境内にある開山堂の横には、「弁慶の駒つなぎ」と言われ、弁慶が馬をつないだという伝説のあるクスノキの大木があります。高さが29m、幹周6.6m、樹齢は約800年、市の保護樹木にも指定されています。 . . . 本文を読む
淀川北岸、桧尾川流域から茨木川流域にあり、大阪府高槻市と茨木市(旧三島郡)にかけて広がる三島古墳群のうち、塚脇1丁目付近、帯仕山の山すそから山頂にかけての塚脇地区一帯には、約50基もの古墳が群集している塚脇古墳群があります。 . . . 本文を読む
郡主馬(こおり・しゅめ)は、名を宗保といい、茨木市の郡に拠点を置いた武士の一族です。先代の兵太夫は戦国の高槻城主・和田惟政の下で活動し、江戸時代の子孫は各地の大名に仕え、北摂では高槻藩士となりました。 . . . 本文を読む
筑紫津とは、平安時代の催馬楽(さいばら:雅楽の一つ)『難波の海』に詠われた淀川中流域の河津(港)です。正確な場所はわかっていませんが、継体大王が整備したとの説もあり、真の陵墓とされる今城塚古墳からは、停泊する大型船が描かれた埴輪が数多く出土しています。 . . . 本文を読む
商人の中田屋治兵衛は、地元西面産の米を大阪堂島米国取引所の標準米として、明治19年(1886)から20余年間にわたって提供し続けました。同取引所は、国内最大の米穀先物取引所で、売買・格付けの基準となる標準米の安定供給は重要な役割でした。 . . . 本文を読む
大塚の渡し場から、ここ唐崎を経て茨木方面と結んだ「茨木街道」に立つ道標で、明治43年(1910)に大阪府が建立しました。当時は三叉路で、北と西の道が街道、南の道は三島江などに向かいます。 . . . 本文を読む
江戸~明治時代の淀川沿岸地域では、水害などから財産を守るため、敷地の隅に石垣を築き、その上に土蔵を建てました。これを段倉といい、敷地の北西(戌亥いぬい)隅に建つものが多いことから、「いぬいぐら」ともよばれます。 . . . 本文を読む
堤防を越えた先の淀川河川公園内には、明治時代に建てられた道標があります。この道標は、かって枚方との間を結んだ大塚の渡し場にあり「枚方街道」や「茨木街道」などを案内していました。 . . . 本文を読む
大塚には次のような伝承があります。「平安時代、清和上皇が諸国を巡られた際、当地で淀川の美しい風景に心を奪われ、松の木に掛けた冠を忘れたまま帰ってしまわれた。気づいた村人たちは恐縮し、冠を埋めて「王塚」と名付けた。 . . . 本文を読む