「浄圓暮鐘」(じょうえんのぼしょう)は、瀟湘八景の烟寺晩鐘」(えんじ ばんしょう)になぞらえ、春の夕暮れに響く鐘の音を詠んでいます。浄圓寺の鐘は戦時中に供出され、長らく不在となっていましたが、平成20年に人々の寄進により再建され、再び音を響かせています。 . . . 本文を読む
「河原夕照」は、瀟湘八景の「漁村夕照」になぞらえ、夕日に照らされた芥川の河原を詠んでいます。詳しい場所は特定できませんが、堤に満ちる柳の緑や、鳴声をあげる水鳥など美しい風景が伝わってきます。 . . . 本文を読む
昭和41年(1966)、ここ「上の口」バス停付近の露出した地層から化石が発見されました。中にはワニの歯や背骨などが含まれ、重複する骨があることから、2個体以上とみられています。種類判別の決め手となる頭骨が未発見のため、「タカツキワニ」と仮称されています。 . . . 本文を読む
原村・城山出身の宮田半平(1731~1803)は、天明年間(1781~89)に京都・伏見で寒天製法を習得して郷里に伝え、近隣の村々にも広がったといいます。良質な寒天は、「城山寒天」の名で名声を得て、日本各地のみならず、長崎から中国に輸出されました。 . . . 本文を読む
井堰は木杭や石で川を堰き止め、水位を上げて用水路へ取水する施設です。今井出井堰跡は、芥川右岸の郡家地区に水を引き込むもので、戦国時代永禄2年(1559)に郡家村と真上村がこの井堰を巡って争い、芥川山城を居城とする三好長慶が郡家村勝訴とした「水論裁許状」で知られています。 . . . 本文を読む
この燈籠は、以前は服部図書館が建つ旧真上池北側の道端に立っていました。本来は浦堂の愛宕燈籠と考えられますが、昭和7年(1932)発行の『清水村誌』に浦堂の愛宕講は記されておらず、すでに講は途絶えていたのかもしれません。昭和50年代の道路工事に際して、当地に移されました。 . . . 本文を読む
愛宕信仰は、愛宕神社(京都市右京区)を火伏せ(火災除け)の神として崇拝するもので、各地に愛宕講が組織され、年1~2回代表者が参詣しました。神社から授与されたお札は講員に配られ、燈籠にも供えられました。 . . . 本文を読む
神峯山寺の本尊である毘沙門天は、商売繁盛や勝負事にご利益があるといわれ、江戸時代から商売繁盛を願う毘沙門天信仰が大坂商人の間で盛んになりました。真如寺川が市内真上と大蔵司を結ぶ道と交差する場所に立つこの道標は、享和元年(1801)に大坂の商人・赤松由永により、淀川の河港・三島江浜から神峯山寺までの間に16基建てられたうちの五番石です。 . . . 本文を読む
このウメの木は、一つの花に二つの実をつけることから夫婦梅と呼ばれ、品種を「鴛鴦(えんおう)」といいます。鴛鴦とはオシドリのことで、二つの実が寄り添う様子を、仲睦まじいことで知られるオシドリに例えたものです。日光東照宮をはじめ各地の社寺に植えられ、夫婦円満や子宝の縁起物とされています。 . . . 本文を読む