日本の心

激動する時代に日本人はいかに対処したのか振りかえる。

福澤諭吉 『慶応義塾の目的、気品の泉源、智徳の模範』

2023-07-12 11:51:58 | 福澤諭吉

    
 慶応義塾の目的:
 気品の泉源、智徳の模範

   福澤諭吉

 

  左の一編は十一月一日、慶應義塾先進の故老生が懐旧会とて芝紅葉館に集会のとき、
 福澤先生の演説したるものなり。

 

 老生の演(の)べんとする所は、慶應義塾の由来に就(つ)き、言(げん)少しく自負に似て俗に云(い)う手前味噌(てまえみそ)の嫌(きらい)なきに非(あら)ざれども、事実は座中諸君の記憶に存する通り聊(いささか)も違(たが)うことなく、且(か)つ今夕は内輪の会合にして他に憚(はばか)る所もあらざれば、過ぎし昔の物語も吾々には自(おのず)から一入(ひとしお)の興味あるべし。   

 

抑(そもそ)も人間世界は苦中楽あり。今を去ること三十年、我党の士が府下、鉄砲洲(てっぽうず)の奥平藩邸を去て芝、新銭座(しんせんざ)に移り、匆々(そうそう)一小塾舎を経営して洋学に従事したるその時は、王政維新の戦争最中、天下、復(ま)た文を語る者なし。

況(いわ)んや洋学に於(おい)てをや。

 

時論は攘夷(じょうい)の頂上に達し、洋学者の如(ごと)きは所謂(いわゆる)悪魔外道の一種にして、世間に容(い)れられざるのみか、又、随(したがっ)てその悪(にく)む所と為(な)り、時としては身辺の危険さえ恐ろしき程の次第なりしかども、
 人生の性質は至極(しごく)剛情なるものにて、世人が概して自分等を敵視すれば、その敵意の盛(さかん)なる程に此方も亦(また)窃(ひそか)に之(これ)に敵するの心を生じて、公然力を以(もっ)てするは固(もと)より叶(かな)わざる所なれども、心の底には他の無識無謀を冷笑すると共に、故(こと)さらに勉(つと)めてその言わざる所を言い、その好まざる所を行い、一切の言行を世論の反対に差向(さしむ)けて意気劇烈、些少(さしょう)も仮(か)す所なく、満天下を敵にするの覚悟を以て自(みず)から居たるこそ一時の奇なれ。

 

蓋(けだ)し我党は夙(つと)に西洋文明の真実、無妄(むぼう)なるを知り、人間の居家(きょか)処世より立国の大事に至るまで、文明の大義を捨てゝ他に拠(よ)るべきものなきを信じて、世の俗論、古論、保守論を悦(よろこ)ばざることなれども、その文明論の極端を公言して人心を激したるは、亦、是(こ)れ人生の獣勇、闘争を好むの情に出(いで)たることならんと、今より回想して自(みず)から悟る所なり。


 然(しか)りと雖(いえど)もこの獣勇、決して無益ならず。
当時我党の士は天下の俗論古論者に敵すると同時に、一方には彼等を網羅して之(これ)を諭し、その古来、徹骨(てっこつ)の蒙(もう)を啓(ひらき)て我主義に同化せしめんとの本願なれば、四面暗黒の世の中に独(ひと)り文明の炬火(きょか)を点じて方向を示し、百難を冒(おか)して唯(ただ)前進するのみ。

 

兵馬、騒擾(そうじょう)の前後に、旧幕府の洋学校は無論、他の私塾家塾も疾(と)く既(すで)に廃して跡を留めず、新政府の学事も容易に興(おこ)るべきに非(あら)ず、苟(いやしく)も洋学と云(い)えば日本国中、唯(ただ)一処の慶應義塾、即(すなわ)ち東京の新銭座塾あるのみ。

 

世人は之(これ)を目(もく)して孤立と云うも、我れは自負して独立と称し、在昔(ざいせき)欧洲にてナポレオンの大変乱に荷蘭(オランダ)国の滅亡したるとき、日本長崎の出嶋には尚(な)おその国旗を飜(ひるがえ)して一日も地に下したることなきゆえ、荷蘭(オランダ)は日本の庇蔭(ひいん)に依り、建国以来、曾(かつ)て国脈を断絶したることなしとて、今に至るまで蘭人の記憶に存すとの談あり。


 同志の士は是等(これら)の故事を物語りして、気品の泉源、智徳の模範ものなりと、敢(あえ)て自(みず)からその任に当りて、ます/\新知識の輸入に怠らざる中にも、
従前(じゅうぜん)徳川時代の洋学は医術を始めとして、化学、窮理(きゅうり)、砲術等、多くは物理器械学の辺を専らにしたるものを、
慶應義塾は一歩を進めて世界の地理、歴史、法律、政治、人事の組織より経済、脩身、哲学等の書を求めてその講読に着手し、現に英語に云うポリチカル・エコノミーを経済と訳し、モラル・サイヤンスを訳して脩身学の名を下したるも慶應義塾の立案なり。


 その他英語のスピーチュに演説の訳字を下して会議演説の趣意を説き、あらゆる反対論を排して今日世間に普通なる彼の演説法を教えたるも義塾にして、スチームを汽と訳し、コピライトを版権と訳したるも義塾の発意なり。

凡(およ)そ是等を計(かぞう)れば枚挙(まいきょ)に遑(いとま)あらず。

 

同志結合、力のあらん限りを尽して文明の一方に向い、一切万事その旧を棄(す)てゝ新、是(こ)れ謀(はか)り、以(もっ)て日本全社会の根底より面目を改めんと試みたるその企望は、実際に於(おい)て固(もと)より微力の及ぶべき限りに非(あら)ず、

 

唯(ただ)是れ一時の空想に似たりしかども、爰(ここ)に驚くべきは我日本国民の資質、剛毅(ごうき)にして頑ならず、常にその固有の気力を保つと同時に、慧眼(けいがん)能(よ)く利害の在る所を察して、王政の一新と共に民心も亦(また)一新し、文明の進歩、駸々(しんしん)として我党の空想を実にしたるのみか、却(かえっ)てその空想者の思い到らざる所にまで達して、遂に明治の新日本を出現したるこそ不思議の変化なれ、望外(ぼうがい)の仕合(しあわせ)なれ。

 

前後の事情を回想すれば感極まりて唯涙あるのみ。畢竟(ひっきょう)時運の然(しか)らしむる所なりと云うも、素因(そいん)なくして結果はあるべからず。吾々は今日に居て只管(ひたすら)先人の余徳その遺伝の賜(たまもの)を拝する者なり。

左(さ)れば我党の士が旧幕府の時代、即(すなわ)ち彼の鉄砲洲(てっぽうず)の塾より新銭座(しんせんざ)の塾に又今の三田に移りし後に至るまでも、勉強辛苦は誠に辛苦なりしかども、首(こうべ)を回(めぐ)らして世上を窺(うかが)い、文明の風光次第に明(あきらか)にして次第に佳境に入るを見るは、畢生(ひっせい)の大快楽事にして譬(たと)えんに物なし。

苦中楽ありとは即(すなわち)是(こ)れなり。

 

然(しか)りと雖(いえど)も人生の多情、多慾(たよく)なる、殆(ほと)んど飽くことを知らず。

 

今日の慶應義塾を見るに、その学事は凡(およ)そ資金の許す限りに勉(つと)めざるはなし。否(い)な、世間普通の官私諸学校に比すれば資力以外の事にまで着手して見るべきものありと雖(いえど)も、天下の時勢、尚(な)お未(いま)だ独立の学校事業に可ならずして、経済の不如意と共に学事も亦(また)不如意の歎を免(まぬ)かれず。

 

又教場の学事は殆んど器械的の仕事にして、僅(わずか)に銭あれば以(もっ)て意の如(ごと)くすべしと雖も、我党の士に於(おい)て特に重んずる所は人生の気品に在り。

 

抑(そもそ)も気品とは英語にあるカラクトルの意味にして、人の気品の如何(いかん)は尋常一様の徳論に喋々(ちょうちょう)する善悪邪正など云(い)う簡単なる標準を以て律すべからず。

 

況(いわ)んや法律の如きに於てをや。固(もと)よりその制裁の及ぶべき限りに非(あら)ず。恰(あたか)も孟子(もうし)の云いし浩然(こうぜん)の気に等しく、之(これ)を説明すること甚(はなは)だ難(かた)しと雖も、人にして苟(いやしく)もその気風品格の高尚なるものあるに非ざれば、才智、伎倆(ぎりょう)の如何(いかん)に拘(かか)わらず、君子として世に立つべからざるの事実は、社会一般の首肯(しゅこう)する所なり。

 

幸(さいわい)にして我慶應義塾はこの辺に於て聊(いささ)か他に異なる所のものを存して、鉄砲洲以来今日に至るまで固有の気品を維持して、凡俗卑屈の譏(そしり)を免(まぬ)かれたることなれども、元来無形の談にして、口以て言うべからず、指以て示すべからず、仏者の語を借用すれば以心伝心の微妙、義塾を一団体とすればその団体中に充満する空気とも称すべきものにして、畢竟(ひっきょう)するに先進後進、相接(あいせっ)して無形の間に伝播(でんぱ)する感化に外ならず。

 

然るに今老生は申すまでもなく、座中の諸君も頭髪、漸(ようや)く白し。況(いわ)んや老少不常にして、先年、既(すで)に小幡仁三郎(おばたじんざぶろう)、藤野善蔵(ぜんぞう)、蘆野(あしの)巻蔵、村尾真一、小谷忍(おたにしのぶ)、馬場辰猪(たつい)等の諸氏を喪(うしな)い、又近年に至りては藤田茂吉(もきち)、藤本寿吉(じゅきち)、和田義郎(よしろう)、小泉信吉(のぶきち)、野本貞次郎(さだじろう)、中村貞吉(さだきち)、吉川泰次郎(よしかわたいじろう)氏等の不幸を見たり。

 

蓋(けだ)し人の死するは薪(たきぎ)の尽るが如く、その死後の余徳は火の尽きざるが如しと云うと雖も、薪と火と共に消滅するの虞(おそれ)なきに非ず。

従前既に幾多の名士を喪い、今又老生と諸君と共に老却したり。自然の約束に従て次第に世を去りたらば、跡に遺(のこ)る壮年輩を如何(いかに)すべきや。

 

壮年の活溌、能(よ)く吾々長老の遺志を継ぐべしと信ずれども、全体の気品を維持して固有の面目を全(まっと)うせしむるの一事は、特に吾々先輩の責任にして、死に至るまで之を勤るも尚(な)お足らざるを恐るゝ所のものなり。

吾々の生前果して能くこの責任を尽し了(おわ)りて、第二世の長老を見るべきや否(いな)や。之を思えば今日進歩の快楽中、亦、自(おのず)から無限の苦痛あり。

 

〔慶応義塾の目的〕
老生の本意はこの慶應義塾を単に一処の学塾として甘んずるを得ず。その目的は我日本国中に於(お)ける気品の泉源、智徳の模範たらんことを期し、之(これ)を実際にしては居家(きょか)、処世、立国の本旨を明にして、之を口に言うのみに非(あら)ず、躬行(きゅうこう)実践、以(もっ)て全社会の先導者たらんことを期する者なれば、今日この席の好機会に恰(あたか)も遺言の如(ごと)くにして之を諸君に嘱托するものなり。

 

 初出:「時事新報」 1896(明治29)年11月3日



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