を守袋に入れ、
常住坐臥、その膚を離さざりしという。
また以て彼が功夫(くふう)の存する所を察(み)るべし。
彼は日本国民の通有性を有す。
彼は余りに可燃質なり、
彼は余りに殺急に、余りに刃近(はしか)し、
切言すれば彼は浅躁(せんそう)と軽慓(けいひょう)と雑馭(ざっぱく)との譏(そしり)を免るる能(あた)わず。
然れども彼は敬虔なる献身的精神を以て、
その身を国家とその道とする所とに捧ぐ。
彼は到底一の「殉」字を会得したるもの、
而して彼は到底一の殉字に慚(は)じざるもの、
略言すれば彼は天成の好男児なり、日本男児の好標本なり。
* * * * *
余 嘗(かつ)て維新革命前の故老を訪い、
以て彼が風丰(ふうぼう)を聴くを得たり。
いう、彼れ短躯 癯骨(くこつ)、枯皮瘠肉、衣に勝(た)えざるが如く、
嘗(かつ)て宮部鼎蔵と相伴い、東北行を為すや、
しばしば茶店の老婆のために、誤って賈客視せらる。
宮部 戯(たわむ)れて曰く、
「君何ぞそれ商骨に饒(と)む、一にここに到る」と。
彼れ艴然(ふつぜん)刀柄(とうへい)を擬(ぎ)して曰く、
「何ぞ我を侮辱するや」と。
彼れ白痘(はくとう)満顔、広額 尖頤(せんい)、
双眉(そうび)上に釣り、両頬下に殺(そ)ぐ、
鼻梁(びりょう)隆起、口角(こうかく)緊束(きんそく)、
細目 深瞳(しんとう)、ただ眼晴 烱々(けいけい)、
火把(たいまつ)の如きを見るのみ。
彼れ人に対して真率(しんそつ)、漫(みだり)に辺幅を飾らず、
然れども広人 稠坐(ちゅうざ)の裡(うち)、
自ら一種の正気、人を圧するものありしという。
彼れ居常他の嗜好なし、酒を飲まず、
烟(たばこ)を吹かず、その烟を吹かざるは、
彼が断管吟の詩に徴して知るべし。
書画、文房、骨董、武器、一として彼の愛を経るものなし。
衣服、玩好(がんこう)、遊戯、一も彼の嗜(し)を惹(ひ)くものなし。
机上 一硯(いっけん)、一筆、蕭然(しょうぜん)たる書生のみ。
最も読書を好み手に巻を釈(す)てず、
その抄録(しょうろく)したるもの四十余巻ありという。
嘗(かつ)て森田節斎の「項羽本紀」の講義に参ず。
これよりして「項羽本紀」を手ずから謄写するものおよそ四回、
随って批し随って読む。
その愛読するもの孫子、水戸流の諸書、菅茶山詩、山陽詩文等は固(もと)より、
その他経史百家の書より、近代の諸著作に致るまで、寓目(ぐうもく)せざるなし。
その博覧強識にして、言論堂々、翰(ふで)を揮い飛ぶが如きもの、
その著作編述、無慮五、六十種に出づるもの、その好む所によりて、
その長技を見るべし。
声色の如きは、殆んど思うに遑(いとま)あらざりしなり。
ただ菓物と餅とは、平生すこぶる嗜(たしな)む所、
故に今に到りて、祭時必らずこれを供すという。
彼は哲学において、「ストイック」派にはあらざれども、
その行状は確かに「ストイック」なりき。
剛健簡質以て彼が生活を尽すべし。
彼は実に封建制度破壊の張本人たりしに係(かかわ)らず、
その身は武士風の遺影を留めたり。
彼の友人なる維新革命前の故老曰く、
「人 誰(た)れか過失なからん。ただ彼は余をしてその欠点を忘れしむ」と。
彼は多くの欠点を有したり。
然れども彼は人をしてその欠点を忘れしむるほどの、真誠なる人物なりき。
彼の赤心はかくまで深く人に徹せしなり。
「吉田松陰」民友社
1893(明治26)年12月23日発行
初出:「国民之友」
1892(明治25)年5月~9月