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日本の心

激動する時代に日本人はいかに対処したのか振りかえる。

竹越與三郎 「深憂大患」朝鮮を如何せん乎

2019-08-18 16:25:31 | 作家・思想家

   深憂大患 
   實に朝鮮が半上、落下、歸着する所なき半保護國たるの性質にありて存ず。
    然らば即ち朝鮮を如何せん乎。

       竹越三叉 


 今や我國家、朝鮮の爲めに師を出し、清國の勢力を朝鮮より一掃し、
我公使をして其改革顧問たらしめ、
我政治家をして、其の參贊たらしむ。

 朝鮮あつて以來、我勢力の伸張する、未だ曾て此の如きはあらず。
此に於てか國民、揚々として自得し、朝鮮を以て純乎たる我藩屏と信じ、
其政治家は一に我に負かざる者と信ず、また前途の憂患を慮らず。

 然れども知らず耶、吾人の深憂大患は實に朝鮮より來らんとするを。
吾人が朝鮮を得たるは、實に蝮蛇の卵を懷中に抱きたるもの也。

   
 師を朝鮮に出して清國と爭ふは、獨り明治の國民が企畫したる事のみにあらず、
天智天皇が百濟を助け、唐軍と戰つて、白村江に敗北したる以來、
國民が一日も忘るゝ能はざりし一大目的也。
 
 一千二百年の雄志初めて酬ゆるの日に方つて、我國民が歡呼、欣舞するものまた偶然にあらず。
唯だそれ情炎、燃るの日も、吾人は冷頭靜思せざるべからず。
所謂る朝鮮に於ける吾人の勝利なるものは、唯だ清國に對する勝利、武力の勝利のみ。 
 
 朝鮮は依然たる獨立國にして、其の自主自由の權あるや、前日と一毫の差なきを記臆せざるべからず。
吾人は朝鮮に於ける『勢力』を得たるのみ、未だ朝鮮を我屬國としたるものにあらず。
 
 若し或は已に勢力を得たるが爲に、
朝鮮は、凡べての事に於て、我が思ふが如く成るべしと爲さば、是れ妄信の甚しきもの也。

   
 若し一個、列國權力の平衡を知り、列國嫉妬の情僞を知り、
空拳を揮つて列國を掌上に弄せんとするマキヤベーリ的の政治家あらば、
吾人の懷中にある蝮蛇の卵は、一夜に蜉生して腹心の病となるに至らん。
 
 而して最も能く此中の消息を知るものありとせば、朝鮮の政治家之を知らん。
吾人は『朝鮮服從』の虚榮に眩惑して此の深憂大患に目を閉づる能はざる也。   
  
 盖し、天智、秀吉時代にありては、朝鮮に於ける吾人の敵手は、唯だ一、支那あるのみ。
支那勢力を一掃せば即ち足る。
必しも、其他を憂へざりし也。今や然らず。
歐洲列國は猶ほ比隣の如し。
 
 吾人が朝鮮に於て爭ふ所は、獨り支那の勢力に止らず。
吾人は病根を一掃するにあらざれば、終始、列國の勢力と相競爭するの位置に立つを忘るべからず。
 
 而して、今囘の大勝利なるものは、朝鮮に於ける支那の勢力を一掃したるのみ。
苟も、他の勢力の存ずる以上は、朝鮮が獨立の名實を有する以上は、
他の勢力が活動すべき機會ある以上は、
第二の支那を、朝鮮に生ずるは到底、避くべからざる事たるを覺悟せざるべからず。
知らず誰か是れ第二の支那たる者ぞ。
  
 朝鮮に於ける第二の支那たる者の誰たるに係らず、列國の進んで乘ずるのみにあらず、
朝鮮政治家は、何時にても門を開きて之を歡迎するの性情を有するものなるを忘るべからず。
 
人或は閔泳駿等が支那の勢力に阿附したるを責めて、兇逆と爲すと雖も、事
大主義は其國民の性情なるを奈何せん。
 
 支那黨より見れば、金朴の徒もまた閔の徒に異ならざる也。
人或は大院君が平壤の大戰中に際して、私かに清國に通ぜんとしたるを云々して、其の反覆を尤む。

 然れども反雲、覆雨、彼に就き之に就きて、以て自ら安きを謀るは、
其歴代政治家に一貫したる主義なるを奈何せん。

 朝鮮の政治家、誰か能く、此の國民的性情と、歴史的積勢の外に出るを得ん耶、
已に然り、日本國民は其あらゆる同情を傾瀉して金朴の二人を保護したりと雖も、
誰れか金朴が能く百年我に負かざるを保せん耶。
金の末路、清國に赴くの心事を知るものは必らず、そを知らん。

 朴泳孝が現に朝鮮内閣にありて、日本に對して如何なる態度を示めしつゝある乎。
之を知るものはまた能く朝鮮の日本に對する將來の態度を知るを得べし。
吾人は朴泳孝を親愛し其日本に負かざるべきを信ぜんと欲す。 
 
 吾人は魚允中を親愛すること泳に[#「冫+咸」、146-下-4]ぜず。
其日本の恩義に負かざるを信ぜんと欲す。
然れども、吾人は日本の恩義よりも更らに彼等に取りて重大なるものあるを忘るべからず。
彼等の權力也。
彼等の見る所の朝鮮の運命也。

彼等日本を以て此二者に撞着すると爲すとき、豈に飜然とし手を覆すなきを保せん耶。
况んや彼等もまた大院君、閔泳駿と等しく朝鮮政治家なるを耶。

 彼等の山河已に生色なし、
彼等の國力、はた自ら立つ能はず、
彼等の固有の實力、已に自ら立つるに足るものなし。

 然れども、セルヴヰ、モンテネグロの政治家が、歐洲の權力平衡を知るが如く、
彼等は列國の愼僞を知る。

 彼等はマキアベーリを讀まざるも、
其半島國たる形勢は、自然に彼等に教ゆるにマキアベーリ主義を以てす。  

 彼等は日本の兵力を見て恐怖すと雖も、
世界の表面には日本の兵力と匹敵する國民ありて常に之に乘ぜんとするを知れり。

 彼等は支那の勢力已に日本の爲めに朝鮮より一掃せらるゝを見るも、
更らに第二の支那たらんとするものあるを知れり。
第二の支那を作るの易々たるを知れり。
 
 日本は朝鮮の獨立を世界に公言したるがため、また朝鮮の主權を如何ともする能はざるを知れり。  

 彼等は其獨立の名あるがために、獨立の實を日本に求むるも、
順にして事正しく列國の皆な之を承認すべきを知れり。

 彼等は一の兵力を有せざるも、列國の權力平均と、妬嫉の情とを利用せば、
以て日本の干渉を遮ぎるに足るべきを知れり。

 彼等は半開國と雖も、暹羅安南の如きものにあらず。
半島國固有の氣質は、彼等をして外交的技倆を具へしむ。 

 而して今や彼等は日本に對して漸やく嫌たらざらんとし、
漸やく他の勢力を利用するも日本の干渉を※[#「冫+咸」、146-下-26]ぜんとするを見る。

 現に三百萬圓の貸附金の如きも、彼等は約しては負き、負きては約し、曖昧躊躇す。
 
而して其の實は他の某國より五百萬圓を貸與せんと云ふの喚諾に迷ふて然る也。
また、其の三百萬圓の抵當の如きも、日本政府、海關税を以て之に充てしめんとすれば、
已に他の國家に對して抵當とせるを發見す。

 列國の形勢、經濟上の欠乏、其政治家の狡獪は、内外上下相結合して、
到底日本をして主一の保護者たらしめず。
第二の支那を他より招かずんば休せざるべし。

 此時に方つては吾人は恐るべき一大勢力と相交渉せざるべからざるを發見せん。
牙山の驛、白衣の韓人草野を行くあり。
之を追ふて誰何すれば大聲を發して走り、言下に支那の伏兵起つて我を要撃す。
 
 吾人は朝鮮の爲め、外交の上に於て此の如き塲合に引き入れられ
突として第二の支那と草野に相逢ふの日あるは瞭々乎として見るべき也。

 故に曰く朝鮮を得たるは寶玉を得たるにあらずして、蝮蛇の卵を懷中に抱くもの也。
深憂大患、藏して其中にあり。漫に虚榮の念に驅られて歡乎すべからざる也。



 且つそれ、屬國にあらず、領地にあらず、名實共に獨立にして、
助を我に仰ぐの國は决して、長く我國民の堪ゆべき所にあらざる也。

獨り我國の堪へざるのみならず、列國の衰弱實に此に基づく。
何となれば彼れ我領有たらば、吾人の思ふが如く、善政良法を布くべし。
美風善俗を養ふべし。工藝學問を植ゆべし。

 期年にして其の生産する所、我國家に酬ゆる所、また相當のものあるべし。
其民によつて其國を治む。勞多しと雖も、効もまた少からず。
然れども領有せざる他の保護國は此の如き報酬ある能はず。 

 其國は我に對して國家的思想を有せず。
國民的思想を有せず。
我に對して租税を納れず。
我法律政治を受けず。
而して吾人が之に費す所は毫も少きを加ゆるを得ず。
 
 之を忽にせば我に叛かんことを恐るゝが爲に之に費す所多く、
之に費す所多ければ、國民其煩に堪へざらんとす。

 我先民が三韓を失して李唐の手に奪はれたるものは之が爲め也。
我先民、雄畧の資なしと雖も、若し三韓をして我官家たるに止らしめず、
斷乎として我屬國たらしめば統御の道便利あるのみならず、
其租税によつて其民を治む、之を保つの道、决して難からざるべき也。

 謀此に出でず、之を半屬の國たらしむ、年々兵禍あつて、一毫の租税なく、
我に出師の責あるも、統一の權なし、此に於てか遂に彼をして李后に屬せしむ。

 吾人は我歴史に於て半屬の不利益なる經驗せり。
歐洲列國の鑑戒また此の如し。

 遠くは英國が歐洲大陸に半屬國を有して年々其費に堪へざりしが如き、
近くは英國の埃及に於て佛國と相轢るが如き、
皆な半屬國保護國の徒らに其の本國を衰弱せしむるものにして、寧ろ全き領土となるか、
然らずんばそを放棄するの可なるを證明するものにあらざるはなし。  

 思ふに我國民は已に『朝鮮に於ける勢力』を占有するの虚榮を見て歡喜せり。

 是より英國のアイルランドに於けるが如き、病苦を甞むるの時來るべし、
而してアイルランドが、英國百年の政黨歴史を打破して新たに政黨の分合を作り、
年々内閣更迭の原因たりしが如く、
新政治界を攪亂する根弊、宿病必らずや之より來らん。 

 朝鮮は獨り外交の深憂大患たるのみならず、また實に内政上の大病根たらん。
而して其病疾淵源する所、實に朝鮮が半上、落下、歸着する所なき半保護國たるの性質にありて存ず。

 然らば即ち朝鮮を如何せん乎。今日は之を開陳すべき機會にあらず。
今日は唯だ外交内治の深憂大患を封じたる蝮蛇の卵を受けて後に欣舞するの不可なるを示めさんとするのみ。
吾人の豫言の當る恐らくは十年を出でじ。若しも吾人の豫言をして人の杞憂に止らしめば是れ皇天の特恩のみ。
 
    「國民之友 第二百五十一號」民友社
     1895(明治28)年4月23日発行


西田幾多郎『世界新秩序の原理』

2018-11-23 16:26:18 | 作家・思想家

世界新秩序の原理 
    西田幾多郎

 

 世界はそれぞれの時代にそれぞれの課題を有し、その解決を求めて、時代から時代へと動いて行く。ヨウロッパで云へば、18世紀は個人的自覺の時代、所謂個人主義自由主義の時代であつた。18世紀に於ては、未だ一つの歴史的世界に於ての國家と國家との對立と云ふまでに至らなかつたのである。大まかに云へば、イギリスが海を支配し、フランスが陸を支配したとも云ひ得るであらう。

 然るに19世紀に入つては、ヨーロッパといふ一つの歴史的世界に於てドイツとフランスとが對立したが、更に進んで窮極する所、全世界的空間に於て、ドイツとイギリスとの2大勢力が對立するに至つた。これが第一次世界大戰の原因である。

 19世紀は國家的自覺の時代、所謂帝國主義の時代であつた。各國家が何處までも他を從へることによつて、自己自身を強大にすることが歴史的使命と考へた。そこには未だ國家の世界史的使命の自覺といふものに至らなかつた。國家に世界史的使命の自覺なく、單なる帝國主義の立場に立つかぎり、又逆にその半面に、階級鬪爭と云ふものを免れない。
 19世紀以來、世界は、帝國主義の時代たると共に、階級鬪爭の時代でもあつた。共産主義と云ふのは、全體主義的ではあるが、その原理は、何處までも18世紀の個人的自覺による抽象的世界理念の思想に基くものである。思想としては、18世紀的思想の19世紀的思想に對する反抗とも見ることができる。帝國主義的思想と共に過去に屬するものであらう。

 

 今日の世界は、私は世界的自覺の時代と考へる。各國家は各自世界的使命を自覺することによつて一つの世界史的世界即ち世界的世界を構成せなければならない。これが今日の歴史的課題である。第一次大戰の時から世界は既に此の段階に入つたのである。然るに第一次大戰の終結は、かゝる課題の解決を殘した。そこには古き抽象的世界理念の外、何等の新らしい世界構成の原理はなかつた。これが今日又世界大戰が繰返される所以である。今日の世界大戰は徹底的に此の課題の解決を要求するのである。

 

一つの世界的空間に於て、強大なる國家と國家とが對立する時、世界は激烈なる鬪爭に陷らざるを得ない。科學、技術、經濟の發達の結果、今日、各國家民族が緊密なる一つの世界的空間に入つたのである。之を解決する途は、各自が世界史的使命を自覺して、各自が何處までも自己に即しながら而も自己を越えて、一つの世界的世界を構成するの外にない。私が現代を各國家民族の世界的自覺の時代と云ふ所以である。

 各國家民族が自己を越えて一つの世界を構成すると云ふことは、ウィルソン國際聯盟に於ての如く、單に各民族を平等に、その獨立を認めるといふ如き所謂民族自決主義ではない。さういふ世界は、18世紀的な抽象的世界理念に過ぎない。かゝる理念によつて現實の歴史的課題の解決の不可能なることは、今日の世界大戰が證明して居るのである。

 いづれの國家民族も、それぞれの歴史的地盤に成立し、それぞれの世界史的使命を有するのであり、そこに各國家民族が各自の歴史的生命を有するのである。各國家民族が自己に即しながら自己を越えて一つの世界的世界を構成すると云ふことは、各自自己を越えて、それぞれの地域傳統に從つて、先づ一つの特殊的世界を構成することでなければならない。而して斯く歴史的地盤から構成せられた特殊的世界が結合して、全世界が一つの世界的世界に構成せられるのである。

 かゝる世界的世界に於ては、各國家民族が各自の個性的な歴史的生命に生きると共に、それぞれの世界史的使命を以て一つの世界的世界に結合するのである。これは人間の歴史的發展の終極の理念であり、而もこれが今日の世界大戰によつて要求せられる世界新秩序の原理でなければならない。我國の八紘爲宇の理念とは、此の如きものであらう。畏くも萬邦をしてその所を得せしめると宣らせられる。聖旨も此にあるかと恐察し奉る次第である。18世紀的思想に基く共産的世界主義も、此の原理に於て解消せられなければならない。

 

 今日の世界大戰の課題が右の如きものであり、世界新秩序の原理が右の如きものであるとするならば、東亞共榮圈の原理も自ら此から出て來なければならない。從來、東亞民族は、ヨーロッパ民族の帝國主義の爲に、壓迫せられてゐた、植民地視せられてゐた、各自の世界史的使命を奪はれてゐた。今や東亞の諸民族は東亞民族の世界史的使命を自覺し、各自自己を越えて一つの特殊的世界を構成し、以て東亞民族の世界史的使命を遂行せなければならない。これが東亞共榮圈構成の原理である。

 今や我々東亞民族は一緒に東亞文化の理念を提げて、世界史的に奮起せなければならない。而して一つの特殊的世界と云ふものが構成せられるには、その中心となつて、その課題を擔うて立つものがなければならない。東亞に於て、今日それは我日本の外にない。昔、ペルシヤ戰爭に於てギリシヤの勝利が今日までのヨーロッパ世界の文化發展の方向を決定したと云はれる如く、今日の東亞戰爭は後世の世界史に於て一つの方向を決定するものであらう。

 

 今日の世界的道義はキリスト教的なる博愛主義でもなく、又支那古代の所謂王道といふ如きものでもない。各國家民族が自己を越えて一つの世界的世界を形成すると云ふことでなければならない、世界的世界の建築者となると云ふことでなければならない。我國體は單に所謂全體主義ではない。皇室は過去未來を包む絶對現在として、皇室が我々の世界の始であり終である。皇室を中心として一つの歴史的世界を形成し來つた所に、萬世一系の我國體の精華があるのである。我國の皇室は單に一つの民族的國家の中心と云ふだけでない。我國の皇道には、八紘爲宇の世界形成の原理が含まれて居るのである。

 

 世界的世界形成の原理と云ふのは各國家民族の獨自性を否定することではない、正にその逆である。世界と云へば、人は今尚18世紀的に抽象的一般的世界を考へて居るのである。私の世界的世界形成と云ふのは、各國家各民族がそれぞれの歴史的地盤に於て何處までも世界史的使命を果すことによつて、即ちそれぞれの歴史的生命に生きることによつて、世界が具體的に一となるのである、即ち世界的世界となるのである。世界が具體的に一となると云ふことは各國家民族が何處までもそれぞれの歴史的生命に生きることでなければならない。恰も有機體に於ての樣に、全體が一となることは各自が各自自身となることであり、各自が各自自身となることは全體が一となることである。

 

 私の世界と云ふのは、個性的統一を有つたものを云ふのである。世界的世界形成の原理とは、萬邦各その所を得せしめると云ふに外ならない。今日の國家主義は、かゝる世界的世界形成主義に基礎附けられてゐなければならない。單に各國家が各國家にと云ふことではない。今日の世界状勢は世界が何處までも一とならざるべからざるが故に、各國家が何處までも各自に國家主義的たらねばならぬのである。而してかゝる多と一との媒介として、共榮圈といふ如き特殊的世界が要求せられるのである。

 

 我國民の思想指導及び學問教育の根本方針は何處までも深く國體の本義に徹して、歴史的現實の把握と世界的世界形成の原理に基かねばならない。英米的思想の排撃すべきは、自己優越感を以て東亞を植民地視するその帝國主義にあるのでなければならない。又國内思想指導の方針としては、較もすれば黨派的に陷る全體主義ではなくして、何處までも公明正大なる君民一體、萬民翼贊の皇道でなければならない。

 

 以上は私が國策研究會の求に應じて、世界新秩序の問題について話した所の趣旨である。各國家民族が何處までも自己に即しながら、自己を越えて一つの世界を形成すると云ふことは、各國家民族を否定するとか輕視するとかと云ふことではない。逆に各國家民族が自己自身に還り、自己自身の世界史的使命を自覺することによつて、結合して一つの世界を形成するのである。かゝる綜合統一を私は世界と云ふのである。

各國家民族を否定した抽象的世界と云ふのは、實在的なものではない。從つてそれは世界と云ふものではない。故に私は特に世界的世界と云ふのである。從來は世界は抽象的であり、非實在的であつた。併し今日は世界は具體的であり、實在的であるのである。今日は何れの國家民族も單に自己自身によつて存在することはできぬ、世界との密接なる關係に入り込むことなくして、否、全世界に於て自己自身の位置を占めることなくして、生きることはできぬ。世界は單なる外でない。

 斯く今日世界が實在的であると云ふことが、今日の世界戰爭の原因であり、此の問題を無視して、今日の世界戰爭の問題を解決することはできない。私の世界と云ふのは右の如き意味のものであるから、世界的世界形成と云ふことは、地域傳統に從つてと云ふのである。然らざれば、具體的世界と云ふものは形成せられない。私の云ふ所の世界的世界形成主義と云ふのは、他を植民地化する英米的な帝國主義とか聯盟主義とかに反して、皇道精神に基く八紘爲宇の世界主義でなければならない。抽象的な聯盟主義は、その裏面に帝國主義に却つて結合して居るのである。

 

 歴史的世界形成には、何處までも民族と云ふものが中心とならなければならない。それは世界形成の原動力である。共榮圈と云ふものであつても、その中心となる民族が、國際聯盟に於ての如く、抽象的に選出せられるのでなく、歴史的に形成せられるのでなければならない。斯くして眞の共榮圈と云ふものが成立するのである。

 併し自己自身の中に眞の世界性を含まない單に自己の民族を中心として、そこからすべての世界を考へる單なる民族主義は、民族自己主義であり、そこから出て來るものは、自ら侵略主義とか帝國主義とか云ふものに陷らざるを得ないであらう。今日、英米の帝國主義と云ふものは、彼等の民族自己主義に基くものに外ならない。或一民族が自己自身の中に世界的世界形成の原理を含むことによつて始めてそれが眞の國家となる。而してそれが道徳の根源となる。

 國家主義と單なる民族主義とを混同してはならない。私の世界的世界形成主義と云ふのは、國家主義とか民族主義とか云ふものに反するものではない。世界的世界形成には民族が根柢とならなければならない。而してそれが世界的世界形成的なるかぎり國家である。個人は、かゝる意味に於ての國家の一員として、道徳的使命を有するのである。故に世界的世界形成主義に於ては、各の個人は、唯一なる歴史的場所、時に於て、自己の使命と責務とを有するのである。日本人は、日本人として、此の日本歴史的現實に於て、即ち今日の時局に於て、唯一なる自己の道徳的使命と責務とを有するのである。

 

 民族と云ふものも、右の如く世界的世界形成的として道徳の根源となる樣に、家族と云ふものも、同じ原理によつて道徳の根源となるのである。單なる家族主義が、すぐ道徳的であるのではない。世界的世界形成主義には家族主義も含まれて居るのである。之と共に逆に、共榮圈と云ふ如きものに於ては、嚮に云つた如く、指導民族と云ふものが選出せられるのではなく、世界的世界形成の原理によつて生れ出るものでなければならない。こゝに世界的世界形成主義と國際聯盟主義との根本的相違があるのである。

 

 神皇正統記が大日本者神國なり、異朝には其たぐひなしといふ我國の國體には、絶對の歴史的世界性が含まれて居るのである。我皇室が萬世一系として永遠の過去から永遠の未來へと云ふことは、單に直線的と云ふことではなく、永遠の今として、何處までも我々の始であり終であると云ふことでなければならない。天地の始は今日を始とするといふ理も、そこから出て來るのである。慈遍は神代在今、莫謂往昔とも云ふ(舊事本紀玄義)。

 日本精神の眞髓は、何處までも超越的なるものが内在的、内在的なるものが超越的と云ふことにあるのである。八紘爲宇の世界的世界形成の原理は内に於て君臣一體、萬民翼贊の原理である。我國體を家族的國家と云つても、單に家族主義的と考へてはならない。何處までも内なるものが外であり、外なるものが内であるのが、國體の精華であらう。義乃君臣、情兼父子である。

 

 我國の國體の精華が右の如くなるを以て、世界的世界形成主義とは、我國家の主體性を失ふことではない。これこそ己を空うして他を包む我國特有の主體的原理である。之によつて立つことは、何處までも我國體の精華を世界に發揮することである。今日の世界史的課題の解決が我國體の原理から與へられると云つてよい。英米が之に服從すべきであるのみならず、樞軸國も之に傚ふに至るであらう。


西田幾多郎『世界新秩序の原理』

2018-11-23 16:23:16 | 作家・思想家

世界新秩序の原理 
    西田幾多郎

 

 世界はそれぞれの時代にそれぞれの課題を有し、その解決を求めて、時代から時代へと動いて行く。ヨウロッパで云へば、18世紀は個人的自覺の時代、所謂個人主義自由主義の時代であつた。18世紀に於ては、未だ一つの歴史的世界に於ての國家と國家との對立と云ふまでに至らなかつたのである。大まかに云へば、イギリスが海を支配し、フランスが陸を支配したとも云ひ得るであらう。

 然るに19世紀に入つては、ヨーロッパといふ一つの歴史的世界に於てドイツとフランスとが對立したが、更に進んで窮極する所、全世界的空間に於て、ドイツとイギリスとの2大勢力が對立するに至つた。これが第一次世界大戰の原因である。

 19世紀は國家的自覺の時代、所謂帝國主義の時代であつた。各國家が何處までも他を從へることによつて、自己自身を強大にすることが歴史的使命と考へた。そこには未だ國家の世界史的使命の自覺といふものに至らなかつた。國家に世界史的使命の自覺なく、單なる帝國主義の立場に立つかぎり、又逆にその半面に、階級鬪爭と云ふものを免れない。
 19世紀以來、世界は、帝國主義の時代たると共に、階級鬪爭の時代でもあつた。共産主義と云ふのは、全體主義的ではあるが、その原理は、何處までも18世紀の個人的自覺による抽象的世界理念の思想に基くものである。思想としては、18世紀的思想の19世紀的思想に對する反抗とも見ることができる。帝國主義的思想と共に過去に屬するものであらう。

 

 今日の世界は、私は世界的自覺の時代と考へる。各國家は各自世界的使命を自覺することによつて一つの世界史的世界即ち世界的世界を構成せなければならない。これが今日の歴史的課題である。第一次大戰の時から世界は既に此の段階に入つたのである。然るに第一次大戰の終結は、かゝる課題の解決を殘した。そこには古き抽象的世界理念の外、何等の新らしい世界構成の原理はなかつた。これが今日又世界大戰が繰返される所以である。今日の世界大戰は徹底的に此の課題の解決を要求するのである。

 

一つの世界的空間に於て、強大なる國家と國家とが對立する時、世界は激烈なる鬪爭に陷らざるを得ない。科學、技術、經濟の發達の結果、今日、各國家民族が緊密なる一つの世界的空間に入つたのである。之を解決する途は、各自が世界史的使命を自覺して、各自が何處までも自己に即しながら而も自己を越えて、一つの世界的世界を構成するの外にない。私が現代を各國家民族の世界的自覺の時代と云ふ所以である。

 各國家民族が自己を越えて一つの世界を構成すると云ふことは、ウィルソン國際聯盟に於ての如く、單に各民族を平等に、その獨立を認めるといふ如き所謂民族自決主義ではない。さういふ世界は、18世紀的な抽象的世界理念に過ぎない。かゝる理念によつて現實の歴史的課題の解決の不可能なることは、今日の世界大戰が證明して居るのである。

 いづれの國家民族も、それぞれの歴史的地盤に成立し、それぞれの世界史的使命を有するのであり、そこに各國家民族が各自の歴史的生命を有するのである。各國家民族が自己に即しながら自己を越えて一つの世界的世界を構成すると云ふことは、各自自己を越えて、それぞれの地域傳統に從つて、先づ一つの特殊的世界を構成することでなければならない。而して斯く歴史的地盤から構成せられた特殊的世界が結合して、全世界が一つの世界的世界に構成せられるのである。

 かゝる世界的世界に於ては、各國家民族が各自の個性的な歴史的生命に生きると共に、それぞれの世界史的使命を以て一つの世界的世界に結合するのである。これは人間の歴史的發展の終極の理念であり、而もこれが今日の世界大戰によつて要求せられる世界新秩序の原理でなければならない。我國の八紘爲宇の理念とは、此の如きものであらう。畏くも萬邦をしてその所を得せしめると宣らせられる。聖旨も此にあるかと恐察し奉る次第である。18世紀的思想に基く共産的世界主義も、此の原理に於て解消せられなければならない。

 

 今日の世界大戰の課題が右の如きものであり、世界新秩序の原理が右の如きものであるとするならば、東亞共榮圈の原理も自ら此から出て來なければならない。從來、東亞民族は、ヨーロッパ民族の帝國主義の爲に、壓迫せられてゐた、植民地視せられてゐた、各自の世界史的使命を奪はれてゐた。今や東亞の諸民族は東亞民族の世界史的使命を自覺し、各自自己を越えて一つの特殊的世界を構成し、以て東亞民族の世界史的使命を遂行せなければならない。これが東亞共榮圈構成の原理である。

 今や我々東亞民族は一緒に東亞文化の理念を提げて、世界史的に奮起せなければならない。而して一つの特殊的世界と云ふものが構成せられるには、その中心となつて、その課題を擔うて立つものがなければならない。東亞に於て、今日それは我日本の外にない。昔、ペルシヤ戰爭に於てギリシヤの勝利が今日までのヨーロッパ世界の文化發展の方向を決定したと云はれる如く、今日の東亞戰爭は後世の世界史に於て一つの方向を決定するものであらう。

 

 今日の世界的道義はキリスト教的なる博愛主義でもなく、又支那古代の所謂王道といふ如きものでもない。各國家民族が自己を越えて一つの世界的世界を形成すると云ふことでなければならない、世界的世界の建築者となると云ふことでなければならない。我國體は單に所謂全體主義ではない。皇室は過去未來を包む絶對現在として、皇室が我々の世界の始であり終である。皇室を中心として一つの歴史的世界を形成し來つた所に、萬世一系の我國體の精華があるのである。我國の皇室は單に一つの民族的國家の中心と云ふだけでない。我國の皇道には、八紘爲宇の世界形成の原理が含まれて居るのである。

 

 世界的世界形成の原理と云ふのは各國家民族の獨自性を否定することではない、正にその逆である。世界と云へば、人は今尚18世紀的に抽象的一般的世界を考へて居るのである。私の世界的世界形成と云ふのは、各國家各民族がそれぞれの歴史的地盤に於て何處までも世界史的使命を果すことによつて、即ちそれぞれの歴史的生命に生きることによつて、世界が具體的に一となるのである、即ち世界的世界となるのである。世界が具體的に一となると云ふことは各國家民族が何處までもそれぞれの歴史的生命に生きることでなければならない。恰も有機體に於ての樣に、全體が一となることは各自が各自自身となることであり、各自が各自自身となることは全體が一となることである。

 

 私の世界と云ふのは、個性的統一を有つたものを云ふのである。世界的世界形成の原理とは、萬邦各その所を得せしめると云ふに外ならない。今日の國家主義は、かゝる世界的世界形成主義に基礎附けられてゐなければならない。單に各國家が各國家にと云ふことではない。今日の世界状勢は世界が何處までも一とならざるべからざるが故に、各國家が何處までも各自に國家主義的たらねばならぬのである。而してかゝる多と一との媒介として、共榮圈といふ如き特殊的世界が要求せられるのである。

 

 我國民の思想指導及び學問教育の根本方針は何處までも深く國體の本義に徹して、歴史的現實の把握と世界的世界形成の原理に基かねばならない。英米的思想の排撃すべきは、自己優越感を以て東亞を植民地視するその帝國主義にあるのでなければならない。又國内思想指導の方針としては、較もすれば黨派的に陷る全體主義ではなくして、何處までも公明正大なる君民一體、萬民翼贊の皇道でなければならない。

 

 以上は私が國策研究會の求に應じて、世界新秩序の問題について話した所の趣旨である。各國家民族が何處までも自己に即しながら、自己を越えて一つの世界を形成すると云ふことは、各國家民族を否定するとか輕視するとかと云ふことではない。逆に各國家民族が自己自身に還り、自己自身の世界史的使命を自覺することによつて、結合して一つの世界を形成するのである。かゝる綜合統一を私は世界と云ふのである。

各國家民族を否定した抽象的世界と云ふのは、實在的なものではない。從つてそれは世界と云ふものではない。故に私は特に世界的世界と云ふのである。從來は世界は抽象的であり、非實在的であつた。併し今日は世界は具體的であり、實在的であるのである。今日は何れの國家民族も單に自己自身によつて存在することはできぬ、世界との密接なる關係に入り込むことなくして、否、全世界に於て自己自身の位置を占めることなくして、生きることはできぬ。世界は單なる外でない。

 斯く今日世界が實在的であると云ふことが、今日の世界戰爭の原因であり、此の問題を無視して、今日の世界戰爭の問題を解決することはできない。私の世界と云ふのは右の如き意味のものであるから、世界的世界形成と云ふことは、地域傳統に從つてと云ふのである。然らざれば、具體的世界と云ふものは形成せられない。私の云ふ所の世界的世界形成主義と云ふのは、他を植民地化する英米的な帝國主義とか聯盟主義とかに反して、皇道精神に基く八紘爲宇の世界主義でなければならない。抽象的な聯盟主義は、その裏面に帝國主義に却つて結合して居るのである。

 

 歴史的世界形成には、何處までも民族と云ふものが中心とならなければならない。それは世界形成の原動力である。共榮圈と云ふものであつても、その中心となる民族が、國際聯盟に於ての如く、抽象的に選出せられるのでなく、歴史的に形成せられるのでなければならない。斯くして眞の共榮圈と云ふものが成立するのである。

 併し自己自身の中に眞の世界性を含まない單に自己の民族を中心として、そこからすべての世界を考へる單なる民族主義は、民族自己主義であり、そこから出て來るものは、自ら侵略主義とか帝國主義とか云ふものに陷らざるを得ないであらう。今日、英米の帝國主義と云ふものは、彼等の民族自己主義に基くものに外ならない。或一民族が自己自身の中に世界的世界形成の原理を含むことによつて始めてそれが眞の國家となる。而してそれが道徳の根源となる。

 國家主義と單なる民族主義とを混同してはならない。私の世界的世界形成主義と云ふのは、國家主義とか民族主義とか云ふものに反するものではない。世界的世界形成には民族が根柢とならなければならない。而してそれが世界的世界形成的なるかぎり國家である。個人は、かゝる意味に於ての國家の一員として、道徳的使命を有するのである。故に世界的世界形成主義に於ては、各の個人は、唯一なる歴史的場所、時に於て、自己の使命と責務とを有するのである。日本人は、日本人として、此の日本歴史的現實に於て、即ち今日の時局に於て、唯一なる自己の道徳的使命と責務とを有するのである。

 

 民族と云ふものも、右の如く世界的世界形成的として道徳の根源となる樣に、家族と云ふものも、同じ原理によつて道徳の根源となるのである。單なる家族主義が、すぐ道徳的であるのではない。世界的世界形成主義には家族主義も含まれて居るのである。之と共に逆に、共榮圈と云ふ如きものに於ては、嚮に云つた如く、指導民族と云ふものが選出せられるのではなく、世界的世界形成の原理によつて生れ出るものでなければならない。こゝに世界的世界形成主義と國際聯盟主義との根本的相違があるのである。

 

 神皇正統記が大日本者神國なり、異朝には其たぐひなしといふ我國の國體には、絶對の歴史的世界性が含まれて居るのである。我皇室が萬世一系として永遠の過去から永遠の未來へと云ふことは、單に直線的と云ふことではなく、永遠の今として、何處までも我々の始であり終であると云ふことでなければならない。天地の始は今日を始とするといふ理も、そこから出て來るのである。慈遍は神代在今、莫謂往昔とも云ふ(舊事本紀玄義)。

日本精神の眞髓は、何處までも超越的なるものが内在的、内在的なるものが超越的と云ふことにあるのである。八紘爲宇の世界的世界形成の原理は内に於て君臣一體、萬民翼贊の原理である。我國體を家族的國家と云つても、單に家族主義的と考へてはならない。何處までも内なるものが外であり、外なるものが内であるのが、國體の精華であらう。義乃君臣、情兼父子である。

 

 我國の國體の精華が右の如くなるを以て、世界的世界形成主義とは、我國家の主體性を失ふことではない。これこそ己を空うして他を包む我國特有の主體的原理である。之によつて立つことは、何處までも我國體の精華を世界に發揮することである。今日の世界史的課題の解決が我國體の原理から與へられると云つてよい。英米が之に服從すべきであるのみならず、樞軸國も之に傚ふに至るであらう。


GHQによって発禁処分を受けた 峠三吉の原爆詩集 「にんげんをかえせ」 (その1)

2018-08-07 15:26:14 | 作家・思想家

         広島 原爆資料館の写真

峠三吉
  「原爆詩集」

一九四五年八月六日、広島に、九日、長崎に投下された原子爆弾によって命を奪われた人、また現在にいたるまで死の恐怖と苦痛にさいなまれつつある人、そして生きている限り憂悶と悲しみを消すよしもない人、さらに全世界の原子爆弾を憎悪する人々に捧ぐ。 


 

ちちをかえせ ははをかえせ
としよりをかえせ
こどもをかえせ 

わたしをかえせ わたしにつながる
にんげんをかえせ 

にんげんの にんげんのよのあるかぎり
くずれぬへいわを
へいわをかえせ

 

八月六日 

あの閃光が忘れえようか
瞬時に街頭の三万は消え
圧おしつぶされた暗闇の底で
五万の悲鳴は絶え

 

渦巻くきいろい煙がうすれると
ビルディングは裂さけ、橋は崩くずれ
満員電車はそのまま焦こげ
涯しない瓦礫と燃えさしの堆積であった広島
やがてボロ切れのような皮膚を垂れた
両手を胸に
くずれた脳漿(のうしょう)を踏み
焼け焦げた布を腰にまとって
泣きながら群れ歩いた裸体の行列 

石地蔵のように散乱した練兵場の屍体
つながれた筏(いかだ)へ這はいより折り重った河岸の群も
灼やけつく日ざしの下でしだいに屍体とかわり
夕空をつく火光(かこう)の中に
下敷きのまま生きていた母や弟の町のあたりも
焼けうつり 

兵器廠の床の糞尿のうえ
のがれ横たわった女学生らの
太鼓腹の、片眼つぶれの、半身あかむけの、丸坊主の
誰がたれとも分らぬ一群の上に朝日がさせば
すでに動くものもなく
異臭のよどんだなかで
金ダライにとぶ蠅の羽音だけ
三十万の全市をしめた
あの静寂が忘れえようか
そのしずけさの中で
帰らなかった妻や子のしろい眼窩(がんか)が
俺たちの心魂をたち割って
込めたねがいを
忘れえようか! 

 

 


泣き叫ぶ耳の奥の声
音もなく膨ふくれあがり
とびかかってきた
烈しい異状さの空間
たち罩こめた塵煙(じんえん)の
きなくさいはためきの間を
走り狂う影
〈あにげられる〉
はね起きる腰から
崩れ散る煉瓦屑の
からだが
燃えている
背中から突き倒した
熱風が
袖で肩で
火になって
煙のなかにつかむ
水槽のコンクリー角
水の中に
もう頭
水をかける衣服が
焦こげ散ってない
電線材木釘硝子片
波打つ瓦の壁
爪が燃え
踵(かかと)がとれ
せなかに貼はりついた鉛の溶鈑(ようばん)
〈う・う・う・う〉
すでに火
くろく
電柱も壁土も
われた頭に噴ふきこむ
火と煙の渦
〈ヒロちゃん ヒロちゃん〉
抑える乳が
あ 血綿(けつめん)の穴
倒れたまま
――おまえおまえおまえはどこ
腹這いいざる煙の中に
どこから現れたか
手と手をつなぎ
盆踊りのぐるぐる廻りをつづける
裸のむすめたち
つまずき仆(たおれ)る環の
瓦の下から
またも肩
髪のない老婆の
熱気にあぶり出され
のたうつ癇高(かんだかい)さけび
もうゆれる炎の道ばた
タイコの腹をふくらせ
唇までめくれた
あかい肉塊たち
足首をつかむ
ずるりと剥むけた手
ころがった眼で叫ぶ
白く煮えた首
手で踏んだ毛髪、脳漿(のうしょう)
むしこめる煙、ぶっつかる火の風
はじける火の粉の闇で
金いろの子供の瞳
燃える体
灼(や)ける咽喉(のど)
どっと崩折くずおれて

めりこんで

おお もう
すすめぬ
暗いひとりの底
こめかみの轟音が急に遠のき
ああ
どうしたこと
どうしてわたしは
道ばたのこんなところで
おまえからもはなれし、
死なねばならぬか 

 

 

衝つき当った天蓋(てんがい)の
まくれ拡がった死被(しひ)の
垂れこめた雲の
薄闇の地上から
煙をはねのけ
歯がみし
おどりあがり
合体して
黒い あかい 蒼(あお)い炎は
煌きらめく火の粉を吹き散らしながら
いまや全市のうえに
立ちあがった。 

藻(も)のように ゆれゆれ
つきすすむ炎の群列。
場(とさつじょう)へ曳ひかれていた牛の群は
河岸をなだれ墜おち
灰いろの鳩が一羽
羽根をちぢめて橋のうえにころがる。

ぴょこ ぴょこ
噴煙のしたから這い出て
火にのまれゆくのは
四足の無数の人間。
噴き崩れた余燼(よじん)のかさなりに
髪をかきむしったまま
硬直(こうちょく)した
呪いが燻る

濃縮(のうしゅく)され
爆発した時間のあと
灼熱(しゃくねつ)の憎悪だけが
ばくばくと拡がって。
空間に堆積(たいせき)する
無韻(むいん)の沈黙 

太陽をおしのけた
ウラニューム熱線は
処女の背肉に
羅衣(うすぎぬ)の花模様を焼きつけ
司祭の黒衣を
瞬間 燃えあがらせ

 

まひるの中の真夜
人間が神に加えた
たしかな火刑。

この一夜
ひろしまの火光は
人類の寝床に映り
歴史はやがて
すべての神に似るものを
待ち伏せる。

 

盲目 

河岸におしつぶされた
産院の堆積(たいせき)の底から
妻に付き添っていた男ら
手脚をひきずり
石崖の伝馬(てんま)にあつまる

胸から顔を硝子片に襲われたくら闇のなか
干潟(ひがた)の伝馬は火の粉にぬりこめられ
熱に追われた盲(めしい)
河原に降りてよろめき
よろめく脚を
泥土に奪われ
仆(たおれ)た群に
寂漠(せきばく)とひろしまは燃え
燃えくずれ
はや くれ方のみち汐
河原に汐はよせ
汐は満ち
手が浸り脚が浸り
むすうの傷穴から海水がしみ入りつつ
動かぬものら
顫ふるえる意識の暗黒で
喪われたものをまさぐる神経が
閃光の爆幕に突きあたり
もう一度
燃尽(しょうじん)する 

巨大な崩壊を潜(くぐり)こえた本能が
手脚の浮動にちぎれ
河中に転落する黒焦(くろこげ)の梁木(はりぎ)に
ゆらめく生の残像

(嬰児(えいじ)と共の 妻のほほえみ
  透明な産室の 窓ぎわの朝餉(あさげ)

そして
硝子にえぐられた双眼が
血膿(ちうみ)と泥と
雲煙の裂け間
山上の暮映(ぼえい)を溜ため

 

仮繃帯所にて 

あなたたち
泣いても涙のでどころのない
わめいても言葉になる唇のない
もがこうにもつかむ手指の皮膚のない
あなたたち 

血とあぶら汗と淋巴液(リンパえき)とにまみれた四肢(しし)をばたつかせ
糸のように塞(ふさ)だ眼をしろく光らせ
あおぶくれた腹にわずかに下着のゴム紐だけをとどめ
恥しいところさえはじることをできなくさせられたあなたたちが
ああみんなさきほどまでは愛らしい
女学生だったことを
たれがほんとうと思えよう

焼け爛(ただ)れたヒロシマの
うす暗くゆらめく焔のなかから
あなたでなくなったあなたたちが
つぎつぎととび出し這い出し
この草地にたどりついて
ちりちりのラカン頭を苦悶(くもん)の埃ほこりに埋める

何故こんな目に遭(あわ)ねばならぬのか
なぜこんなめにあわねばならぬのか
何の為に
なんのために
そしてあなたたちは
すでに自分がどんなすがたで
にんげんから遠いものにされはてて
しまっているかを知らない

 

ただ思っている
あなたたちはおもっている
今朝がたまでの父を母を弟を妹を
(いま逢ったってたれがあなたとしりえよう)
そして眠り起きごはんをたべた家のことを
(一瞬に垣根の花はちぎれいまは灰の跡さえわからない) 

おもっているおもっている
つぎつぎと動かなくなる同類のあいだにはさまって
おもっている
かつて娘だった
にんげんのむすめだった日を

 

 

みしらぬ貌かおがこっちを視みている
いつの世の
いつの時かわからぬ暗い倉庫のなか
歪んだ格子窓から、夜でもない昼でもないひかりが落ち
るいるいと重ったかつて顔だった貌。あたまの前側だった貌。

にんげんの頂部にあって生活のよろこびやかなしみを
ゆらめく水のように映していたかお。
ああ、今は眼だけで炎えるじゅくじゅくと腐った肉塊
もげ落ちたにんげんの印形(いんぎょう)
コンクリートの床にガックリ転がったまま
なにかの力で圧しつけられてこゆるぎもしないその
蒼(あお)ぶくれてぶよつく重いまるみの物体は
亀裂した肉のあいだからしろい光りだけを移動させ
おれのゆく一歩一歩をみつめている。
俺の背中を肩を腕をべったりとひっついて離れぬ眼。
なぜそんなに視みるのだ
あとからあとから追っかけまわりからかこんで、ほそくしろい視線を射かける
眼、め、メ、
あんなにとおい正面から、あの暗い陰から、この足もとからも
あ、あ、あ
ともかく額が皮膚をつけ鼻がまっすぐ隆起し
服を着けて立った俺という人間があるいてゆくのを
じいっと、さしつらぬいてはなれぬ眼。
熱気のつたわる床ゆかから
息づまる壁から、がらんどうの天井を支える頑丈な柱の角から
現れ、あらわれ、消えることのない眼。
ああ、けさはまだ俺の妹だった人間のひとりをさがして
この闇に踏みこんだおれの背中から胸へ、腋わきから肩へ
べたべた貼りついて永劫(えいごう)きえぬ

眼!
コンクリートの上の、筵(むしろ)の藁わらの、どこからか尿のしみ出す編目に埋めた
崩れそうな頬の
塗薬(とやく)と、分泌物、血と、焼け灰のぬらつく死に貌(がお)のかげで
や、や、
うごいた眼が、ほろりと透明な液をこぼし
めくれた唇で
血泡(けっほう)の歯が
おれの名を、噛むように呼んでいる。

 


GHQによって発禁処分を受けた 峠三吉の原爆詩集 「にんげんをかえせ」 (その2)

2018-08-07 15:25:42 | 作家・思想家

           広島、原爆資料館の写真

峠 三吉 「原爆詩集」

 

倉庫の記録

 

 その日

 いちめん蓮の葉が馬蹄型(ばていがた)に焼けた蓮畑の中の、そこは陸軍被服廠倉庫の二階。高い格子窓だけのうす暗いコンクリートの床。そのうえに軍用毛布を一枚敷いて、逃げて来た者たちが向きむきに横たわっている。みんなかろうじてズロースやモンペの切れはしを腰にまとった裸体。

 足のふみ場もなくころがっているのはおおかた疎開家屋の跡片付に出ていた女学校の下級生だが、顔から全身へかけての火傷や、赤チン、凝血、油薬、繃帯などのために汚穢(おわい)な変貌をしてもの乞の老婆の群のよう。

 壁ぎわや太い柱の陰に桶や馬穴(ばけつ)が汚物をいっぱい溜め、そこらに糞便をながし、骨を刺す異臭のなか

「助けて おとうちゃん たすけて

「みず 水だわ! ああうれしいうれしいわ

「五十銭! これが五十銭よ!

「のけて 足のとこの 死んだの のけて

 声はたかくほそくとめどもなく、すでに頭を犯されたものもあって半ばはもう動かぬ屍体だがとりのける人手もない。ときおり娘をさがす親が厳重な防空服装で入って来て、似た顔だちやもんぺの縞目(しまめ)をおろおろとのぞいて廻る。それを知ると少女たちの声はひとしきり必死に水と助けを求める。

「おじさんミズ! ミズをくんできて!」

 髪のない、片目がひきつり全身むくみかけてきたむすめが柱のかげから半身を起し、へしゃげた水筒をさしあげふってみせ、いつまでもあきらめずにくり返していたが、やけどに水はいけないときかされているおとなは決してそれにとりあわなかったので、多くの少女は叫びつかれうらめしげに声をおとし、その子もやがて柱のかげに崩折(くずおれ)る。

 灯のない倉庫は遠く燃えつづけるまちの響きを地につたわせ、衰えては高まる狂声をこめて夜の闇にのまれてゆく。

 

 二日め

 あさ、静かな、嘘のようなしずかな日。床の群はなかばに減ってきのうの叫び声はない。のこった者たちの体はいちように青銅いろに膨れ、腕が太股なのか太ももが腹なのか、焼けちぢれたひとにぎりの毛髪と、腋毛と、幼い恥毛との隈が、入り乱れた四肢とからだの歪んだ線のくぼみに動かぬ陰影をよどませ、鈍くしろい眼だけがそのよどみに細くとろけ残る。

 ところどころに娘をみつけた父母が跼(かが)んでなにかを飲ませてい、枕もとの金ダライに梅干をうかべたうすい粥が、蠅のたまり場となっている。

 飛行機に似た爆音がするとギョッと身をよじるみなの気配のなかに動かぬ影となってゆくものがまたもふえ、その影のそばでみつけるK夫人の眼。

 

 三日め

 K夫人の容態、呼吸三〇、脈搏一〇〇、火傷部位、顔面半ば、背面全面、腰少し、両踵、発熱あり、食慾皆無、みんなの狂声を黙って視みていた午前中のしろい眼に熱気が浮いて、糞尿桶にまたがりすがる手の慄ふるえ。水のまして、お茶のまして、胡瓜がたべたい、とゆうがた錯乱してゆくことば。

 硫黄島に死んだ夫の記憶は腕から、近所に預けて勤労奉仕に出てきた幼児の姿は眼の中からくずれ落ちて、爛(ただ)れた肉体からはずれてゆく本能の悶。

 

 四日め

 しろく烈しい水様下痢。まつげの焦げた眼がつりあがり、もう微笑の影も走ることなく、火傷部のすべての化膿。火傷には油を、下痢にはげんのしょうこをだけ。そしてやがて下痢に血がまじりはじめ、紫の、紅の、こまかい斑点がのこった皮膚に現れはじめ、つのる嘔吐の呻きのあいまに、この夕べひそひそとアッツ島奪還の噂がつたえられる。

 

 五日め

 手をやるだけでぬけ落ちる髪。化膿部に蛆(うじ)がかたまり、掘るとぼろぼろ落ち、床に散ってまた膿に這いよる。

 足のふみ場もなかった倉庫は、のこる者だけでがらんとし、あちらの隅、こちらの陰にむくみきった絶望の人と、二、三人のみとりてが暗い顔で蠢(うごめ)き、傷にたかる蠅を追う。高窓からの陽が、しみのついた床を移動すると、早くから夕闇がしのび、ローソクの灯をたよりに次の収容所へ肉親をたずねて去る人たちを、床にころがった面のような表情が見おくっている。

 

 六日め

 むこうの柱のかげで全身の繃帯から眼だけ出している若い工員が、ほそぼそと「君が代」をうたう。

「敵のB29が何だ、われに零戦、はやてがある――敵はつけあがっている、もうすこし、みんなもうすこしの辛棒だ――」

 と絶えだえの熱い息。

 

 しっかりしなさい、眠んなさい、小母さんと呼んでくれたらすぐ来てあげるから、と隣りの頭を布で巻いた片眼の女がいざりよって声をかける。

「小母さん? おばさんじゃない、お母さん、おかあさんだ!」

 腕は動かず、脂汗のにじむ赧黒(あかぐろ)い頬骨をじりじりかたむけ、ぎらつく双眼から涙が二筋、繃帯のしたにながれこむ。  

 

 七日め

 空虚な倉庫のうす闇、あちらの隅に終日すすり泣く人影と、この柱のかげに石のように黙って、ときどき胸を弓なりに喘あえがせる最後の負傷者と。

 

 八日め

 がらんどうになった倉庫。歪んだ鉄格子の空に、きょうも外の空地に積みあげた死屍からの煙があがる。

柱の蔭から、ふと水筒をふる手があって、

無数の眼玉がおびえて重なる暗い壁。

K夫人も死んだ。

――収容者なし、死亡者誰々――

門前に貼り出された紙片に墨汁が乾き

むしりとられた蓮の花片が、敷石のうえに白く散っている。

 

としとったお母さん

逝いってはいけない

としとったお母さん

このままいってはいけない

 

風にぎいぎいゆれる母子寮のかたすみ

四畳半のがらんどうの部屋

みかん箱の仏壇のまえ

たるんだ皮と筋だけの体をよこたえ

おもすぎるせんべい布団のなかで

終日なにか

呟(つぶや)いているお母さん

うそ寒い日が

西の方、己斐(こい)の山からやって来て

窓硝子にたまったくれがたの埃をうかし

あなたのこめかみの

しろい髪毛をかすかに光らせる

 

この冬近いあかるみのなか

あなたはまた

かわいい息子と嫁と

孫との乾いた面輪(おもわ)をこちらに向かせ

話しつづけているのではないだろうか

仏壇のいろあせた写真が

かすかにひわって

ほほえんで

 

きのう会社のひとが

ちょうどあなたの

息子の席があったあたりから

金冠のついた前歯を掘り出したと

もって来た

お嫁さんと坊やとは

なんでも土橋のあたりで

隣組の人たちとみんな全身やけどして

ちかくの天満川へ這い降り

つぎつぎ水に流されてしまったそうな

あの照りつけるまいにちを

杖ついたあなたの手をひき

さがし歩いた影のないひろしま

瓦の山をこえ崩れた橋をつたい

西から東、南から北

死人を集めていたという噂の四つ角から

町はずれの寺や学校

ちいさな島の収容所まで

半ばやぶれた負傷者名簿をめくり

呻きつづけるひとたちのあいだを

のぞいてたずね廻り

ほんに七日め

ふときいた山奥の村の病院へむけて

また焼跡をよこぎっていたとき

いままで

頑固なほど気丈だったあなたが

根もとだけになった電柱が

ぶすぶすくすぶっているそばで

急にしゃがみこんだまま

「ああもうええ

もうたくさんじゃ

どうしてわしらあこのような

つらいめにあわにゃぁならんのか」

おいおい声をあげて

泣きだし

灰のなかに傘が倒れて

ちいさな埃がたって

ばかみたいな青い空に

なんにも

なんにもなく

ひと筋しろい煙だけが

ながながとあがっていたが……

 

若いとき亭主に死なれ

さいほう、洗いはり

よなきうどん屋までして育てたひとり息子

大学を出て胸の病気の五、六年

やっとなおって嫁をもらい

孫をつくって半年め

八月六日のあの朝に

いつものように笑って出かけ

嫁は孫をおんぶして

疎開作業につれ出され

そのまんま

かえってこない

あなたひとりを家にのこして

かえって来なかった三人

 

ああお母さん

としとったお母さん

このまま逝ってはいけない

焼跡をさがし歩いた疲れからか

のこった毒気にあてられたのか

だるがって

やがて寝ついて

いまはじぶんの呟くことばも

はっきり分らぬお母さん

 

かなしみならぬあなたの悲しみ

うらみともないあなたの恨みは

あの戦争でみよりをなくした

みんなの人の思いとつながり

二度とこんな目を

人の世におこさせぬちからとなるんだ

 

その呟き

その涙のあとを

ひからびた肋あばらにだけつづりながら

このまま逝ってしまってはいけない

いってしまっては

いけない


新渡戸稲造 『武士道の山』

2017-12-18 23:09:05 | 作家・思想家

    『武士道の山』   
       新渡戸稲造

 

 士道は斜面緩かなる山なり。されど、此処彼処(ここかしこ)に往々急峻なる地隙、または峻坂なきにしも非(あ)らず。

 この山は、これに住む人の種類に従って、ほぼ五帯に区分するを得べし。

 その麓に蝟族する輩は、慄悍なる精神と、不紀律なる体力とを有して、獣力に誇り、軽微なる憤怒にもこれを試みんと欲する粗野漢、匹夫の徒なり。彼らはいわゆる「野猪武者」にして、戦時には軍隊の卒伍を成し、平時には社会の乱子たり。

 

 更に歩を転ずれば、ここに他種の人の住するを見る。山麓叢林の住民よりも進歩したる一階級の民なり。彼らは獣力に荒(すさ)まず。野猪の族と異りて、放肆(ほうし)なる残虐また悪戯を楽しみとせずといえども、なおその限られたる勢力を行わんことを喜びとなし、傲岸(ごうがん)尊大にして、子分に対しての親分たるを好む。その最も快とするところは、自己の威信あるを感ずること、即ち人より服従せらるる事なり。最も彼れを憤懣せしむるものは、その権力の侵害せらるること、即ち抑圧を蒙ることなり。彼らは戦場に在りては勇敢なる下士となり、平時には最も厭(いと)うべき俗吏となる。

 

 この類の住地よりも高くして更に一帯あり。その住民は、野獣的にもあらず、また傲慢にもあらず。多少の学術を愛し、書を読み――多くは経済法律の初歩を学びて、しかして喋々(ちょうちょう)大問題を論ず。その眼界は法律政治の外に出(い)でず。その文学は小説と三文詩歌とに限られ、科学は新聞紙上にて読むものの以外に少しも留意せず。

彼らの態度は、「野猪」の粗野と、彼らの直下にある者の厳峻とを脱して、その仲間の者には便安に、上級者に対しては窮屈に、下級者に対しては威張る。彼らは真髄武士道の新参者と称すべく、その数や多大なり。彼らの中よりして軍隊の将校を出し、また政府の事務を掌(つかさど)るの公吏を出す。

 

 更に高き処(ところ)に一地区あり、ここには武士中高等なる階級の者繁栄し、軍隊の将軍と、日常生活に於ける思想行為の指導者とを有す。下に在る者には愛せられて、常に威厳を保ち、上に在る者には丁重にして、決して自信を失わず。されど彼らの紳士的態度の皮下には、柔和なるよりも寧ろ多くの厳格なるものを有し、彼らの親切には、同情よりも寧ろ多くの自覚的謙譲あり。彼らの至高なる精神的態度は、愛情よりも寧ろ多くの憐愍(れんびん)を示す。 

 彼らは汝に語るに親切聡明なる事物を以てし、汝はその意を解し、その語を記憶す。されど彼らの声は汝らの裏(うち)に生きて存留せず。彼らの汝を見るや、汝はその眼光の透徹なるに驚く。されど彼らの眼の鮮光は、彼らの汝を去ると共に消ゆ。

 

 汝は峻険崎嶇(きく)たる山径を攀(よ)じ、至高の地帯に登りて、武士の最高なる者を見んとする乎。此処(ここ)に在りては、汝を迎うるに、頗(すこぶ)る柔和なる民族の毫も軍人的ならず、その容貌態度殆ど婦人に類するものあり。汝は彼らを見て武夫なるや否やを疑わんとす。汝は一見以て彼らを凡人視することもあらん。彼らは尊大ならず。
 汝は容易に彼らに近づくを得べく、彼らの親(したし)み易やすきが故に、狎(なれ)易しとなさん。されど汝は近づかざらんとするも能わざるが故に、彼らに接し来ることなるを知らん。

 彼らは貴賤、大小、老幼、賢愚と等しく交わり、その態度は嫺雅(かんが)優美なりというもおろか、愛情はその目より輝き、その唇に震う。
 彼らの来るや、爽然たる薫風吹き渡り、彼らの去るや、吾人が心裡の暖気なお存す。学を衒(てらわ)ずして教え、恩を加えずして保護し、説かずして化し、助けずして補い、施さずして救い、薬餌を与えずして癒(いや)し、論破せずして信服せしむ。
 彼らは小児の如く戯れかつ笑う。彼らの戯は無邪気というも中々に、罪を辱(かしむ)るものなり。彼らの笑は微かなりといえども、萎(な)えたる霊魂を蘇生せしむ。

 彼らの小児らしきは、罪ある良心をして、純潔を羨望せしむ。彼ら泣かば、その涙は人の重荷を洗い去る。そもそもこれらの武夫の住する地帯は即ち基督の徒と共なり。(三十九年二月台南にて)

  〔一九〇七年八月一五日『随想録』〕
  「英文新誌 三巻一七号」英文新誌社
    1906(明治39)年3月15日


西田幾多郎『世界秩序の形成』 東亜共栄圏構想の原理と八紘一宇の世界

2016-12-18 15:19:19 | 作家・思想家

『世界新秩序の原理』 
     西田幾多郎 

                 西田幾多郎--ウィキペディア

                      

 世界はそれぞれの時代にそれぞれの課題を有し、その解決を求めて、時代から時代へと動いて行く。ヨウロッパで云えば、十八世紀は個人的自覚の時代、所謂個人主義自由主義の時代であった。十八世紀に於ては、未だ一つの歴史的世界に於ての国家と国家との対立と云うまでに至らなかったのである。大まかに云えば、イギリスが海を支配し、フランスが陸を支配したとも云い得るであろう。 

 然るに十九世紀に入っては、ヨーロッパという一つの歴史的世界に於てドイツとフランスとが対立したが、更に進んで窮極する所、全世界的空間に於て、ドイツとイギリスとの二大勢力が対立するに至った。これが第一次世界大戦の原因である。 

 十九世紀は国家的自覚の時代、所謂帝国主義の時代であった。各国家が何処までも他を従えることによって、自己自身を強大にすることが歴史的使命と考えた。そこには未だ国家の世界史的使命の自覚というものに至らなかった。国家に世界史的使命の自覚なく、単なる帝国主義の立場に立つかぎり、又逆にその半面に、階級闘争と云うものを免れない。 

 十九世紀以来、世界は、帝国主義の時代たると共に、階級闘争の時代でもあった。共産主義と云うのは、全体主義的ではあるが、その原理は、何処までも十八世紀の個人的自覚による抽象的世界理念の思想に基くものである。思想としては、十八世紀的思想の十九世紀的思想に対する反抗とも見ることができる。帝国主義的思想と共に過去に属するものであろう。 

 今日の世界は、私は世界的自覚の時代と考える。各国家は各自世界的使命を自覚することによって一つの世界史的世界即ち世界的世界を構成せなければならない。これが今日の歴史的課題である。第一次大戦の時から世界は既に此の段階に入ったのである。然るに第一次大戦の終結は、かかる課題の解決を残した。そこには古き抽象的世界理念の外、何等の新らしい世界構成の原理はなかった。これが今日又世界大戦が繰返される所以である。

 今日の世界大戦は徹底的に此の課題の解決を要求するのである。一つの世界的空間に於て、強大なる国家と国家とが対立する時、世界は激烈なる闘争に陥らざるを得ない。 科学、技術、経済の発達の結果、今日、各国家民族が緊密なる一つの世界的空間に入ったのである。

  之を解決する途は、各自が世界史的使命を自覚して、各自が何処までも自己に即しながら而も自己を越えて、一つの世界的世界を構成するの外にない。

私が現代を各国家民族の世界的自覚の時代と云う所以である。各国家民族が自己を越えて一つの世界を構成すると云うことは、ウィルソン国際連盟に於ての如く、単に各民族を平等に、その独立を認めるという如き所謂民族自決主義ではない。そういう世界は、十八世紀的な抽象的世界理念に過ぎない。かかる理念によって現実の歴史的課題の解決の不可能なることは、今日の世界大戦が証明して居るのである。

 いずれの国家民族も、それぞれの歴史的地盤に成立し、それぞれの世界史的使命を有するのであり、そこに各国家民族が各自の歴史的生命を有するのである。 各国家民族が自己に即しながら自己を越えて一つの世界的世界を構成すると云うことは、各自自己を越えて、それぞれの地域伝統に従って、先ず一つの特殊的世界を構成することでなければならない。 

 而して斯く歴史的地盤から構成せられた特殊的世界が結合して、全世界が一つの世界的世界に構成せられるのである。 かかる世界的世界に於ては、各国家民族が各自の個性的な歴史的生命に生きると共に、それぞれの世界史的使命を以て一つの世界的世界に結合するのである。 これは人間の歴史的発展の終極の理念であり、而もこれが今日の世界大戦によって要求せられる世界新秩序の原理でなければならない。 

 我国の八紘為宇の理念とは、此の如きものであろう。 畏くも万邦をしてその所を得せしめると宣らせられる。 聖旨も此にあるかと恐察し奉る次第である。 十八世紀的思想に基く共産的世界主義も、此の原理に於て解消せられなければならない。 

 今日の世界大戦の課題が右の如きものであり、世界新秩序の原理が右の如きものであるとするならば、東亜共栄圏の原理も自ら此から出て来なければならない。従来、東亜民族は、ヨーロッパ民族の帝国主義の為に、圧迫せられていた、植民地視せられていた、各自の世界史的使命を奪われていた。今や東亜の諸民族は東亜民族の世界史的使命を自覚し、各自自己を越えて一つの特殊的世界を構成し、以て東亜民族の世界史的使命を遂行せなければならない。これが東亜共栄圏構成の原理である。  

 今や我々東亜民族は一緒に東亜文化の理念を提げて、世界史的に奮起せなければならない。而して一つの特殊的世界と云うものが構成せられるには、その中心となって、その課題を担うて立つものがなければならない。
 東亜に於て、今日それは我日本の外にない。昔、ペルシヤ戦争に於てギリシヤの勝利が今日までのヨーロッパ世界の文化発展の方向を決定したと云われる如く、今日の東亜戦争は後世の世界史に於て一つの方向を決定するものであろう。

  今日の世界的道義はキリスト教的なる博愛主義でもなく、又支那古代の所謂王道という如きものでもない。 各国家民族が自己を越えて一つの世界的世界を形成すると云うことでなければならない、世界的世界の建築者となると云うことでなければならない。
 我国体は単に所謂全体主義ではない。皇室は過去未来を包む絶対現在として、皇室が我々の世界の始であり終である。皇室を中心として一つの歴史的世界を形成し来った所に、万世一系の我国体の精華があるのである。

 我国の皇室は単に一つの民族的国家の中心と云うだけでない。我国の皇道には、八紘為宇の世界形成の原理が含まれて居るのである。

 世界的世界形成の原理と云うのは各国家民族の独自性を否定することではない、正にその逆である。 世界と云えば、人は今尚十八世紀的に抽象的一般的世界を考えて居るのである。 私の世界的世界形成と云うのは、各国家各民族がそれぞれの歴史的地盤に於て何処までも世界史的使命を果すことによって、即ちそれぞれの歴史的生命に生きることによって、世界が具体的に一となるのである、即ち世界的世界となるのである。

 世界が具体的に一となると云うことは各国家民族が何処までもそれぞれの歴史的生命に生きることでなければならない。恰も有機体に於ての様に、全体が一となることは各自が各自自身となることであり、各自が各自自身となることは全体が一となることである。私の世界と云うのは、個性的統一を有ったものを云うのである。世界的世界形成の原理とは、万邦各その所を得せしめると云うに外ならない。

 今日の国家主義は、かかる世界的世界形成主義に基礎附けられていなければならない。単に各国家が各国家にと云うことではない。今日の世界状勢は世界が何処までも一とならざるべからざるが故に、各国家が何処までも各自に国家主義的たらねばならぬのである。而してかかる多と一との媒介として、共栄圏という如き特殊的世界が要求せられるのである。

 我国民の思想指導及び学問教育の根本方針は何処までも深く国体の本義に徹して、歴史的現実の把握と世界的世界形成の原理に基かねばならない。英米的思想の排撃すべきは、自己優越感を以て東亜を植民地視するその帝国主義にあるのでなければならない。又国内思想指導の方針としては、較もすれば党派的に陥る全体主義ではなくして、何処までも公明正大なる君民一体、万民翼賛の皇道でなければならない。 

 以上は私が国策研究会の求に応じて、世界新秩序の問題について話した所の趣旨である。


 各国家民族が何処までも自己に即しながら、自己を越えて一つの世界を形成すると云うことは、各国家民族を否定するとか軽視するとかと云うことではない。逆に各国家民族が自己自身に還り、自己自身の世界史的使命を自覚することによって、結合して一つの世界を形成するのである。
 かかる綜合統一を私は世界と云うのである。各国家民族を否定した抽象的世界と云うのは、実在的なものではない。
 従ってそれは世界と云うものではない。
 故に私は特に世界的世界と云うのである。従来は世界は抽象的であり、非実在的であった。併し今日は世界は具体的であり、実在的であるのである。
 
 今日は何れの国家民族も単に自己自身によって存在することはできぬ、世界との密接なる関係に入り込むことなくして、否、全世界に於て自己自身の位置を占めることなくして、生きることはできぬ。 世界は単なる外でない。 斯く今日世界が実在的であると云うことが、今日の世界戦争の原因であり、此の問題を無視して、今日の世界戦争の問題を解決することはできない。 

 私の世界と云うのは右の如き意味のものであるから、世界的世界形成と云うことは、地域伝統に従ってと云うのである。然らざれば、具体的世界と云うものは形成せられない。私の云う所の世界的世界形成主義と云うのは、他を植民地化する英米的な帝国主義とか連盟主義とかに反して、皇道精神に基く八紘為宇の世界主義でなければならない。抽象的な連盟主義は、その裏面に帝国主義に却って結合して居るのである。 

 歴史的世界形成には、何処までも民族と云うものが中心とならなければならない。それは世界形成の原動力である。共栄圏と云うものであっても、その中心となる民族が、国際連盟に於ての如く、抽象的に選出せられるのでなく、歴史的に形成せられるのでなければならない。斯くして真の共栄圏と云うものが成立するのである。 

 併し自己自身の中に真の世界性を含まない単に自己の民族を中心として、そこからすべての世界を考える単なる民族主義は、民族自己主義であり、そこから出て来るものは、自ら侵略主義とか帝国主義とか云うものに陥らざるを得ないであろう。今日、英米の帝国主義と云うものは、彼等の民族自己主義に基くものに外ならない。 

 或一民族が自己自身の中に世界的世界形成の原理を含むことによって始めてそれが真の国家となる。而してそれが道徳の根源となる。国家主義と単なる民族主義とを混同してはならない。私の世界的世界形成主義と云うのは、国家主義とか民族主義とか云うものに反するものではない。世界的世界形成には民族が根柢とならなければならない。而してそれが世界的世界形成的なるかぎり国家である。個人は、かかる意味に於ての国家の一員として、道徳的使命を有するのである。

 故に世界的世界形成主義に於ては、各の個人は、唯一なる歴史的場所、時に於て、自己の使命と責務とを有するのである。日本人は、日本人として、此の日本歴史的現実に於て、即ち今日の時局に於て、唯一なる自己の道徳的使命と責務とを有するのである。 

 民族と云うものも、右の如く世界的世界形成的として道徳の根源となる様に、家族と云うものも、同じ原理によって道徳の根源となるのである。単なる家族主義が、すぐ道徳的であるのではない。世界的世界形成主義には家族主義も含まれて居るのである。
 之と共に逆に、共栄圏と云う如きものに於ては、嚮に云った如く、指導民族と云うものが選出せられるのではなく、世界的世界形成の原理によって生れ出るものでなければならない。ここに世界的世界形成主義と国際連盟主義との根本的相違があるのである。 

 神皇正統記が大日本者神国なり、異朝には其たぐいなしという我国の国体には、絶対の歴史的世界性が含まれて居るのである。我皇室が万世一系として永遠の過去から永遠の未来へと云うことは、単に直線的と云うことではなく、永遠の今として、何処までも我々の始であり終であると云うことでなければならない。天地の始は今日を始とするという理も、そこから出て来るのである。慈遍は神代在今、莫謂往昔とも云う (旧事本紀玄義)。 

 日本精神の真髄は、何処までも超越的なるものが内在的、内在的なるものが超越的と云うことにあるのである。八紘為宇の世界的世界形成の原理は内に於て君臣一体、万民翼賛の原理である。我国体を家族的国家と云っても、単に家族主義的と考えてはならない。何処までも内なるものが外であり、外なるものが内であるのが、国体の精華であろう。義乃君臣、情兼父子である。 

 我国の国体の精華が右の如くなるを以て、世界的世界形成主義とは、我国家の主体性を失うことではない。 これこそ己を空うして他を包む我国特有の主体的原理である。之によって立つことは、何処までも我国体の精華を世界に発揮することである。 今日の世界史的課題の解決が我国体の原理から与えられると云ってよい。英米が之に服従すべきであるのみならず、枢軸国も之に傚うに至るであろう。

 底本:「西田幾多郎全集 第十二巻」岩波書店
    1966(昭和41)年1月26日発行
    1986(昭和61)年11月25日第4刷発行


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